25警戒
観劇の日から数週間が経った。この日、リディアはフィリックと共に馬車に乗り、メルベルト公爵邸へ向かっていた。
「リディア様、緊張していますか?大丈夫ですよ、メルベルト公爵夫人は気さくな方ですから」
そう言って、フィリックは微笑む。リディアはその微笑みへ同じように微笑み返したが、内心は複雑だった。
(確かに緊張してるけど、メルベルト公爵夫人に会うからってだけではないのよね。今はこの状況に緊張してるのだけれど……)
チラリと横を見ると、リディアの隣には真顔でフィリックを見ているディールがいる。いつもは優し気な瞳は、なぜか厳しい光を宿しているように見えた。
「それにしても、まさか同じ馬車の中にベルナール卿の側近の方がご一緒するとは思いませんでした。そんなに私は信用がおけないのでしょうかね」
「申し訳ありません……」
苦笑しながらそう言うフィリックに、リディアはいたたまれず小声で謝る。ディールはフィリックの言葉に反応することなく、真顔のまま冷ややかな視線をフィリックへ向けた。
「ですが、この様子だと先日の忠告が効いたみたいですね」
「忠告?」
フフッと不敵に言うフィリックに、ディールの眉がピクリと厳しく動く。
「ベルナール卿からお聞きしているんじゃないですか?あんな危ない所に、こんな美しい女性を独りぼっちにしておくだなんて、私なら考えられませんからね。たまたま通りかかったからよかったものの、あのまま長い間ベルナール卿が戻って来ずリディア様が一人でいたかもしれないと思うと、本当に気が気じゃありませんよ」
心底心配だったというような顔でフィリックは首を横に振る。それを見て、ディールは目を細めた。
「あなたは本当にたまたま通りかったんですか?」
ディールの問いかけに、フィリックは挑戦的な瞳を向けて口角を上げる。
「……どうしてそう思うんです?」
「観劇が終わった時間、しかもあの劇場の前をちょうどよく通りかかるだなんて偶然にしてはできすぎています。まるでリディア様に会いたくてあの道をわざわざ通りかかったのではないかと、そう思っただけです」
「ディール……!」
(一体何を言い出すの!そんなはずないじゃない!)
リディアはディールの言葉に慌てるが、フィリックは気にもしないと言う顔で微笑みを浮かべる。
「ははは、面白いことを言いますね。なるほど、私は思っている以上にずいぶんと警戒されているようだ。……もし、あなたの言う通りだと言ったら?」
(!)
フィリックの返答に、リディアとディールは目を大きく見開いた。そんな二人の表情を見て、フィリックはフッと瞳を閉じる。それからすぐに目を開けてリディアを見て両手を広げ肩をすくませた。
「冗談ですよ。安心してください、あの日は本当に偶然です。リディア様にまで警戒されてしまっては、私も困りますからね」
(はあ、びっくりした!そうよね、冗談よね)
リディアがホッと胸をなでおろすと、その表情を見てほんの一瞬だけ、フィリックは表情を硬くする。そしてその一瞬の表情を、ディールは見逃さなかった。だが、すぐにフィリックは微笑みながら言葉を続ける。
「私がリディア様へ向ける気持ちは、当然商人としてです。何より、リディア様は異性として見られることを経験上心底嫌がっておいでだ。私はリディア様が嫌がることは絶対にしたくありませんからね」
笑みを絶やすことなく言うフィリックに、ディールは変わらず厳しい視線を向けたままだ。
「ですが、商人としてリディア様を信頼し欲していることは紛れもない事実です。もしも既婚者ではなく独身者で出会っていたとしたら、迷わず商人として様々な領地や国を周りませんかと声をかけ口説いていたことでしょう。ですが、私がリディア様と出会えたのは、リディア様がベルナール公爵夫人だったからです。なので、私の望みは叶わないことだと重々承知しています」
ほんの少しだけ悲し気な表情をたたえ、瞳を伏せフィリックは言う。その言葉にリディアは瞠目し、ディールは真顔を崩しはしないが、座席に置かれた手を強く握り締めていた。
「ですが、もしも今後リディア様がベルナール卿から酷い扱いをうけ居場所を失うようなことがあれば、私はすぐにでもリディア様を口説くつもりです。……まあ、そんなことは起こりようがないとベルナール卿とリディア様を見ていればわかることですが」
「そうですね。そんなことは絶対に起こりません。我が主はリディア様を心の底から愛しています。リディア様を他の誰かに奪われることなど絶対にありえません。そんなことはそもそも私がさせませんから」
きっぱりと言い切るディールを、フィリックは笑みを絶やさず見つめたままだ。
(な、何?この状況は一体……)
まさかこんな険悪なムードになるなんてリディアは思いもしなかった。そもそも、ディールがありもしないことをフィリックに尋ねたところから話がおかしな方向へ進んだような気がする。リディアがおろおろと二人を見ていると、急に馬車が止まった。
「ああ、どうやら着いたようですね」




