18挨拶
メルベルト公爵家は公爵家の中でも代々古くから王家とつながりがあり、強い権力を持っている。メルベルト公爵夫人の年齢は五十代後半といったところだろうか。身なりは派手過ぎないが見るからに上質さがわかり、所作も美しい。
そんなメルベルト公爵家夫人は、新しいもの好きで好奇心が強く、偏見やくだらないしきたりを嫌い古い考えにあまり固執しないタイプだと言われている。
自立した女性を応援したいと活動し、そんなメルベルト夫人に憧れる女性が多いらしい。
そんなメルベルト公爵夫人ににっこりと微笑まれ、リディアは驚きながらも小さく会釈をした。
「メルベルト公爵夫人と知り合いなのか?」
リディアがメルベルト公爵夫人へ挨拶を返したのを見て、アレンが小さく尋ねる。
「いえ、初めてお会いしたので、まさか微笑まれると思わず驚きました」
「へえ……」
リディアの言葉に、アレンは少し目を細めメルベルト公爵夫人を見る。
ふと、メルベルト公爵夫人の耳元にキラリと光る天然石のイヤリングが見えた。
(あれは……私が作ったイヤリング!)
フィリックの手腕により、メルベルト公爵夫人の手にもアクセサリーが渡っていたようだ。
(でも、私がアクセサリーを作った張本人だということはまだ誰にも公表していないはず。まさかフィリックさんが私に黙ってメルベルト公爵夫人に話したとも考えられないし)
勝手に話したとなれば、信頼関係にヒビが入る。そんな危ないことをあのフィリックがするとは思えない。
「……なるほどな」
アレンにもメルベルト公爵夫人のイヤリングが見えたのだろう、そこから何かに気づき、アレンは静かに呟く。
(アレン様、なんだか気難しい顔をしてらっしゃるわ)
リディアが不思議に思ってアレンを見ると、アレンは視線に気づいて表情を崩す。
「観劇が終わって時間があれば、ご挨拶に伺おうか」
「そうですね……」
「そろそろ始まる時間だ。せっかく来たんだから楽しもう」
リディアの耳元でそう囁くと、アレンはそっとリディアの片手を握る。大きな手のひらでリディアの手をすっぽりと包み込んだ。
突然アレンの手に包まれ、そのぬくもりにリディアの心臓は跳ね上がる。なんだか照れてしまい思わず俯くと、そんなリディアの様子を見てアレンは嬉しそうに微笑んだ。
(とても素敵な劇だったわ)
劇が終わり、リディアは小さく息を吐いた。身分差の恋を描いたビターエンドな話だったが、演者の演技が見事で始終引き込まれる素晴らしさがあり、リディアは思わず涙ぐむ。
「リディア、大丈夫か?」
リディアの目じりに薄っすらと浮かぶ涙に気付き、アレンがそっと指で涙をすくう。
「ええ……とても悲しいけれど、素敵なお話でした」
「そうだね、とても引き込まれる話だった。……リディアが落ち着いたら出よう。慌てなくていいよ」
そう言って、アレンは優しくリディアの頬を撫でる。劇中の甘さに感化されたのだろうか、アレンの瞳も砂糖を煮詰めたように甘ったるい。その甘さを受け止めきれず、リディアは思わず視線をそらしてしまう。
(アレン様、そんな瞳で見るなんて……どうしよう、ドキドキしてしまう)
アレンに本心を打ち明けられてから、リディアの心はいつの間にかアレンの一挙一動に振り回されている。こんなことではダメだと、リディアは大きく深呼吸し、アレンを見つめた。
「ありがとうございます。もう、大丈夫です」
(そういえば、メルベルト公爵夫人は……)
劇が終わって時間があれば、ご挨拶に行こうとアレンが言っていたことを思い出し、メルベルト公爵夫人のいる席に視線を向ける。だが、席はすでに空だった。
(もう行ってしまわれたのね。……ご挨拶できなかったわ)
挨拶しなければいけないというわけではないが、メルベルト公爵夫人からの視線と微笑みがなぜか気になり、リディアの胸はざわついていた。
リディアとアレンが階段を下りてエントランスホールまで来ると、小さな人だかりが見える。そこには、メルベルト公爵夫人がうら若きご令嬢たちに囲まれていた。
(メルベルト公爵夫人だわ!でも、あれだけ囲まれてしまっていては、ご挨拶に行くのは無理そうね)
加護無しの自分が挨拶に行けば、逆に迷惑になってしまうだろう。リディアがそう思っていると、メルベルト公爵夫人がリディアとアレンに気付く。
囲んでいた令嬢たちに挨拶をして、メルベルト公爵夫人はなぜかリディアたちの方へ向かって歩いてきた。輪の中心では、メルベルト公爵夫人と一緒にいた若いご令嬢が他の令嬢たちと談笑している。
「ごきげんよう、ベルナール卿。そしてベルナール公爵夫人」
「これはメルベルト公爵夫人。わざわざご挨拶いただきありがとうございます」
アレンがそう言って挨拶をする。驚いていたリディアも慌ててカーテシーの挨拶をすると、メルベルト公爵夫人は嬉しそうに微笑んだ。
「フィリックさんがどんなご令嬢を連れてくるかと思って楽しみにしていたのだけれど、まさかベルナールご夫妻がそろっていらっしゃるとは思わなくて驚きました。でも、つまりフィリックさんからチケットを譲り受けたのでしょう?彼が懇意にしている商売相手があなただとわかって嬉しいわ」
メルベルト公爵夫人の言葉に、リディアは目を大きく見開く。
(……メルベルト公爵夫人は、私がアクセサリーの製作者本人だと気付いてらっしゃる)
はっきりと言葉にはしないが、明らかにそうだとわかる言い方だ。リディアは驚きのあまり固まってしまう。
「フィリックさんには妻が大変お世話になっています」
リディアへ助け舟を出すように、アレンがメルベルト公爵夫人へ笑顔で告げる。すると、メルベルト公爵夫人はアレンをチラリと見て微笑んだ。
「まあ、ご理解のある旦那様で良かったですね。ベルナール卿は夫人とご一緒の時でも表情を崩さず距離があり、お二人は形だけの結婚だと噂されていましたが……実際にこうしてお二人を見ていると、噂はただの噂でしかないようですわね」
「……ありがとうございます」
アレンが控えめに礼を言うと、メルベルト公爵夫人はリディアへ含みのある視線を向ける。
「商売にしか興味のないフィリックさんが、珍しく観劇のチケットを受け取ったんです。それに、名前は明かさなかったけれどビジネスパートナーだという一人の女性についてずいぶんと褒めちぎるものだから、もしかしたら今日その方に会えるかもしれないと楽しみにしていたのだけれど……そう。あなただったのね。お会いできてよかったわ」
嬉しそうにそう言うメルベルト公爵夫人の言葉に、アレンの表情が一瞬険しくなる。
「……そう言っていただけて嬉しいです。私も、メルベルト公爵夫人とお会いできて、こうしてお話できて光栄です」
リディアは緊張で声が震えてしまわないように気をつけながら、静かに会釈をする。そんなリディアを見て、メルベルト公爵夫人はまた含みのある笑みを浮かべた。
「近いうちにまたお会いできると思うので、その時色々とお話を聞かせてくださいな。その日を楽しみにしています」
そう言って、メルベルト公爵夫人は微笑みながらリディアとアレンの前から立ち去った。




