第1章 #4
日が傾きかけ、主人が半ば諦めかけた頃、とんとん、と扉を叩く音がした。主人は胸の高鳴りを押さえながら急いで表に出た。
「どうも、ハミルトンさん」
そこには昨夜の黒いフードをかぶった少女が立っていた。
「来てくれたのか・・・」
主人は旧友に再会した時のような安堵を感じながら少女を迎え入れた。
「奥様の為に唄を、ということでしたね」
「ああ、本当に来てくれて嬉しいよ。君の唄には力がある。俺は確信している。君なら、妻に光をもう一度見せられる」
「光を見せる・・・」
少女の表情は見えなかったが、小さく呟いた少女の声はわずかに震えたように聞こえた。
「・・・まずは奥様と2人で話をさせて頂いてもいいでしょうか」
「2人で話を?構わないが、君が歌ってくれた昨夜の唄だけでも、俺としては十分なんだが」
「いえ、それでは奥様に・・・風景を見せることはできません」
少女はフードマントを脱ぎながら、少し困ったような表情を浮かべた。
「すまない、君には君の考えがあるんだな。感謝するよ。妻が笑顔になれるなら、俺はなんでもしよう」
そう言って主人は少女を妻の寝所へ案内した。主人は少女を妻に紹介すると、少女に言われた通り部屋の外に出て待った。
どのくらい待っただろうか。日が沈んで暗くなった頃、少女が妻の寝所から出てきた。
「お待たせしてすみません」
そう言う少女の手には、音符と文字の綴られた紙切れが握られていた。主人が少女に声をかけようとするのを遮るように、少女は今から演奏しても良いか尋ねた。主人は言葉を飲み込み、頷いた。
主人は妻の寝所に椅子をもうひとつ用意して、ベッドの隣に置いた。少女はその椅子に座るよう主人に伝え、扉側の壁沿いに自分用の椅子を移動させた。
主人の胸は期待に膨らんだ。
少女は皮布に巻かれた古びたギターを取り出した。そして、静かに演奏を始めた。
初めて聞くはずなのに、どこか懐かしく、穏やかな旋律が響いた。それは雨上がりの澄んだ夜の空気にこだました。少女は唄を紡ぎ始めた。それはひとつひとつ編み込まれる糸のように暖かさを帯びていたが、それと同時に切なさをはらんでいた。
唄の中盤に差し掛かった時、主人ははっとした。
これは妻へ宛てた唄ではない。
妻から主人に宛てた唄だ。
主人は思わず妻の顔を見た。妻は目に涙を浮かべ、唇を震わせていた。
「ちょっと待ってくれ・・・」
主人は演奏をやめさせようと、椅子から立ち上がった。
「待って。お願い、最後まで聞いて」
妻の手が宙をかき、主人の手を捕まえた。主人はびくりと身体を強ばらせた。妻が自分に向けて言葉を発することも、自ら自分に触れることも実に半年ぶりのことだった。
主人は思い直して椅子に座り、目を閉じて唄を聞いた。
妻は、主人を誇りに思っていた。家族を守るために身を削っているのがわかっていた。家庭を守り、主人を支え、子どもたちに囲まれて幸せだった。それなのに、流行病から子どもたちを守ることができなかった。
妻は自分を責めていた。自分のせいで、主人が苦しんでいるのがわかっていた。申し訳なくて、自分が情けなくて、自分のせいで全てを失った主人に顔向けできないと感じていた。
ごめんなさい、ごめんなさい。
どうか私を捨て置いて、自由になって欲しい。
ごめんなさい、ごめんなさい。
どうか私を捨て置いて、楽になって欲しい。
あなたの幸せを願っている。
夫は泣きながら妻を抱きしめた。そんなことはない、そんなことはない、と。
「謝るのは俺の方だ。すまなかった」
妻は弱々しい腕で主人を抱きしめ返した。妻は涙を流しながらかすれた声で
「愛しています」
と言った。主人も愛していると繰り返した。
気がつくと、演奏は既に終わっていた。そして、少女はいなくなっていた。




