第1章 #2
【#2】
カウンターで大柄な男と華奢な少女が隣り合って座るその姿は、どこか異様な光景だった。男は体格に似合わず肩を前に丸め、ぽつりぽつりと言葉を紡いだ。
男の話はこうだった。
男には妻と2人の子どもがいた。半年ほど前に流行病で子どもは2人とも亡くなり、妻も一命はとりとめたものの後遺症で視力を失い、足も不自由になってしまった。今は心も塞ぎ込み、物を食べようとせず痩せ細っている。衰弱し、町医者には今のままでは長くないと言われている。
「俺は君の唄を聞いて、本当に海にいるような心地になった。見えた気がしたんだ。妻は耳は聞こえているんだ。だから、君の唄の力で妻に・・・そうだな、海でもいい、山でもいい。なんでも見せてやって欲しいんだ」
「海でも、山でも・・・」
「ああ、なんでもいいんだ。俺は・・・妻の笑顔が見られればそれだけで・・・」
男はそう言って言葉に詰まった。すっかりぬるくなってしまったビールを喉に流し込み、それと共に言いかけた言葉を飲み込んだ。
「歌ってもらえれば、対価も払う。君は唄で生計を立てているんだろう?君にとっても悪くない話のはずだ」
「確認ですが」
少女は男の話を遮った。少女の前に置かれた皿にはクリームチーズがひとかけらだけ残っていた。少女はそれを口に放り込んだ。
「あなたはあなた個人のために唄を歌って欲しい。そういうことでしょうか」
「俺個人・・・いや、妻のためだが、確かにまあ・・・」
男は居心地悪そうに口をもごつかせた。
「個人のためには、私は歌わないと決めています。申し訳ないですが、そういうことで」
そう言って少女は残りのワインを飲み干し、店主にお勘定を渡した。男は慌てて少女を引き留めた。
「待ってくれ、頼みを聞くと言ったじゃないか!」
「いいえ。話は聞く、とだけ言ったはずです」
「だが・・・!」
男はぐっと拳を握り、唇を噛んだ。
「頼む、君しかできないことなんだ。妻にもう一度、笑顔になって欲しいだけなんだ・・・」
少女はしばらく男の様子を見て、無言で立ち去ろうとした。男は勘定表の裏に走り書きをして、少女に握らせた。
「うちの住所だ。名はハミルトンという。気が変わったら、明日うちに来て欲しい。すまない、面倒をかけた」
男はそう言うと、少女より先に酒場を出て行った。雨が降り止む気配は無く、酒場の扉が閉まる音と他の客の賑わいが残った。




