第1章 唄の力
【第1章 #1】
その夜、激しい雨が石畳を打ち、人々は雨を避けるように急いて家路についていた。普段より人通りの少ない大通りを、小柄な馬の手綱を引いて1人の少女が歩いていた。
黒いフードを深くかぶり、顔はよく見えない。
少女は酒場の看板を見つけると、窓越しに中の様子をうかがった。寂しげな通りとは裏腹に、酒場の中では陽気な音楽が奏でられ、客たちが愉快そうに酒を嗜んでいた。
少女は頑丈そうな木の扉を押し開け、中に入った。
「いらっしゃい。お、かわいいお客さんだね。ミルクでも飲んでいくかい?」
店主らしき男は豪快に笑った。
「白ワインとクリームチーズ」
少女はそう注文してカウンターに腰掛け、辺りを見回した。顔を赤らめ談笑する男たち。疲れた顔で1人つまみをつつく者もいれば、グラスを片手に見つめ合う男女もいる。人々の奥ではバンジョーを持った青年が満足気に弦を弾き、異国の唄を披露していた。客たちに、青年の唄に聞き入る様子は無く、各々の世界に浸っているように見えた。
「店主さん、ちょっといいかな」
少女はグラスに安っぽいワインを注ぐ店主に呼びかけ、何やら耳打ちした。店主はお、と目を見開いた後豪快に笑い、少女の肩を叩いて酒場の奥に消えていった。
しばらくすると、バンジョーの音が鳴り止み、青年が深々と礼をするのが見えた。青年が帽子に投げ銭を集めるのを横目に、店主が少女に向かって親指を上げた。少女は席を立ち、皮布から古びたギターを取り出した。
「よっ、次は嬢ちゃんか」
「良い歌聞かせてくれよ」
方々から笑い声と共に茶化すような声援が上がる中、少女は店主に軽く会釈してフードマントを脱いだ。銀色のさらりとした長髪がこぼれ、青い瞳の端整な顔立ちが覗き、客たちの視線が集まった。白く細い指を弦にかけ、チューニングを終えると、少女は静かに曲を紡ぎ始めた。
軽やかな旋律に、甘い歌声が絡まる。ギターと歌声が精巧なガラス細工を編み上げるように丁寧に紡がれていく。客たちは酒を飲むのも忘れ、少女の唄に聞き入った。1人でつまみをつついていた男性客もふらふらと頭をもたげて少女の唄に耳を傾けた。
それは、軽快な音色とは裏腹に、切ない別れの曲だった。
眼下に広がる広大な海。
そこに撒かれる遺骨。
海風に乗り、風と共に、海に漂い、水と共に。
世界と共にいつまでも見守っていてほしい。
そのような内容の唄に思えた。
少女の唄はまるで男の渇きを潤す水のように、心に染み入り、男の目からは知らない内に涙が溢れていた。
少女は1曲演奏を終えると、軽く息をついて静まりかえった観衆に深く礼をした。途端、客たちから歓声が沸き起こり、酒場の外で見舞われた雨のような投げ銭と拍手とが少女に振りかけられた。少女は顔色ひとつ変えずにフードをまた深くかぶり、投げ銭を袋にまとめていった。少女が店主に再び会釈してそそくさと酒場を後にしようとした時、男は慌てて少女を追いかけた。
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
少女は男に気付かないふりをして酒場の扉に手をかけた。その手を男は必死の思いでつかんだ。
「頼みがある。どうか、話だけでも聞いてほしい」
真剣な声色に、手を振り払おうとしていた少女は動きを止めた。長身に筋肉質の身体の男は、朱色の瞳の奥底に悲しみと希望とが入り交じったような色を浮かべていた。
「君にならできる、いや、君にしかできない頼みなんだ」
男の声には切迫感があった。
「・・・わかりました。話はお聞きします。なので手を離して頂けますか」
少女はしぶしぶといった様子で扉から手を離した。




