【56】嵐再び
マルクさんが帰った後は、いつも通りの店内だった。聞かれた商品を出したり、売ったり。その間ずっと笑顔だった私は、アンリエットさんに「何か良いことでもあったのかい?」と聞かれ「い、いつも通りですよ!」と慌てて答えたりと、必要以上に顔に気を付けて1日を無事に終えた。と、思っていた。
「もういいわよね!」
看板をしまうために外に出たところで、後ろから不意に声をかけられた。
今朝方の声をまたしても聞くとは……。なんとも律儀な。私は看板に手を掛けながら、ゆっくりと後ろを振り向いた。
そこには腰に手を当て仁王立ちしたティナがいた。
はぁ。と、ため息をつきながら、看板に目を向けた後にティナを見て苦笑いを浮かべた。
「……あー、もう少し。ですかね……」
そんな私を見て、後ろからひょっこりと姿を現したのがエマだ。ティナの腕の裾をちょいちょいと引っ張りながら私に申し訳なさそうな顔を向けた。
「ティナちゃん、早いって……」
「だってもう閉店でしょ! だったらいいじゃない!」
「この後に、片付けとかあるんで……」
「じゃあいつならいいのよ!」
イライラとしてきたティナは、腰に置いていた手を握り込んでグッとこらえていた。エマに注意されていたからか、これ以上は動きもしない。
アンリエットさんもルアンダさんも、悪い子じゃないって言ってたし、あんまり喧嘩腰に話をしたくないんだけどなぁ。思いっきり誤解だし……。
「ちょっと待ってて下さい。アンリエットさんに出掛けてくることを伝えてきますので。そうだ、広場の噴水の所でも良いですか?」
「ごめんなさい、噴水の所で待っていれば良いんですね? ほら、ティナちゃん、先に行って待ってようよ」
「あんた、絶対に逃げるんじゃないわよ」
エマに言われて渋々と言った様子で、ティナはお店を後にした。最後の台詞が毎度凄いな……。
看板を持ち上げ店内に戻った私は、一部始終を見ていたアンリエットさんに、可愛そうな子を見る目で見られていた。
「あ、何かすみません。今日も出掛けてきます」
「アリスも大変だね。遅くならないように気を付けなよ」
「はぁ。あの子たち次第、ですかね……」
ポンっと、肩を叩かれ思わずガックリしてしまう。できれば仲良くしたいんだけど、なかなか話が通じなさそうで困ってしまった。
ガックリしたままパチンと指をならして、店内を綺麗にしてから私は少し重い足取りでお店を出ていった。
賑わう広場の噴水前。昨日と同じ場所に、ティナとエマは座っていた。
「お待たせしました」
連日になる広場へのお出掛けに、また遊べる! と、嬉しそうに姿を消したリゲルは、噴水に突入した後だった。そんなに噴水が好きですか。リゲルくん。
不自然に上がる水しぶきを見ながら、私も座ろうと隣のベンチに腰を下ろした。
「はじめまして、東の森の奥から来ましたアリスといいます」
何か言われる前に、自己紹介だけはしておこうと、ニッコリ笑ってお辞儀をした。
「知ってるわよ」
ムスっとした表情で、腕組をしながらティナが反応した。
「そうですか。で、あなたたちは?」
「はぁ?! なんであんたに名乗んなきゃなんないのよ!」
「同じ様に私を呼び出した子は、ちゃんと教えてくれましたよ」
言った瞬間クワッと目が見開かれた。何かビームとか出そうで怖いんですけど……。
「ティナちゃん! 名前も言わなくてごめんなさい。私はリュカくん家のお店の通りにある魔石屋の娘で、エマっていいます」
エマがひょこっと頭を下げた。うん。この子とは仲良くできそうな感じかな?
「ほら、ティナちゃん!」
肘でティナをつつくエマ。ティナはものすごく嫌そうな顔をしながら私を見ると、ふんっとそっぽを向いてしまった。
あちゃー。こりゃダメかな? そう思っていると、ボソボソとなんとか聞き取れそうな声で話し始めた。
「エマんとこの魔石屋の隣にある、防具屋の娘でティナよ」
なんとか自己紹介だけはしてくれたようだ。ものすごく聞き取りづらかったけど……。
「うん。エマにティナね、よろしく」
「あ、よろしくお願いします」
笑顔でよろしくと言うと、反射的にエマが答えてくれた。そんなエマを見てティナはエマの腕を引っ張る。
「何よろしくされてんのよ!」
「あ、だって」
「だってじゃないわよっ」
小声で話してても丸聞こえなんですけどね……。三人の間に微妙な沈黙が流れた。えーっと、これはどうしたらいいのかなぁ……。
途方にくれそうになる沈黙を破ったのは、んんっと咳払いをしたティナだった。
「ねぇ、今朝も言ったけど。あんたどういうつもり?」
「どうって、言われても」
「アンリエットさんもリビオさんも、あそこの家族はみんな優しいからって、まだ居座るつもり?」
「えっと……」
「それとも何? リュカのこと狙ってんの?」
「はぁ? リュカを狙う?」
思わず変な声が出てしまった。今までリュカの家族にもご近所さんにも散々否定してきた事だったから。
「ヤダヤダ、やめて下さいよっ、なんで私がリュカを狙わなきゃなんないんですか」
「何? 違うって言うの?」
「違う違う! 全くもって違いますよ!」
「なっ、やっぱり狙ってるんじゃない!」
「はぇ? なんで!?」
眉間にシワを寄せながら、今の会話を反芻してみる。
否定してるのに狙ってると思われる。言葉のマジックだね。違うって言うの? の返答に違う違うは、間違ってるね。
「そうじゃなくて! 狙ってないです! 全然! これっぽっちも!!」
今度こそ完全否定してやった。これでもかってくらいハッキリと。
「じゃあ何でいつまでもリュカん家にいるのよ!」
意味が分からないと、ティナはベンチから立ち上がり抗議してきた。私は今の自分の状況をちゃんと説明しなければならないなと、真剣に考えた。異世界云々は抜きにして、だけど。
じゃないとポッと出の女に、友達の想い人が持っていかれてしまうと勘違いしているこの子たちを納得させられないと思った。
「私、行くアテがないんです」
「東の森から来たって言ってたじゃない、帰ればいいだけじゃないの!」
怒り心頭のティナに言葉の続きも言わせてもらえない。帰ればいい。その言葉がグサッと心に突き刺さった。キューっと胸が締め付けられる感じがして、痛い部分を手で押さえながら、何とか笑顔だけは作れたと思う。
「帰れたら、いいんですけどね……」
「じゃあ帰んなさいよっ」
話が若干噛み合わなくて、焦れてイラついてるティナに、その噛み合わなさを読み取ろうとするエマが、遠慮がちに聞いてきた。
「帰れたらって、どういう意味なの?」
聞いてくれたことに少しだけ驚きながらも、んー、と考えてから素直に答えた。
「もう帰れないんですよ。ここには帰る場所すらなくて。お父さんにもお母さんにも、お兄ちゃんにだって、会えない……」
まだ帰れなくなったと、決まったわけではなかったから、言わないようにしていたことだった。言葉にしたのは初めてで、言ったそばからどんどん胸が苦しくなっていった。絶対じゃないかもしれないけど、何となく帰れないんだろうなって気持ちも、少なからずあった。
笑顔を作るにも限界で、俯いて顔を隠す。目頭が熱くなって、涙が今にもこぼれ落ちそうだった。
『アリス? 大丈夫?』
『リゲル……』
私の揺らぎを悟ってか、リゲルが噴水から戻ってきてくれた。膝の上に置いた手の上に乗って不安げな顔で見上げていた。リゲルが来てくれて少し落ち着けた。不自然にならないようにリゲルを指で撫でながら気持ちを落ち着かせていく。大丈夫。私にはリゲルがいる。
ズズッと鼻をすすって涙を拭ってから立ち上がり、深々と二人に頭を下げた。
「私、もうどこにも帰れなくて。世間知らずで、今のままじゃたぶん行き倒れると思うんです。図々しいかもしれないけど、自立できるまでお世話になるつもりです。アナベラさんの代わりで雇ってもらってますし、復帰するまでは投げ出せません。いきなり来て不愉快な思いをさせていたのなら謝ります。でも、リュカは私の恩人で、何にも知らなかった私に色んな事を教えてくれた人で、恋愛感情なんて全然ないです。それはリュカもご家族のみんなも知っています。目障りかもしれないけど、もう少しだけ目を瞑ってはくれませんか?」
頭を下げたまま、長い沈黙が流れた。
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