第4章 第96話 切った尻尾が上になった
その2日後。
WHAから、一件の人事が発表された。
内容そのものは、驚くほど簡素なものだった。
『WHA人事のお知らせ』
『WHAは、東アジア統合支部長として、藤堂 剛氏が着任したことをお知らせいたします』
『藤堂氏は長年にわたり、日本国内におけるハンター支援、ダンジョン管理および組織運営に携わっており、その豊富な実務経験と知見を評価し、今回の就任に至りました』
それだけだった。
藤堂がなぜ前職を退いたのか。JHAとの間に何があったのか。いつ、どのような経緯でWHAとの話が始まったのか。そうしたことには一切触れられていない。
ただし、公開された略歴には当然のように一行が記されていた。
『前職――JHA大阪支部長』
その一行を世間が見逃すはずもなかった。
『は?』
『ちょっと待てw』
『藤堂さん???』
『WHA東アジア統合支部長???』
『2日前までJHA大阪支部長だった人ですよね?』
『そうです』
『JHA辞めました』
『2日後WHAです』
『しかも支部長→支部長』
『大阪→東アジア』
『管轄広がってんじゃねーかwww』
『これ栄転では?』
『トカゲの尻尾切ったら、その尻尾が他所で偉くなったんだが』
『再生能力高すぎだろ、そのトカゲ』
つい2日前まで「トカゲの尻尾切り」と騒いでいたネットは、当然のように祭りになった。
しかも、WHA東アジア統合支部は日本だけを担当する組織ではない。東アジア地域を横断し、ハンター支援やダンジョン関連業務を扱う広域拠点である。
大阪支部長という肩書きを失った男が、わずか2日後には、より広い地域を担当する組織の長として名前を連ねていた。
『これJHAどういう顔すればいいんだよ』
『責任取らせて辞めさせたっぽい人間をWHAが即採用』
『WHA「重大な違反ないんですよね? じゃあもらいます」』
『やめて差し上げろ』
『しかも真神に一番まともに対応してた人だろ?』
『真神→WHA』
『藤堂→WHA』
『JHAは何を獲得したんです?』
『責任の所在』
『wwwwww』
笑い話のように消費される一方で、報道各社もすぐに動いた。
藤堂の退職を取り上げたニュース番組では、わずか2日前とほぼ同じ顔ぶれが、今度はWHAの人事発表を前に何とも言えない表情を浮かべていた。
「……2日前ですよね?」
「2日前ですね」
「藤堂氏がJHAを退職したのは」
「はい」
「そして今日、WHA東アジア統合支部長に着任」
「そういうことになります」
「これ……いつ決まったんでしょう?」
「現時点では分かりません。WHAは人事上の詳細について回答していません」
「JHAは?」
「こちらもコメントしていません」
「…………」
妙な沈黙がスタジオに落ちた。
「ただ、一つ言えるのは――少なくともWHAは、藤堂氏を『組織から去らせるべき人材』とは評価しなかった、ということでしょうね」
「東アジア統合支部長ですからね」
「ええ。しかも前職より管轄範囲は広い」
2日前、JHAは一つの人事を決めた。
真神幸一郎がJHAを離れ、WHAを選んだ。その結果に対して、組織として誰かが責任を取らなければならなかった。もっとも近い場所にいた藤堂剛が、その役割を担った。
そしてWHAもまた、一つの人事を決めた。
長年ハンターとダンジョンの現場に関わり、組織運営の経験を持つ男を、東アジア統合支部の長に据えた。
同じ一人の人間を見て。
二つの組織は、まったく違う判断を下した。
◇ ◇ ◇
だが、本当の騒ぎが表へ出てきたのは、それから数日後だった。
一冊の週刊誌が電子版に掲載した記事が、新たな火種を投げ込んだ。
『【独自】「聞いていない!」JHA東京本部騒然――藤堂元大阪支部長、電撃WHA入りの舞台裏』
記事によれば、WHAの人事発表が行われた直後、JHA東京本部では複数の幹部を集めた緊急の打ち合わせが開かれていたという。
問題となったのは、藤堂がWHAへ移ったことだけではなかった。
その就任先だった。
WHA東アジア統合支部長。
つい2日前まで大阪支部長だった男が、JHAを離れた直後、今度は東アジア地域を担当するWHAの責任者として名前を連ねた。
記事には、匿名のJHA関係者による証言も掲載されていた。
『最初はみんな、何かの間違いじゃないかという反応でした。藤堂さんがWHAへ行くという話自体、少なくとも現場レベルには一切ありませんでしたから』
別の関係者は、発表直後の本部についてこう語っている。
『かなり慌てていましたよ。「いつから話が進んでいた」「退職前から接触していたんじゃないか」「WHAに確認できないのか」と。藤堂さん本人へ連絡しようという話まで出ていました』
そして記事は、その証言の直後に、わざわざ一文だけを独立させていた。
『でも、もう退職していますからね』
当然、そこだけが切り抜かれた。
『でも、もう退職していますからね』
『草』
『そりゃそうだwww』
『自分で辞めさせたんだろw』
『JHA「藤堂に確認しろ!」』
『職員「もう部外者です」』
『美しすぎる』
『何のために退職させたんだよw』
だが、記事はそこで終わっていなかった。
JHA東京本部が特に気にしていたとされるのが、WHAによる藤堂への接触時期だった。
もし退職前からWHAが藤堂を勧誘していたのであれば、話は変わってくる。JHA所属中から水面下で引き抜きが進められていた可能性が生まれるからだ。
週刊誌は、その点についてWHAにも問い合わせていた。
返ってきた回答は簡潔だった。
『藤堂剛氏に対する正式な就任打診は、同氏がJHAを退職した後に行われています』
それ以上でも、それ以下でもなかった。
『退職後www』
『引き抜きですらなかった』
『JHAがフリーにしたから拾っただけじゃねーか』
『WHA「落ちてたので」』
『やめろw』
『捨てたのJHAじゃん』
『真神の時もそうだけどWHAって別に奪ってないんだよな』
『選択肢出して本人が選んでるだけ』
『またそれかよ』
最後の一言には、単なる笑いでは済まないものがあった。
真神幸一郎の時も、そうだった。
WHAはJHAから幸一郎を奪ったわけではない。レイチェル・アシュフォードは一つの選択肢を示し、幸一郎自身がそれを選んだ。
そして今回も同じだった。
JHAが藤堂を退職させた。
その後でWHAが新しい席を示した。
藤堂が選んだ。
それだけのことだった。
◇ ◇ ◇
当然、その週のJHA定例会見でも質問が飛んだ。
「先日報道された、藤堂剛氏のWHA東アジア統合支部長就任に関する記事について、事実関係を確認させてください。WHAの発表直後、東京本部で緊急の協議が行われたというのは事実でしょうか」
「内部の会議や協議の内容については、回答を差し控えます」
「では、藤堂氏のWHA東アジア統合支部長就任について、JHAとしてコメントは?」
「すでに退職した人物の進路について、当協会から申し上げることはありません」
「WHAに対して抗議、あるいは問い合わせを行った事実はありますか?」
「個別の組織間協議については回答を差し控えます」
「藤堂氏本人へ連絡を取ろうとしたという報道については?」
「回答を差し控えます」
慎重な回答が続く。
記者席から、さらに声が飛んだ。
「藤堂氏を退職させた判断について、現在も適切だったとお考えですか?」
そこで、回答が一瞬遅れた。
「……当時、必要な組織上の判断であったと認識しています」
記者たちのペンが一斉に動いた。
「では、その『必要な組織上の判断』によって退職した人物が、わずか2日後にWHAから東アジア統合支部長として迎えられたことについては、どのように評価されていますか?」
「先ほど申し上げた通り、退職後の進路について当協会から申し上げることはありません」
「WHA側は藤堂氏の実務経験と知見を高く評価したと発表しています。JHAとしては、その人材を失ったことになりますが?」
「同じ回答になります」
「真神幸一郎氏に続いて、藤堂氏までWHAへ移りました。JHAの人材管理そのものに問題があるのではありませんか?」
「そのようには認識しておりません」
回答は崩れなかった。
だが、その日のニュース番組では、二つの言葉が並べて表示された。
『必要な組織上の判断』
その隣には、
『WHA東アジア統合支部長 藤堂 剛』
同じ人間を前にして、一方の組織は結果に対する責任を負わせ、席を外した。
もう一方の組織は、その経験を評価し、新しい席を差し出した。
どちらの判断が正しかったのか。
その答えが出るのは、まだ先のことなのだろう。
ただ一つだけ確かなことがある。
真神幸一郎がJHAを離れたという結果に区切りをつけるため、藤堂剛に責任を取らせたはずだった。
その藤堂は、わずか2日後。
真神幸一郎と同じWHAの人間になっていた。
JHA東京本部が切ったはずの尻尾は――どういうわけか、切る前より立派な肩書きをつけて戻ってきていた。




