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第4章 第94話 それでも組織は悪手を引き続ける。

その人事が公表されると、騒ぎになるまでにそれほど時間はかからなかった。


『JHA大阪支部長・藤堂氏、退職』


 最初に流れたのは、それだけなら大きな組織では珍しくもない人事ニュースだった。だが、名前が悪かった。いや――時期が悪すぎた。


 真神幸一郎が8年ぶりに六甲山ダンジョンから帰還した際、最初に対応したJHA側の責任者。古すぎる入場記録の確認から帰還直後の保護、その後の対応まで、一連の出来事で何度も名前が登場していた大阪支部長。その藤堂が、JHAを去る。


 しかも今、世界では真神幸一郎がWHAへ提供した異鉱物によって、ダンジョン攻略そのものが変わろうとしていた。


 誰かが最初に書き込んだ。


『これ、トカゲの尻尾切りじゃね?』


 燃え広がるには、それだけで十分だった。


『俺もそれ思った』

『真神がWHA行った責任取らされた?』

『いや待て、この人って帰還直後に対応してた大阪の人だろ』

『シャワーとか服とか用意した人?』

『祖父母の家に帰す手配したのも大阪支部じゃなかった?』

『むしろ初動まともだった側じゃん』

『だから現場責任者なんだろ』

『一番近かった奴に全部被せたようにしか見えん』

『東京本部は?』

『そこなんだよな』


 当然、JHAにも問い合わせが殺到した。藤堂の退職と幸一郎のWHA移籍に関係はあるのか。今回の人事は処分なのか。大阪支部に何らかの問題があったのか。幸一郎への対応について、藤堂個人に責任が認定されたのか。


 JHAが出した回答は簡潔だった。個別の人事について詳細は回答しない。藤堂個人に重大な法令違反、規定違反が確認された事実はない。組織運営上の判断によるもの――それだけだった。


 当然、それで収まるはずもない。


『重大な違反なし』

『じゃあなんで辞めたんだよw』

『組織運営上の判断(意味深)』

『答え合わせしてるようにしか見えない』

『真神がWHA行きました』

『世界最強クラスのハンター失いました』

『ハワイ石油はWHAです』

『異鉱物研究もWHAです』

『責任者が必要です』

『大阪支部長「え?」』

『やめろw』


 笑い話のように消費する者もいれば、本気でJHAを批判する者もいた。そして話はネットだけでは終わらず、夕方のニュース番組でも藤堂の退職が取り上げられた。


 画面には藤堂の経歴と、その横に幸一郎の帰還から現在までの簡単な時系列が表示されている。


「これ、かなり批判が出ていますね」


「出るでしょうね。時期が時期ですから。ただ、JHAは藤堂氏に重大な規定違反などがあったとは発表していません」


「そこなんですよね。もし大阪支部長として重大な判断ミスがあったというのであれば、それを説明すればいい。しかし、そうではないと言っている。それなのに、このタイミングで退職する」


 別の出演者が画面を見ながら口を挟んだ。


「でも藤堂さんって、真神さんが帰ってきた直後から対応していた人ですよね?」


「そうです」


「当時の報道を見る限り、むしろかなり現場で動いていた印象がありますけど」


「そこも今回、批判されている理由でしょう。真神氏への対応方針は、当然ながら大阪支部だけで決められるものではありません。特に後半になるほど、JHA中央の関与が大きくなっていたと考える方が自然です」


「それなのに、辞めるのは大阪支部長?」


「だから――トカゲの尻尾切りではないか、と言われているわけです」


 スタジオがわずかに静かになった。


 もちろん、外から組織内部の事情までは分からない。藤堂自身も何も語っていない。だが世間には一つだけ分かることがあった。


 真神幸一郎がJHAを離れた。


 そして、その結果が世界規模にまで膨らみ始めたところで、彼にもっとも近い場所にいたJHAの責任者が組織を去った。


 偶然だと言うには、あまりにも出来すぎていた。


     ◇ ◇ ◇


 報道各社が次に向かった先は、当然ながら大阪だった。


 藤堂本人から話を聞こうと、記者たちは大阪支部周辺だけでなく、彼が現れそうな場所へ散っていった。そして昼を少し過ぎた頃、ようやくその姿を捉えた。


「藤堂さん!」


「藤堂さん、少しお話を!」


 駅へ向かって歩いていた藤堂が足を止める。たちまち記者たちが集まり、いくつものマイクが差し出された。


「今回の退職について、JHAからどのような説明を受けたのでしょうか!」


「真神幸一郎氏のWHA移籍と関係があるという報道がありますが、事実ですか!」


「一部ではトカゲの尻尾切りではないかという批判も出ています!」


 藤堂は押し寄せる質問をしばらく聞いていたが、表情を変えることはなかった。


「申し訳ありませんが、組織の決定について、私から申し上げることはありません」


「では、ご自身の意思での退職ではない?」


「それについても、お答えするつもりはありません」


「退職勧告を受けたという情報があります!」


「今回の処分に納得されているんですか!」


「JHA本部に対して言いたいことはありませんか!」


 藤堂は答えなかった。その態度が、かえって記者たちを勢いづかせる。


「真神氏をWHAへ移籍させた責任を取らされたのではないですか!」


「真神氏への対応は大阪支部だけで決めたものだったのでしょうか!」


「東京本部から指示はありましたか!」


 それでも藤堂は口を閉ざしたままだった。すでにJHAを離れることが決まったとはいえ、昨日まで所属していた組織だ。内部の事情を外へ向かって語るつもりはない。


「失礼します」


 短く告げ、再び歩き出そうとする。


 その時だった。


「藤堂さん! 真神さんへの対応を――後悔されていますか!」


 藤堂の足が止まった。


 記者たちも一瞬だけ静かになる。


 藤堂は振り返った。


「いいえ。それについては」


 迷いのない返事だった。


 途端にシャッター音が重なった。


「それはどういう意味ですか!」


「真神氏への対応は正しかったと?」


「では、問題があったのは本部側だということでしょうか!」


「今回の退職とは関係がないということですか!」


 藤堂はそれ以上答えなかった。


「失礼します」


 今度こそ歩き出す。記者たちはしばらくその背中を追ったが、追加の言葉を引き出すことはできなかった。


 だが、その日の夕方。わずか数秒のやり取りが、全国のニュース番組で繰り返し流されることになる。


『真神さんへの対応を――後悔されていますか!』


『いいえ。それについては』


 退職の理由については語らない。JHA本部への不満も語らない。自分が責任を取らされたのかという問いにも答えない。


 ただ、幸一郎への自分の対応についてだけは、迷うことなく否定した。


 当然、ネットは再び騒がしくなった。


『それについては』

『「それについては」いただきました』

『じゃあ何については後悔してるんですかねえ』

『余計に怪しくなってて草』

『本人なんも暴露してないのにJHAが勝手に燃えていく』

『真神への対応だけは後悔してないって断言したぞ』

『そりゃそうだろ。帰還直後から一番まともに話してたのこの人じゃん』

『東京「誰か責任取れ」』

『大阪支部長「俺?」』

『やっぱ尻尾じゃねーか』


 藤堂の発言を、JHA本部への告発だと捉える者まで現れた。しかし、それにはすぐ反論もついた。


『いや、本部批判は一言もしてないぞ』

『質問されたことにもほぼ答えてない』

『唯一答えたのが「真神への対応を後悔してるか」だけ』

『だから余計に強いんだよ』

『少なくとも自分が真神にしたことについては後ろめたくないんだろ』


 テレビでも、その短い返答の意味が議論された。


「かなり慎重に話されていますね」


「そうですね。JHAを批判する発言は一切ありません。退職理由についても答えていない。ただ、この質問にだけ答えた」


 画面でもう一度、映像が流れる。


『真神さんへの対応を――後悔されていますか!』


『いいえ。それについては』


「これを本部批判と解釈するのは行き過ぎでしょう。ただ、少なくとも藤堂氏自身は、真神氏に対する自分の対応について後悔していない。それだけは明確です」


「となると、やっぱり疑問は残りますね」


「ええ」


「藤堂氏は――何の責任を取ったんでしょうか」


 その問いに答えられる者は、スタジオにはいなかった。


 藤堂自身も、答えるつもりはなかった。


 8年ぶりに地上へ帰ってきた青年に、まずシャワーと着替えを用意した。古すぎる記録を確認し、祖父母のもとへ帰るための手段を整えた。その後も、少なくとも本人の話を聞こうとした。


 それが十分だったとは、藤堂自身も思っていない。


 もっとできたことがあったのではないかと問われれば、おそらくこれから何度も考えるだろう。


 それでも。


 あの時、帰る場所すら定まっていなかった青年を、一人の人間として扱おうとしたことだけは――藤堂にとって、後悔するようなものではなかった。

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