第4章 第92話 組織の論理
藤堂が東京本部へ呼び出されたのは、WHAによる異鉱物研究が世界的な動きを見せ始めてから、しばらく経った頃だった。
指定された会議室には、すでに数人の幹部が待っていた。挨拶を交わして席へ着くと、机の上には幸一郎が帰還してからWHAへ移籍するまでの経緯をまとめた資料が置かれている。
「藤堂君。今日来てもらった理由については、察していると思う」
「真神君の件でしょうな」
「ああ」
否定されなかった。幹部の一人が資料へ目を落とし、しばらく言葉を選んでから口を開く。
「先に言っておく。今回の件について、君個人の判断に重大な過失があったと結論づけたわけではない」
「……では?」
「記録を確認する限り、君は本部の方針に対して何度も懸念を示している。真神氏本人の意思を尊重すべきだとも主張していた。それも把握している」
藤堂は黙って続きを待った。
「だが――結果が出てしまった」
その一言で、何を言われようとしているのか、おおよその見当はついた。
真神幸一郎はJHAを離れ、WHAを選んだ。
それだけなら、一人のハンターが所属先を変えたという話で終わったかもしれない。だが、その後に起きたことはあまりにも大きかった。
ハワイダンジョンの完全攻略。《資源庫》による石油の選択。そして今では、幸一郎が持ち帰った異鉱物を利用し、他のハンターたちをより深い階層へ進ませるための研究まで始まっている。
世界が真神幸一郎を中心に動き始めていた。
その男が、JHAではなくWHAを選んだ。
「この結果に対して、組織として誰も責任を取らないというわけにはいかない」
「本部にも責任はあるでしょう」
「当然だ」
返答は早かった。
「方針を決めたのは本部だ。真神氏に対する対応の多くが、ここで検討されたことも否定しない」
「ならば、なぜ私がここに?」
藤堂は分かっていながら尋ねた。
しばらく沈黙したあと、正面に座る男が答えた。
「真神氏の帰還後、もっとも近い位置で対応していた責任者が君だったからだ」
「大阪支部長だった私が?」
「ああ」
「私の対応が間違っていたからではない」
「そうだ」
「重大な過失があったわけでもない」
「それも違う」
「それでも、誰かが責任を取らなければならない」
今度は返事がなかった。
それが答えだった。
「……なるほど」
藤堂は椅子へ深く背を預けた。
組織というものを長く見てきた。大きな結果が出た時、原因を検証することと、その結果に対して責任を取る人間を決めることが、必ずしも一致するとは限らない。
幸一郎がJHAを離れた。
その結果は、もはや無視できないほど大きくなっている。
ならば誰かが責任を取らなければならない。
そして一連の経緯の中で、幸一郎にもっとも近い場所にいた責任者が藤堂だった。
「随分と正直に仰いますな」
「君に事実と違うことを言っても仕方がない」
「それだけは感謝しておきましょう」
藤堂は机上の資料へ視線を落とした。
自分が違う対応をしていれば、結果も違っていただろうか。
一瞬だけ考え、やめた。
幸一郎がJHAを選ばなかった理由は、藤堂一人の判断でどうにかできるようなものではない。それは、この場にいる人間たちも分かっている。
「それで、処分は?」
「大阪支部長職を解く」
「はい」
「その上で、退職を勧告する」
「承知しました」
あまりにも早い返答に、幹部たちの方がわずかに戸惑った。
「……異議はないのか」
「異議を申し立てて、代わりに別の誰かが責任を取るのであれば、あまり意味はないでしょう」
「藤堂君」
「分かっていますよ。組織には組織の事情がある。それくらいは」
納得したわけではない。
正しいとも思わない。
だが、決定を覆すために争う気にもなれなかった。
藤堂は資料を閉じた。
「一つだけ、申し上げても?」
「何だ」
「今回、私を切ることについてではありません」
藤堂は室内にいる幹部たちを見渡した。
「次に、真神君のような人間が現れた時のことです」
誰も口を挟まなかった。
「その人間をどう使うか。何をさせるか。どこまで活動させるか。どう管理するか。そして、どんな社会的責任を負わせるか」
一度、言葉を切る。
「それを決める前に、一度くらい本人の話を聞いてやってください」
会議室に沈黙が落ちた。
「真神君は、何も話さなかったわけではありません。必要なことを聞けば答えていた。ただ、こちらが先に答えを決め、その通りに動かそうとすれば、話す気もなくなるでしょう」
「…………」
「私から申し上げたいのは、それだけです」
藤堂は立ち上がった。
長く所属した組織だった。未練がないと言えば嘘になる。それでも、ここでしがみつく気にはなれなかった。
一礼して会議室を出る。
扉が閉じたあとも、室内ではしばらく誰も口を開かなかった。
藤堂に重大な過失があったわけではない。
それを、この場にいる全員が知っていた。
ただ、真神幸一郎がJHAを去った。
その結果に対して、誰かが責任を取らなければならなかった。
そして、もっとも近い場所にいた人間が藤堂だった。
◇ ◇ ◇
その事実が幸一郎へ伝わったのは、数日後だった。
WHAの施設で、セルマが整理した資料に目を通していた幸一郎の手が止まる。
「……藤堂さん、辞めたの?」
「はい。正確には、退職勧告を受けました」
「何かやった?」
「いいえ」
セルマは淡々と答えた。
「真神さんがJHAを離れ、WHAへ移籍した。その結果について、組織として責任を明確にする必要があったようです」
「…………」
「藤堂氏に重大な過失が認められたわけではありません。当時、真神さんにもっとも近い立場にいた責任者だった。それが理由のようです」
幸一郎は資料へ視線を戻した。
「……俺がJHA出た責任を、藤堂さんが取ったの?」
「結果としては」
「意味分からんな……」
「はい」
セルマも否定しなかった。
帰還したばかりの幸一郎に、シャワーと着替えを用意した。
古すぎる入場記録の確認に動いた。
祖父母の家へ戻るための手段を整えた。
東京から様々な話が降りてきた時も、少なくとも藤堂は幸一郎本人の話を聞こうとしていた。
JHAにいた人間すべてを信用していたわけではない。
だが藤堂個人に対して、悪い感情はなかった。
むしろ――逆だった。
「…………」
幸一郎は資料を机へ置いた。
その向かいで、セルマがすっと立ち上がった。
「少し、日本へ行ってきます」
幸一郎は顔を上げ、セルマを見る。
何をしに行くのかとは聞かなかった。
セルマも説明しなかった。
「頼んだよ」
「はい」
それだけだった。
セルマは一礼し、部屋を出ていく。
扉が静かに閉じた。
机の上に残された資料には、藤堂の名前が記されている。
ただし、その名前の前にあったはずの肩書きは――もう、どこにもなかった。




