第4章 第88話 ようやくスタートライン
日本国内の研究機関へ異鉱物の試料が届き始めたその日、ネットでは早くも妙な盛り上がりを見せていた。
『【速報】日本にも異鉱物到着』
『やっと来たw』
『○○大学採択確認』
『△△研究所も来たぞ』
『企業にも届いてる』
『普通に日本勢かなり採択されてるじゃん』
『落選してたわけじゃなかったのか』
『試料の量は?』
『海外と同じらしい』
『研究条件は?』
『同じ』
『じゃあ何も問題ないな』
『…………』
『…………』
『じゃあなんで全部最後なんですかねえ』
『言うなwww』
WHAが研究試料の発送を開始してから、およそ2か月。
最初の発送から数えれば、確かに日本はかなり遅い。しかも一つの研究機関だけならともかく、日本国内で採択されたとみられる大学、研究所、企業の多くが、ほぼ同じ時期に集中して試料を受け取っていた。
偶然と言われれば、偶然で済む。
WHAは最初から、約3か月をかけて世界各地へ順次発送すると発表していた。発送順を公表するとも言っていない。日本への発送も予定期間内に行われている以上、規則上の問題は何もなかった。
――だからこそ、余計に怪しかった。
『日本、落選してたんじゃありません』
『ちゃんと採択されてました』
『ちゃんと同じ素材も届きました』
『条件も同じです』
『ただし最終便です』
『約2か月遅れです』
『wwwww』
『これ絶対やっただろ』
『誰が?』
『言わせんな』
『偶然だぞ』
『そうだぞ。偶然、日本だけ綺麗に最終便へ固まっただけだ』
『そんな偶然もあるよな(棒)』
もちろん、断定できる材料などない。
WHAへ問い合わせても、返ってくるのは『発送順については公表しておりません』という回答だけだった。
『記者「真神氏の意向ですか?」』
『WHA「個別の取り決めについては回答しておりません」』
『否定しろよwww』
『否定してなくて草』
『肯定もしてないからな?』
『じゃあ偶然だな』
『お前絶対偶然だと思ってないだろ』
『発送順は非公表です』
『WHA構文やめろw』
そして当然、3か月前の報道まで掘り返された。
『「赦せないものがあることと、未来を考えることは矛盾しません」』
『このコメンテーター正解だったじゃん』
『まさか3か月後に実証されるとは』
『世界の未来は考える』
『日本の研究機関も排除しない』
『素材も同じだけ渡す』
『研究条件も同じ』
『ただし最後』
『最後の一行www』
『壮大なのか小さいのかどっちなんだよ』
『両方だから人間なんだろ』
『なんか安心した』
『次世代の礎とか言われて聖人化しかけてたけど、普通に根に持ってた』
『そりゃ赦したなんて一言も言ってないからな』
もっとも、すべてが笑い話として受け止められたわけではない。
『日本の研究者には関係なくね?』
『大学の先生が真神を追い出したわけじゃないだろ』
『世界規模の研究に私怨を持ち込むのはどうなんだ』
『仮に意図的なら大人気ないとは思う』
そうした意見も当然出た。
『研究から排除された?』
『されてない』
『試料減らされた?』
『同じ』
『研究条件悪くされた?』
『同じ』
『成果共有から外された?』
『外されてない』
『じゃあ何されたんだよ』
『2か月待たされた』
『研究で2か月は普通に痛いぞ』
『だから嫌がらせなんだろw』
『致命傷じゃないけどちゃんと腹立つライン狙ってるの性格悪い』
『静かな復讐(微弱継続ダメージ)』
賛否は分かれた。
だが、少なくとも日本を研究から排除することと、研究開始を少し遅らせることが同じではないことだけは、多くの人間が理解していた。
そんな中、ある投稿が大きく拡散された。
『真神幸一郎』
『世界のハンターが安全に深層へ進めるよう異鉱物を研究用に提供』
『次世代へ技術を残すため国際共同研究を提案』
『軍事転用は禁止』
『日本の研究機関も排除しない』
『試料も同じ』
『研究条件も同じ』
『日本だけ最終便』
『最後の一行で全部台無しwww』
その投稿への返信で、最も多くの反応を集めたのは、たった一言だった。
『台無しじゃない』
『完成したんだよ』
そして、この話題を放っておくネット番組など存在しなかった。
その夜。ダンジョンや国際情勢を扱うネット番組では、巨大な世界地図が画面いっぱいに表示されていた。
「さて、今日はこちらです。WHAの異鉱物研究試料――日本にも、ようやく届きました」
「“ようやく”って言っちゃいましたね」
「事実でしょう。最初の発送から、およそ2か月です」
司会者が画面を操作する。
世界地図の上に、異鉱物の到着が確認された国が時系列で表示されていった。
「アメリカ、ドイツ、英国、フランス。その後、韓国、台湾、シンガポール、オーストラリア。さらにインド、ブラジル、中東諸国――」
「世界一周してますね」
「そして最後に――」
日本列島の上に印が灯った。
「日本です」
「綺麗ですねえ」
「何がです?」
「いや。綺麗に最後だな、と」
「偶然ですよ、偶然」
「まだ何も言ってませんよ?」
スタジオから笑いが漏れる。
「まず事実関係を整理しましょう」
弁護士資格を持つ出演者が資料を確認する。
「日本の研究機関は国際共同研究から排除されていません。複数の大学、研究所、企業が採択されています。届いた試料についても、海外の研究機関と差があるという情報はありません」
「研究条件は?」
「同一です」
「成果共有については?」
「これも同じです」
「では違いは?」
「研究開始が、最初のグループより約2か月遅れた」
「そこだけ?」
「確認できる範囲では、そこだけです」
「……そこだけ綺麗に違うんですね」
「偶然の可能性もあります」
すかさず画面の下に、
《発送順は非公表です。偶然の可能性もあります》
というテロップが表示された。
「番組からもWHAへ問い合わせています」
「なんて聞いたんです?」
「まず、『日本の研究機関が最終発送群となった理由は何ですか』」
「回答は?」
「『発送順については公表しておりません』」
「でしょうね」
「続いて、『真神幸一郎氏の意向が発送順に反映されていますか』」
「攻めましたね」
「回答――『個別の取り決めについては回答しておりません』」
「否定しない!」
「肯定もしていません!」
「でも否定しない!」
「だから肯定もしてませんって!」
再び笑いが起きた。
だが、研究者として出演していた男性は少し違う表情をしていた。
「ただ、研究する側からすると、2か月は笑って済ませられるほど小さくありませんよ」
スタジオの空気が少し変わった。
「そんなに大きいですか?」
「未知の新素材ですからね。最初の物性測定、構造解析、分析方法の確立。その結果を受けて次の研究計画を組む。先に始めた研究機関は、その2か月でかなり先へ進める可能性があります」
「論文競争にも影響しますか?」
「当然あるでしょう。ただ今回は国際共同研究です。成果共有の枠組みもありますから、2か月遅れたことで日本勢が致命的に取り残されるようなものではありません」
「じゃあ、どのくらい?」
研究者は少し考えた。
「……腹は立つでしょうね」
「絶妙だなあ!」
「意図的だったとは言ってませんからね?」
「分かってますよ!」
笑いが戻った。
しばらくして、司会者が3か月前の映像を呼び出した。
そこに映ったのは、WHAの国際共同研究計画が発表された翌日、この国のテレビ番組で語られた言葉だった。
『赦せないものがあることと、未来を考えることは矛盾しません。人間ですから』
「名言でしたね」
「まさか3か月後に、こんな形で検証することになるとは思いませんでしたが」
「でも、本当にそうなんですよね」
一人の出演者が少し真面目な表情になった。
「真神幸一郎を聖人にしちゃいけないんだと思います」
「と言いますと?」
「次の世代のために素材を提供した。自分以外のハンターが深い階層へ進めるようにしようとしている。軍事転用まで禁止した。立派なことだと思います。でも、それと日本を赦すことは別でしょう」
「両立する?」
「するでしょう。世界の未来は良くしたい。でも、自分を追い詰めた社会に対して腹が立っている。それくらい、人間なら普通にある感情じゃないですか」
「だから日本も研究には参加させる」
「でも、ちょっと遅い」
「仮に意図的なら、ですよ」
「はいはい。偶然かもしれませんね」
画面下にはまだ、《偶然の可能性もあります》というテロップが残っていた。
「ただ、こうやって並べてみると面白いですよね」
「何がです?」
「17歳のときに人生を8年持っていかれて――仮にですよ? 仮に今回が嫌がらせだったとして、日本へ返したのが2か月です」
スタジオから笑いが消えた。
「…………」
「それ、言わない方がよかったんじゃないですか?」
「……ちょっと重くなりましたね」
「2か月くらい待てよ、って話になっちゃいますよ」
「いやいや、研究者には関係ありませんから」
「だからこそ、ちゃんと研究試料は届いてるんでしょうね」
少しだけ沈黙が続いた。
やがて司会者が苦笑する。
「本人に聞いてみたいところですが」
「取材、受けてくれませんよ」
「では結論としては?」
司会者はカメラへ向き直った。
「日本の研究機関への発送が最後になった理由は――」
一拍置く。
「発送順については公表されておりません」
「WHAと同じ回答で逃げるな!」
スタジオに笑いが戻り、番組は次の話題へ移っていった。
その後もネットでは、誰が決めたのか、何の意図があったのか、そもそも本当に意図などあったのかと議論が続いた。
答えを知る者は、ごくわずかだった。
そして、その誰も答えるつもりはなかった。
『たぶん、これが一番真神らしいんじゃないか』
そんな書き込みが、長く続いた議論の中に流れた。
『日本を滅ぼしたいわけじゃない』
『日本人を不幸にしたいわけでもない』
『未来から日本を排除する気もない』
『でも赦したわけじゃない』
『だから同じものは渡す』
『ただ最後にする』
『……めんどくさい男だな』
『人間なんてそんなもんだろ』
少しして、最後に一つだけ返信がついた。
『2か月で済ませてくれるだけ優しくね?』
『それは絶対本人に言うな』




