第4章 第88話 2か月の差
WHAが異鉱物を利用した国際共同研究計画を発表すると、各国政府の反応は早かった。
最初に明確な歓迎を示したのはアメリカだった。ハワイダンジョンを巡って、すでにWHAとの協力関係を築いていたことも大きい。
『WHAが発表した国際共同研究計画を歓迎します。本計画は世界のハンターの安全性向上と、将来のダンジョン攻略に大きく寄与する可能性があります。米国政府は、国内の大学、研究機関および企業による参加を支援します』
同時に、研究成果や提供された異鉱物を国家間の紛争や対人兵器へ転用しないというWHAの方針についても、支持を表明した。
欧州各国も続いた。EUは研究の透明性と国際協力を重視する姿勢を示し、複数の加盟国が国内の大学、素材研究機関、ハンター装備メーカーによる参加を後押しする方針を発表した。英国はさらに一歩踏み込み、研究協力だけでなく、自国内に存在するダンジョンについてもWHAとの情報共有を進める用意があると表明した。
アジア各国の動きも早い。韓国政府は国内の大学や研究機関、企業による応募を支援すると発表。台湾も素材研究や加工技術を持つ研究機関を中心に、国際共同研究への参加を後押しする方針を示した。
一方、中国政府の声明は慎重だった。
『異鉱物が将来のダンジョン攻略および世界経済へ与える影響について、慎重に評価する必要があると認識しています』
軍事転用禁止について正面から反対することもなければ、WHAの構想を全面的に称賛することもない。
しかし、その声明が発表された頃には、中国国内の大学や研究機関、企業でもすでに応募へ向けた準備が始まっていた。
表現も、温度も、立場も違う。
それでも各国に共通していることが一つだけあった。
誰も、この流れから取り残されるつもりはなかった。
そして、日本政府も正式な声明を発表した。
『WHAが発表した国際共同研究計画は、世界のハンターの安全性向上と、将来のダンジョン攻略に大きく寄与する可能性があると認識しています。日本政府としても、本計画の趣旨を尊重し、参加を希望する国内の大学、研究機関および企業に対し、必要な支援を行います』
そこに、真神幸一郎が日本人であることを理由とした優先権への言及はなかった。
日本への試料の優先提供を求める言葉もない。
『WHAが定める選考および研究上の規則を尊重し、国際的な枠組みの一員として協力してまいります』
短い声明だった。
だが、日本政府にとっては大きな変化でもあった。
真神幸一郎を日本へ戻す。
真神幸一郎を日本のために働かせる。
そうではなく。
彼が作ろうとしているものへ参加したいのであれば、自分たちも他国と同じ列へ並ぶ。
ようやく日本政府は、それを公式の言葉にした。
各国政府が動き始める一方、WHAには世界中から研究計画が寄せられていた。
もちろん、応募したすべての機関へ異鉱物が提供されるわけではない。研究能力、設備、専門性、情報管理体制、研究目的。さらに軍事転用や無断での第三者提供を防止する体制まで含め、WHAによる選考が行われる。
そして、その選考と並行して、提供する研究試料についての準備も始まっていた。
会見で公開された5種類の異鉱物は、すべて幸一郎がダンジョンから持ち帰ったものだ。
だが、各研究機関へインゴットそのものを渡す必要はない。
最初に必要なのは装備を作ることではなく、その素材が何なのかを知ることだった。
基礎物性の測定。組成や構造の解析。既存の金属と何が違うのか。どのような性質を持ち、それをどう利用できるのか。
本格的な加工試験や装備開発は、それらを調べてからでも遅くない。
そのため、最初に提供される試料はごく小さなものとなった。
そして、それらの提供方法について最終確認が行われたのは、WHAの拠点にある一室だった。
「最初は測るところからなんだろ?」
「はい」
幸一郎の問いに、レイチェルが答えた。
「基礎物性の測定と構造解析が中心になります。本格的な加工や装備への応用は、その結果を見てからになるでしょう」
「だったら、そんなに量はいらないな」
「研究側からも同様の意見が出ています。初期分析の段階で大量の試料を提供する必要はありません」
「そっか」
幸一郎の前には、採択候補となっている研究機関の一覧が置かれていた。
北米、欧州、アジア、南米、オセアニア。
世界中から集まった名前の中には、当然、日本の大学や研究所、企業も含まれている。
「これ、全部送るのにどれくらいかかる?」
「およそ3か月を予定しています」
「結構かかるんだな」
「未知の物質ですから。試料の切り出しから記録、封印、輸送、受領確認まで、すべて管理する必要があります。一度に発送するより、複数回に分ける方が安全でしょう」
「なるほど」
幸一郎は資料を眺めながら、もう一つ尋ねた。
「発送する順番は?」
「まだ確定しておりません」
「公表は?」
「いたしません。採択された研究機関には、試料の発送をもって通知に代える予定です。個別の審査状況や発送予定についても公表しません」
「ふーん……」
幸一郎は一覧へ視線を落としたまま、少しだけ考えた。
「じゃあ……一部地域だけ、最終便で」
一瞬だけ、部屋が静かになった。
セルマが幸一郎を見る。
レイチェルも資料から顔を上げた。
「承知しました」
それだけだった。
「……何も聞かないんだな」
「必要がありますか?」
「いや、ないけど」
レイチェルは何事もなかったように資料へ視線を戻した。
「採択基準、提供する試料、研究条件については、すべて同一でよろしいですね?」
「そこは普通でいいよ。研究の邪魔したいわけじゃないし」
「承知しました」
セルマも静かに頷いた。
「では、発送計画のみ調整いたします」
「頼む」
話はそれで終わった。
日本を研究から排除するつもりはない。
優秀な研究者がいるのなら参加すればいい。そこで有用な成果が生まれ、ハンターたちがより安全に深い階層へ進めるようになるのなら、その方がいい。
ただ、順番くらいなら少し後ろでも構わない。
それが何を意味するのか、この部屋にいた3人には説明する必要すらなかった。
やがてWHAは、研究試料の提供方法について正式に発表した。
『採択された研究機関には、準備が整い次第、研究試料を順次発送いたします。研究試料の発送をもって、採択の通知に代えさせていただきます』
発送完了までの予定期間は、およそ3か月。
発送順は非公表。
個別の審査状況や発送予定についても回答しない。
そして数日後、アメリカの大学へ最初の荷物が届いた。
続いてドイツ。英国。フランス。スウェーデン。
やがて韓国、台湾、シンガポール、オーストラリアでも到着が報告され始める。
『本日、当研究所にWHAより異鉱物研究試料が到着しました』
『WHA国際共同研究計画への採択を確認しました』
『受領手続き完了後、基礎分析を開始します』
世界各地から、そんな発表が次々と流れた。
1か月目。
日本には届かなかった。
だが、誰も気にしなかった。
発送には3か月を予定している。単に順番が来ていないだけだろう。
2か月目。
ブラジルに届いた。
インドにも届いた。
カナダの研究所にも届いた。
台湾では複数の研究機関が受領を発表し、韓国でも新たな採択が確認された。
それでも、日本から到着の報告はなかった。
この頃になると、研究者たちの間で少しずつ囁かれ始めた。
「……日本、まだ一つも届いてなくないか?」
だが、発送予定期間はまだ残っている。
WHAへ問い合わせても、返ってくる答えは同じだった。
『個別の審査状況および発送予定については回答しておりません』
そして3か月目。
南米にも届いた。
東南アジアにも届いた。
中東からも採択の発表が出た。
世界地図の上で、異鉱物を受け取った研究機関の所在国が少しずつ埋まっていく。
発送予定期間も残りわずかとなった頃。
ようやく、日本の大学に一つの荷物が届いた。
「教授!」
「どうした?」
「WHAからです」
研究室にいた教授の動きが止まった。
「……研究試料か?」
「そう書かれています」
「開けるな」
「え?」
「担当者を全員呼べ。受領記録を確認して、撮影を開始してから開封する」
厳重な梱包が、定められた手順に従って開かれていく。
中に収められていたのは、海外の研究機関へ送られたものと同じ異鉱物だった。
魔鉄。
ミスリル。
アダマンタイト。
オリハルコン。
そして、さらに小さく切り出されたヒヒイロカネ。
提供量にも、研究条件にも違いはなかった。
翌日には別の大学へ。
その翌日には研究所へ。
さらに企業の研究施設へ。
それまで沈黙していた日本国内の採択機関へ、最後の発送群として次々と研究試料が届き始めた。
当然、マスコミも気づいた。
『日本国内でも本日、複数の研究機関がWHAから異鉱物研究試料を受領したことを明らかにしました。これにより、日本でも異鉱物の現物を用いた本格的な研究が開始されます』
「これで日本も研究を開始できるということですね」
「そうなります」
「ただ……WHAが当初発表していた発送期間は、およそ3か月でしたよね?」
「はい」
「その3か月の、ほぼ最後です」
「……そうですね」
「これは偶然なんでしょうか?」
解説者は少し黙った。
「分かりません」
「日本の研究機関の能力が低く評価されたということでは?」
「それは考えにくいでしょう。実際に採択されていますし、届いた試料にも海外との差はありません」
「では、なぜ最後になったのでしょう?」
「ですから――分かりません」
WHAにも同じ質問が飛んだ。
『日本の研究機関への発送が、結果として最終発送群に集中しています。何らかの理由があるのでしょうか?』
『発送順については公表しておりません』
『真神幸一郎氏の意向が反映された可能性は?』
『個別の取り決めについては回答しておりません』
『意図的なものではない、と否定できますか?』
『発送順については公表しておりません』
回答は、最後まで変わらなかった。
その日の情報番組では、以前《静かな復讐》という言葉を使ったコメンテーターにも話が振られた。
「この件、どう見ますか?」
「……私は今回は何も言いませんよ」
「まだ何も聞いてませんけど」
「ええ。ですから、何も言いません」
「……ちょっと笑ってません?」
「笑っていません」
それ以上、彼も何も言わなかった。
日本は排除されていない。
日本の研究者も同じ選考を受け、採択され、他国と同じ研究試料を受け取った。
研究条件にも違いはない。
ただ一つ。
世界中へ3か月をかけて順次届けられた研究試料の中で、日本への発送は最後だった。
それが偶然だったのか。
誰かの意思だったのか。
WHAは答えなかった。
真神幸一郎も、何も語らなかった。
未来へ続く道から、日本が閉め出されたわけではない。
ただ、その列の最後尾から歩き始めることになっただけだった。




