第4章 第85話 道しるべ
WHAが緊急記者会見の開催を告知したのは、開始のわずか数時間前だった。
発表内容は明かされていない。登壇者として記されていたのは、WHA会長レイチェル・アシュフォード。その名前だけで、各国の主要メディアが動くには十分だった。ハワイダンジョンの完全攻略、《資源庫》による年間600万バレルの石油生産、そして真神幸一郎との契約。ここ最近、彼女が公の場に姿を現すとき、その背後には決まって世界規模の話があった。
急遽組まれた会見は、世界へ向けて生配信されることになった。
そして会場へ入った記者たちは、壇上を見た瞬間に足を止めた。
レイチェルが座る予定の席。その横に用意された長机の上に、5本の金属塊が並べられていた。それぞれの前には、小さなプレートまで置かれている。
《魔鉄》――《ミスリル》――《アダマンタイト》――《オリハルコン》――《ヒヒイロカネ》。
会見開始前にもかかわらず、記者席がざわめき始めた。
「……全部、実物なのか?」
「オリハルコンだけじゃない。ヒヒイロカネまであるぞ」
「待て、魔鉄から全部並んでる」
カメラが一斉に壇上へ向けられる。映像はそのまま世界へ流れ、会見が始まるより先に、5本のインゴットの画像がネットを駆け巡り始めた。
やがて扉が開き、レイチェル・アシュフォードが姿を現した。いつものスーツ姿で壇上へ上がり、席へ着く。無数のカメラが自分ではなく5本のインゴットへ向けられていることを確認すると、その口元にごく薄い笑みが浮かんだ。
「皆様、本日は急な開催にもかかわらず、お集まりいただきありがとうございます」
短い挨拶を済ませると、レイチェルは早々に本題へ入った。
「本日は、WHAが新たに開始する国際研究計画について発表いたします。その前に、皆様が最も気にされているであろう点からお答えしましょう」
レイチェルが横へ視線を向ける。
「ここに展示している5本のインゴットは、すべて本物です」
一瞬の静寂。その直後、会場が大きくざわめいた。
「魔鉄、ミスリル、アダマンタイト、オリハルコン、ヒヒイロカネ。いずれもダンジョン内部で入手された《異鉱物》です。そして、これらはすべて真神幸一郎氏より、研究試料としてWHAへ提供されました」
質問のために手を挙げる記者が一斉に現れたが、レイチェルは片手でそれを制した。
「質問は後ほどお受けします。まずは発表を最後までお聞きください」
会場が静まる。
「現在、世界各地の上位ハンター、ならびに攻略隊の到達階層は、おおむね100階前後に集中しています。WHAでは先日、その理由について複数の攻略記録を改めて調査しました」
背後のスクリーンへ資料が映し出される。負傷、補給、未知の魔物、パーティー構成、武器や防具の損耗。撤退理由は一つではない。
「調査の結果、彼らの多くは攻略能力そのものを完全に失ったため撤退しているのではなく、安全に帰還できる余力を残した段階で攻略を終了していることを確認しました」
レイチェルは一度言葉を切った。
「これは、正しい判断です。WHAはハンターに、より大きな危険を冒すことを求めるつもりはありません。撤退基準を緩和することも推奨いたしません」
記者席から声が上がった。
「では、今回の研究は何を目的としているのでしょうか?」
「撤退地点そのものを、より深い階層へ移すことです」
スクリーンの表示が切り替わった。
「撤退理由を詳細に分析した結果、直接、間接を問わず、装備性能が攻略継続を阻害する要因となっている事例が多数確認されています。そこでWHAは、異鉱物を用いた次世代のハンター装備について、本格的な研究を開始します」
再び、カメラが5本のインゴットへ集中する。
「真神氏より提供された試料を基礎として、素材特性、加工方法、武器、防具への応用を研究します。しかし、WHAだけで行う予定はありません。各国の大学、研究機関、素材関連企業、ハンター用装備を開発する企業など、幅広い分野との共同研究を予定しています」
そこで、質問を許可された記者が手を挙げた。
「会長。それほど希少な素材を研究できたとしても、実用化には相当量の異鉱物が必要になるのではありませんか?」
「その通りです。ですから、本日はもう一つ公表する情報があります」
スクリーンに一つの文字が映し出された。
《資源庫》
ハワイの一件以来、その名称を知らない記者は、この場にはほとんどいなかった。
「ハワイダンジョンの完全攻略後、《資源庫》には複数の資源選択肢が表示されました。最終的に選択されたのは《石油》ですが――」
表示が切り替わる。
《異鉱物》
会場の空気が変わった。
「選択肢の中には、《異鉱物》も存在しました」
「待ってください! では、そこに並んでいるものを石油と同じように生産できるということですか?」
「現時点では断定できません」
レイチェルは即座に答えた。
「《異鉱物》を実際に選択した事例は、少なくともWHAが確認している範囲にはありません。どの種類が産出されるのか、どれほどの量になるのか、石油と同様の最低稼働保証が存在するのか。そのすべてが不明です」
「では、なぜ公表を?」
「可能性があるからです。そして、その可能性を検討するに足る経験を持つ人物がいます」
誰を指しているのか、説明する必要すらなかった。
「真神氏の経験によれば、異鉱物には明確な希少性の差があり、魔鉄のように比較的入手しやすいものから、ヒヒイロカネのように極めて入手困難なものまで存在します。そのため、《異鉱物》を選択した場合でも、それぞれの産出量が同一になるとは考えていません」
「真神氏は、どの程度の産出量を予想しているのでしょうか?」
レイチェルが、ほんの一瞬だけ間を置いた。
「魔鉄については――『わんさか取れるんじゃない?』とのことです」
会場のあちこちから、困惑したような笑いが漏れた。
「……それは、真神氏の言葉そのままですか?」
「ほぼ、そのままです」
「根拠については?」
「《資源庫》なのだから、それなりの量が出るのではないか、と。加えて――『石油だって年間600万バレルだった』とも」
笑いが止まった。
理屈だけを聞けば随分と大雑把だった。だが、ハワイダンジョンでは実際に年間600万バレル、最低30年間という生産能力が提示されている。その事実がある以上、単なる冗談として切り捨てることもできない。
「もちろん、これは真神氏自身も推測であると明言しています。実際の仕様は《異鉱物》を選択するまで分かりません。ただし、本計画は《資源庫》から永久に異鉱物を供給し続けることを前提としていません」
「どういう意味でしょうか?」
「異鉱物は、ダンジョンの深部でも入手できるからです」
スクリーンに簡単な模式図が表示される。
「真神氏の経験では、ダンジョンの総階層のおおむね半分を越えた辺りから、異鉱物の出現が明確に増加します。さらに深く進むことで、その種類も増えていくとのことです」
その意味を理解した者から、表情が変わっていった。
現在の上位攻略隊は、おおむね100階前後で撤退している。その判断は間違っていない。安全に帰還するためには必要な判断だった。
だが、より深くへ進むための装備を作る素材が、その先にある。
装備がないから進めない。進めないから異鉱物を持ち帰れない。異鉱物を持ち帰れないから、装備を更新できない。
「……最初の装備を、《資源庫》から得た異鉱物で作る?」
「その通りです」
レイチェルが頷いた。
「現在の上位攻略隊へ、従来より高性能な装備を提供する。それによって撤退基準そのものを緩めることなく、安全に活動できる階層をより深くする。そして彼ら自身が異鉱物の出現領域へ到達すれば、以降は自ら素材を持ち帰ることができます」
「その素材で、さらに装備を作る……」
「ええ。そして、その装備を次の攻略者が使います」
会場が静まり返った。
現在のハンターが先へ進む。その者たちが地図を残し、情報を残し、異鉱物を持ち帰る。後に続く者たちは、それらを使ってさらに先へ進む。
それを繰り返せば、いつかは――。
「会長。一つ確認させてください」
「どうぞ」
「この計画は、真神氏自身の攻略を支援するために提案されたものなのでしょうか?」
「いいえ」
即答だった。
「真神氏は、自身の装備を強化するためにこの研究を提案したわけではありません」
「では、何のために?」
レイチェルは壇上に並ぶ5本のインゴットへ視線を向けた。
「次の世代のため、とのことです」
記者席から音が消えた。
「真神氏は、自分が拾ったものを現在のハンターが使い、そのハンターたちが持ち帰ったものを次の者が使えばいい、と話しています。そして、自分もいつまでも最前線にいられるわけではない、と」
25歳。
世界でただ一人、500階層を踏破したハンター。
世界がいまだその背中すら捉えられていない男が、すでに自分の後を歩く者たちのことを考えていた。
「現在、真神氏にしか到達できない場所があります。真神氏にしか倒せない存在があり、真神氏にしか持ち帰れないものがあります」
それは誰にも否定できない事実だった。
「しかし、それが永遠に続くことを、真神氏自身は望んでいません。自分が歩いた場所を次の者が歩き、その者がさらに先へ進み、また次の者へ残していく。そうして、いつか自分にしかできなかったことが、自分以外にもできるようになればいい」
レイチェルは正面へ向き直った。
「真神氏はそれを理解した上で、次の世代のための礎に――そして、後に続く者たちの道標になってくれると言ってくれました」
しばらく、誰も声を発しなかった。
「WHAは、その意思を形にします」
スクリーンが再び切り替わる。
そこに表示されたのは、新たな国際共同研究計画の概要だった。
「そのため、本日よりWHAは《異鉱物》に関する国際共同研究計画を開始します。同時に、この計画へ協力していただける大学、研究機関、素材関連企業、武器、防具を含むハンター装備関連企業を、世界各国から募集いたします」
静まり返っていた会場が、一転して騒然となった。
「公募ですか?」
「はい。ただし、希望されたすべての組織へ試料を提供するわけではありません」
「選抜を行うということでしょうか?」
「もちろんです」
レイチェルは迷いなく答えた。
「研究能力、設備、専門性、情報管理体制などをWHAが審査します。そして何より、この計画の目的に沿った研究が可能であること。その上で、各分野から協力機関および企業を選定します」
「研究成果の権利はどうなりますか? 特許や製品化した場合の利益については?」
「詳細な契約条件は応募要項とともに公開します。現時点で個別の条件についてお答えすることはいたしません。ただし、一点だけ先に申し上げておきます」
レイチェルの声が、わずかに強くなった。
「これは、5本の希少な金属を囲い込み、その価値を競うための計画ではありません」
カメラが再び壇上を映す。
魔鉄。
ミスリル。
アダマンタイト。
オリハルコン。
ヒヒイロカネ。
「目的は、ハンターが今より安全に、今より深くへ進める環境を作ることです。そして、そこで得られたものを持ち帰り、次の攻略者へつなげることです」
レイチェルは世界へ向けられたカメラをまっすぐに見た。
「その目的に協力していただける方々を、WHAは求めています」
その言葉が世界へ流れた瞬間から、各国の大学、研究所、素材メーカー、装備メーカーが動き始めた。
壇上に並ぶ5本のインゴットは、まだ研究すら始まっていない金属の塊にすぎない。
だが、その日。
真神幸一郎が一人で歩いてきた道に、初めて世界が足を踏み入れようとしていた。




