第4章 第84話 次の世代の為に
幸一郎が「直接話したい」と伝えてから2日後、レイチェル・アシュフォードはWHAの拠点を訪れていた。
電話でも済ませられる話なら、幸一郎はわざわざ自分を呼びつけたりしない。まして先日は、世界各地の上位攻略隊について、撤退理由まで含めた資料をまとめさせたばかりだった。何かを考えていることは、その時点でレイチェルにも分かっていた。
「わざわざ悪いな」
「構いません。真神さんから、こちらへ来てほしいと言われるのは初めてですから」
「そうだっけ?」
「ええ」
「……電話でもよかったかな」
「今さら言わないでください」
レイチェルが薄く笑い、セルマが用意した席へ腰を下ろす。場所は形式張った会議室ではなく、幸一郎が普段使っているラウンジだった。
「それで、何を思いつかれたのですか?」
「やっぱり分かってた?」
「先日の調査を依頼された時点で、何かお考えなのだろうとは思っていました」
「ああ……まあ、そうなんだけど」
幸一郎はテーブルの上に置いていた端末をレイチェルの方へ向けた。画面に表示されているのは、彼女がまとめさせた攻略報告書だった。
「あれ、全部読んだよ。だいたい考えてた通りだった」
「何がでしょう?」
「この人たち、別に弱くて帰ってるわけじゃないんだよな」
「そうですね。上位の攻略隊ほど安全基準は厳格です。損害が発生してからではなく、その可能性が一定以上になった段階で撤退を選択します」
「それでいいと思う」
レイチェルがわずかに眉を動かした。
「無茶して先に行けって話じゃないんだ。危なくなる前に帰る。それは正しいんだろ?」
「ええ」
「だったら、その判断を変える必要はない」
「では、何を?」
「撤退する場所」
幸一郎は報告書に並ぶ階層へ視線を落とした。
「今は100階くらいで危なくなるから帰ってる。だったら、同じくらい安全なまま、もっと先まで行けるようになればいいんじゃないかって」
報告書には装備に関係する記述が何度も現れていた。武器や防具の損耗が直接の撤退理由となったものだけではない。負傷や火力不足、補給の問題として処理されたものにも、その前段階で装備性能の限界が関係している例があった。
「俺も、それ見て思い出したんだよ。俺がどうやって先に進んでたか」
「装備を更新しながら、ですか?」
「うん。武器が駄目になったら替える。防具が足りなくなったら替える。もっといい素材を拾ったら、それでまた作る。ずっとそんな感じだった」
幸一郎の場合、危険になる前に地上へ戻って態勢を整えるという選択をほとんどしなかった。
「俺には帰る場所がなかったからな」
覚悟が優れていたわけではない。勇敢だったわけでもない。ただ、17歳だった幸一郎には、地上へ戻ったところで帰るべき日常がなかった。それゆえに進み続け、その過程で手に入れたものを使って、さらに先へ進んだ。
「でも、他の人に同じことさせる必要ないだろ?」
「ありません」
「だったら、安全に帰れる場所を先にすればいい」
幸一郎はそう言うと、足元に置いていたケースを引き寄せた。
「それで、今日はレイチェルさんに見てもらいたいものがあるんだ」
ケースを開き、中から一本の金属塊を取り出す。
「ミスリル」
テーブルへ置き、続けてもう一本。
「アダマンタイト」
さらに一本。
「オリハルコン」
レイチェルの視線が止まった。以前、幸一郎から土産として渡されたものと同じ金属だった。
だが、幸一郎の手はまだ止まらない。
「で、これがヒヒイロカネ」
4本目が並べられる。
ミスリル。アダマンタイト。オリハルコン。そしてヒヒイロカネ。
世界では研究試料すら満足に確保できない異鉱物が、ラウンジのテーブルに無造作に並んでいた。
「……真神さん」
「あ、あと」
レイチェルが何かを言うより先に、幸一郎は再びケースへ手を入れた。
「こういうのもある」
5本目が置かれる。
「魔鉄」
「……魔鉄?」
「うん。こいつはそんな珍しくない。深いところまで行くと、その辺に転がってる鉄みたいなもんだから」
「その辺に……」
「普通の鉄より魔力が通りやすい。それくらいかな。俺も細かいことまでは知らないけど」
最高位の異鉱物を並べた直後とは思えない扱いだった。
だが、レイチェルの視線はむしろ魔鉄へ向いた。
希少な最高級素材だけではない。比較的入手しやすい異鉱物まで存在するのであれば、話は一握りの最上位ハンターだけでは終わらない。
「これを研究してほしい」
「すべて、ですか?」
「うん。俺は使えることは知ってる。でも、何がどう違うとか、どう加工するのが一番いいとか、そういうのは専門家じゃないから分からない」
幸一郎は5本のインゴットを見渡した。
「武器とか防具とか。今のハンターたちの装備を底上げするのに、どう使えるのか調べてほしい」
「研究用の試料として提供していただけると?」
「もちろん。足りなかったら、まだあるよ」
「……まだ、あるのですね」
「あるけど?」
「いえ。続けてください」
幸一郎は少し不思議そうな顔をしたものの、そのまま話を続けた。
「ただ、俺の持ってる分を配って終わりじゃ意味ないだろ?」
「ええ。継続的な利用を考えるのであれば、供給量が最大の問題になります」
「そこなんだけどさ」
幸一郎が魔鉄のインゴットを指先で軽く叩いた。
「《資源庫》で《異鉱物》を選んだら、こういうの、わんさか取れるんじゃない?」
「……わんさか、ですか」
「だって《資源庫》だろ?」
「それだけでは根拠になりませんが……」
「石油、年間600万バレルだったじゃん」
「……否定しづらいですね」
セルマが隣でわずかに視線を逸らした。
「もちろん、全部同じ量じゃないと思うよ」
幸一郎は今度はヒヒイロカネを指した。
「こいつなんか滅多に出ないし。魔鉄とは出にくさが全然違う。だから希少なやつほど少なくなると思う。でも、魔鉄とかなら相当出るんじゃないかな」
「希少度に応じて産出量が異なる可能性がある、と」
「たぶんな。実際に《異鉱物》を選ばないと分からないけど」
ハワイでも、年間600万バレルという産出量も、最低30年間という保証も、《石油》を選択するまでは分からなかった。《異鉱物》も同じであるなら、実際に何が、どれだけ産出されるのかは選択後に初めて判明する。
それでも、《資源庫》という名称から考えて、数本の希少品を得るだけの仕組みとは幸一郎には思えなかった。
「それに、異鉱物って深くなるほど出やすくなるんだよ」
「深くなるほど?」
「うん。ダンジョンにもよるけど、半分を越えた辺りから明らかに増える。種類も増えてくる」
レイチェルの表情が変わった。
世界の上位攻略隊は100階前後で足を止めている。安全を優先し、それより先へ進む危険を冒さない。
その判断は正しい。
だが、その先には装備を大きく更新できる可能性を持つ素材が存在する。
より深くへ進むには、より優れた装備が必要になる。だが、その装備を作るための異鉱物は、より深い場所にある。
「……なるほど」
レイチェルが小さく呟いた。
「《資源庫》から先に異鉱物を供給する」
「うん」
「研究によって装備へ転用し、現在の上位攻略隊へ提供する。それによって安全に攻略できる範囲そのものを広げる」
「そういうこと」
「そして彼らがダンジョンの半分を越えれば……」
「今度は自分たちで拾えるようになる」
幸一郎は何でもないことのように言った。
「最初だけでいいと思うんだ」
「最初だけ……」
「《資源庫》からずっと全部出す必要ないだろ。今の人たちが先まで行けるようになれば、その人たちが異鉱物を拾って帰ってくる。それを使って装備を作れば、次の人たちも先へ行ける」
今の攻略隊が持ち帰ったものを、次の攻略隊が使う。
素材だけではない。地図が残る。魔物の情報が残る。攻略方法が残る。そして、より深い場所から持ち帰られた異鉱物が、次に進む者たちの装備になる。
「俺は一人でやってたけどさ」
幸一郎はテーブルに並んだ5本のインゴットへ目を落とした。
「みんなまで一人でやる必要ないだろ?」
レイチェルは答えなかった。
「俺が拾ったものを今の人たちが使って、その人たちが拾ったものを次の人が使えばいい」
レイチェルの指先が、ほんのわずかに震えた。
目の前にある5本のインゴットだけでも、とてつもない価値がある。だが今、彼女が見ているのはその価値ではなかった。
「次の世代のため、かな」
幸一郎はいつもと変わらない口調で続けた。
「俺も、いつまでも最前線にいられるわけじゃないだろ?」
「……」
「今は俺が行けばいい。でも10年後も20年後も、ずっと俺だけが行くわけにはいかない。歳も取るし、そのうち俺より強い人だって出てくるかもしれない」
世界は今、真神幸一郎という一人のハンターに追いつくことすらできていない。
それなのに本人は、すでに自分の後を歩く者たちのことを考えていた。
「だから、その人たちが先に行けるようにしておいた方がいいんじゃないかって」
しばらく、レイチェルは何も言わなかった。
やがて小さく息を吐くと、5本のインゴットをもう一度見渡した。
「……分かりました」
「やってくれる?」
「ええ。ただし、WHAだけでは到底足りません」
その声は、すでにWHA会長のものへ戻っていた。
「素材そのものの分析だけでも複数の専門分野が必要です。加工技術、武器、防具への応用まで含めれば、大学、研究機関、素材メーカー、装備メーカー……相当な規模になるでしょう」
「そこは任せる。俺、分からないし」
「相応の資金も必要になります」
「石油の分、使えない?」
レイチェルが幸一郎を見る。
「前に言っただろ? WHAに金があれば、攻略の準備も早くなるって」
「……ええ」
「これも攻略の準備だろ?」
幸一郎にとっては、それだけの話だった。
レイチェルは数秒だけ目を閉じ、そして開いた。
「承知しました。WHAで引き受けます」
「頼む」
幸一郎が満足そうに頷く。
その日のラウンジには、5本の異鉱物が並んでいた。
魔鉄、ミスリル、アダマンタイト、オリハルコン、ヒヒイロカネ。
まだ、それらは研究すら始まっていない金属の塊にすぎない。
だがその日、世界のハンターたちがより深い場所へ進むための、最初の一歩が置かれた。




