第4章 第83話 確証…
レイチェルに調査を頼んでから数日後、セルマから一つのファイルが幸一郎の端末へ送られてきた。
「アシュフォード会長からです。先日依頼された、各地の上位攻略隊に関する資料がまとまりました」
「もうできたんだ」
「WHAが保有している記録に加え、協力関係にある各国の組織から提供を受けた資料も含まれています」
「仕事早いなぁ……」
ファイルを開くと、幸一郎が頼んだ通り、世界でも上位に位置する攻略隊の記録が並んでいた。最高到達階層は多少の差こそあるものの、おおむね100階前後。直近の攻略で撤退を決断した階層、主な撤退理由、副次的な要因、撤退時の攻略隊の状態まで整理されている。
幸一郎はソファに座ったまま、一件ずつ目を通していった。
前衛の負傷。補給物資の減少。未知の魔物との遭遇。主力武器の損傷。防具の損耗。攻略期間の長期化。理由は様々だったが、共通していたのは、攻略隊が壊滅寸前まで追い込まれて撤退しているわけではないことだった。
「……結構、余裕残して帰ってるんだな」
「はい」
セルマも同じ資料を開きながら答えた。
「現在のダンジョン攻略では、生還が最優先されています。撤退に必要な余力まで使い切る前に引き返すことが、基本的な方針です」
「まあ、そうだよな」
当然の話だった。
装備が壊れてからでは遅い。回復手段を使い切ってからでも遅い。負傷者が増え、帰還そのものが困難になってから撤退を決めるなど論外だろう。
まだ戦える。
まだ進める。
それでも、その先で何かが起きたときに全員が帰れる保証がなくなる。その前に撤退する。
幸一郎は次の報告書を開いた。
主な撤退理由は前衛2名の負傷。だが重傷ではなく、攻略隊としての戦闘能力も残されていた。さらに別の隊は主力武器の損傷率が基準を超えたため撤退。こちらも予備武器は残っている。その次は補給物資が規定値を下回ったための撤退だった。
どれも間違ってはいない。
「……俺と全然違うな」
「真神さんと、ですか?」
「うん」
幸一郎は何気なく答えてから、少し黙った。
自分はどうだっただろう。
17歳で六甲山ダンジョンへ入り、それから先へ、先へと進み続けた。
危険だから戻る。
装備が危ないから戻る。
この先へ進めば死ぬかもしれないから、一度地上へ帰って態勢を整える。
そんな判断をした記憶が、ほとんどない。
覚悟があったから――などという立派な話ではなかった。
帰る場所がなかった。
ただ、それだけだった。
地上へ戻ったところで、幸一郎には戻るべき日常がなかった。だから生き残るために必要なものをダンジョンの中で探し、使っていた武器が通用しなくなれば替え、防具が頼りなくなれば替えた。より良い素材を見つければ、それを使ってまた先へ進んだ。
そうやって進み続け、気がつけば誰も到達していない深さまで潜っていた。
「……こっちが普通なんだよな」
「はい?」
「いや。この人たち」
幸一郎は端末を軽く指で叩いた。
「危なくなる前に帰る。当たり前だよな」
「そうですね。それを前提として、各組織も攻略計画を立てています」
「だよなぁ……」
幸一郎は再び資料へ目を落とした。
今度は撤退理由そのものではなく、その一段下に記された要因を追っていく。
装備の損耗が進み、安全基準を超える前に撤退。
現在の武装では対象となる魔物への有効打を安定して与えられず、長期戦による消耗を考慮して撤退。
防具の損傷により前衛の安全確保が困難になる可能性が高まり、攻略を中止。
人的な余力はある。能力そのものを使い切ったわけでもない。それでも、先へ進むほど危険は増していく。だから余裕があるうちに引き返す。
そして、その判断を迫る要因の中に、装備が何度も顔を出していた。
「セルマ」
「はい」
「装備が理由になってるの、結構多いよな」
「そうですね。直接の撤退理由だけでなく、副次的な要因まで含めれば、かなりの数になると思います」
「やっぱりか」
幸一郎はしばらく黙り込んだ。
彼らに、自分と同じことをさせる必要はない。
帰る場所を捨てる必要もなければ、生きるか死ぬかのところまで進ませる必要もない。安全を優先する判断が正しいのなら、その判断を変える必要など最初からなかった。
変えるべきなのは、別のところだ。
幸一郎は報告書に記された撤退階層を眺めた。
100階前後。
世界でも上位に位置する者たちが、安全を優先した結果として足を止めている場所。
「……だったら」
小さく漏れた声に、セルマが顔を上げた。
「どうされました?」
「撤退するのが悪いわけじゃないんだよな」
「はい。むしろ、必要な判断です」
「だったらさ」
幸一郎は少し考え、端末に並ぶ数字をもう一度眺めた。
「撤退する場所を、もっと先にできればいいのか」
セルマはすぐには答えなかった。
安全を捨てて先へ進むのではない。
同じ安全基準のまま、より深くまで進めるようにする。
装備に余裕があれば、今より先まで戦える。より深い場所まで安全圏を押し広げることができれば、その先には――幸一郎がよく知っているものがある。
そこまで考えたところで、幸一郎の中に残っていた疑問が一つにつながった。
「……やっぱり、これならいけるかもな」
「何か思いつかれたのですか?」
「うん。たぶん」
今度の返事に迷いはなかった。
幸一郎は端末を閉じると、セルマを見る。
「セルマ」
「はい」
「レイチェルさんの予定、確認してもらえる?」
「電話会議でしょうか?」
「いや」
幸一郎は首を振った。
「今度は、直接話したい」
「こちらへお越しいただく、ということですか?」
「うん。ちょっと相談したいことがある」
「承知しました」
セルマが端末を手に取り、席を立つ。
その背中を見送ってから、幸一郎は閉じた報告書へもう一度視線を落とした。
無理をして進む必要はない。
帰れなくなるところまで戦う必要もない。
ただ、安全に帰れる場所を――今より少しずつ、先へ。
そのために使えるものを、幸一郎は知っていた。




