第4章 第82話 きっかけ
WHAの拠点で過ごすようになってから、数日が経っていた。
休暇とはいえ、幸一郎が一日中何もせずにいるわけではない。食事をして、ネットを眺め、気が向けば外へ出る。日本では相変わらず自分の名前がテレビを賑わせていたが、それを追いかけるほどの興味もなかった。
そんなある日の午後、ラウンジのソファでスマートフォンを眺めていた幸一郎は、ふと思い出したように顔を上げた。
「セルマ」
「はい」
「レイチェルさん、今って話できるかな」
向かいで端末を操作していたセルマが顔を上げる。
「確認いたします。少々お待ちください」
「うん」
セルマが連絡を入れてから、それほど時間はかからなかった。数分後、テーブルに置かれた端末へレイチェルの姿が映し出される。
『お待たせしました、真神さん』
「悪いな。忙しかった?」
『問題ありません。それより、真神さんからお話があるとは珍しいですね』
「そう?」
『ええ。それで、どうされました?』
幸一郎は少しだけ考えてから口を開いた。
「ちょっと調べてほしいことがあるんだ」
『何でしょう』
「世界のトップクラスのハンターっているだろ?」
『はい』
「その人たちって、今どのくらいまで潜ってる?」
唐突な質問だったが、レイチェルはわずかに考えただけで答えた。
『ダンジョンによって条件が異なりますので単純な比較はできませんが、継続的に攻略されているダンジョンでは、100階前後に到達している攻略隊が世界でも上位に入ります』
「やっぱり、そのくらいなんだ」
『何か気になりますか?』
「うん。なんで、そこで止まってるのかなって」
レイチェルの表情がわずかに変わった。
『攻略が停滞している理由、ということでしょうか』
「そう。100階まで行けるなら、その先に行けない理由が何かあるんだろ?」
『もちろん、理由はあります。攻略深度が増すほど進行速度は落ちますし、撤退を判断する要因も一つとは限りません』
「だから、それが知りたいんだ」
幸一郎はソファに背を預けた。
「世界中の上位の人たちが、最後に撤退した理由って残ってる?」
『攻略報告ですね。WHAに提出されたものだけでなく、各国の協会や提携組織が保有する記録もあります。すべてではありませんが、相当数は確認できるはずです』
「それ、まとめてもらえる?」
『もちろん可能です。どのような形をご希望ですか?』
「俺にも分かるように、撤退した理由を分けてほしい。怪我したとか、物資が足りなくなったとか、武器が壊れたとか。そんな感じで」
レイチェルはそこで一度、幸一郎を見つめた。
『対象は?』
「世界中。全部だと多すぎるなら、100階前後まで行ってる上の方の人たちでいい」
『個人ではなく、攻略隊単位でよろしいですか?』
「うん。その方が分かりやすそうだし」
『期間は直近で?』
「そこは任せる。変な偏りが出ないくらいで」
『分かりました』
返事をしながら、レイチェルはすでに手元の端末へ何かを入力していた。
『撤退理由については、装備の損耗や破損、人的被害、補給、攻略期間、未知の魔物との遭遇、パーティー構成上の問題など、ある程度分類できると思います。ただし、一度の撤退に複数の理由が存在するケースもあります』
「それもそのままでいいよ」
『主原因と副次的な要因を分けましょうか』
「ああ、それいいな。頼む」
『承知しました。可能であれば、撤退時点で攻略隊にどの程度の余力が残っていたかについても付記しておきます』
「余力?」
『例えば負傷者が出て撤退した場合でも、攻略隊そのものが限界だったのか、安全基準に従って撤退したのかでは意味が変わりますから』
「ああ……なるほど。それも欲しい」
幸一郎が頷くと、レイチェルはさらにいくつかの条件を確認していった。幸一郎から細かな指定は出ない。欲しいのは誰かが分析して出した結論ではなく、世界の上位ハンターたちが、どこまで進み、何を理由に引き返しているのか。その事実だった。
『少しお時間をいただきます』
「どれくらい?」
『WHA内部の記録だけならすぐに。ただ、各地域の記録まで照合するのであれば数日は欲しいですね』
「じゃあ、それで。急がなくていいよ」
『珍しいですね』
「何が?」
『真神さんから、急がなくていいと言われるとは思いませんでした』
「俺、今休暇中だぞ?」
『ええ。ですから、そのまま休んでいてください』
「分かってるって」
少し不満そうに返す幸一郎を見て、レイチェルが薄く笑う。
『それで――』
「ん?」
『なぜ突然、他のハンターの撤退理由を?』
当然の質問だった。
幸一郎はすぐには答えず、手元のコーヒーへ視線を落とした。何かを確かめるようにしばらく考えてから、ゆっくりと口を開く。
「ちょっと、考えてることがあるんだ」
『考えていること、ですか』
「うん。でも、俺が思ってる通りなのか分からないから」
幸一郎は顔を上げた。
「まず、その報告書を見せてほしい」
レイチェルはわずかに目を細めた。何を考えているのかと問い返すこともできたが、今ここで答えを求める必要はない。少なくとも幸一郎自身が、まだ確認する段階だと言っている。
『分かりました。まとまり次第、セルマにも共有します』
「頼む」
『では、真神さん』
「ん?」
『休暇中であることをお忘れなく』
「……調べもの頼んだだけだろ」
『今のところは』
「信用ないなぁ……」
『実績がありますので』
「まだ何もしてないって」
通信が切れ、端末の画面が暗くなる。幸一郎はしばらくそれを眺めてから、残っていたコーヒーに口をつけた。
世界のトップクラスでも、攻略深度はおよそ100階前後。その事実自体は以前から知っていたし、自分との差が大きいことも分かっていた。
ただ――少し、引っかかることがあった。
自分が8年間やってきたことと、今のハンターたちがやっていること。その間には、単純な強さだけでは説明できない違いがあるのではないか。
まだ確信はない。
だからこそ、先に知りたかった。
彼らが何に阻まれ、そこで足を止めているのかを。




