第3章 第73話 情報は後だし…
堺東ダンジョンの再初期化について
現在、堺東ダンジョンの再初期化および待機状態解除について、各種報道ならびに多数のお問い合わせをいただいております。
これを受け、ワールドハンター協会が確認している事実について、以下の通りお知らせいたします。
当協会所属ハンター、真神幸一郎氏は、日本国内において堺東ダンジョンの待機状態解除を求める、いわゆる「ダンジョン開放運動」が行われていることを把握しておりました。
真神氏は、その要望に応じ、完全踏破者に付与された管理権限を用いて、堺東ダンジョンを待機状態から再初期化しております。
これにより同ダンジョンの待機状態は解除され、各階層へのモンスター再配置を経て、現在は一般のハンターが入場、攻略可能な状態となっております。
なお、本件に際し、真神氏から日本政府、JHAその他関係機関に対する条件提示、対価の要求等は行われておりません。
当協会が真神氏本人に再初期化を行った理由について確認したところ、
「開放してほしいという要望があったため、その要望に応じた」
との回答を得ております。
以上、事実関係についてお知らせいたします。
ワールドハンター協会
会長 レイチェル・アシュフォード
短い文章だった。
誰かを批判する言葉はない。
堺東を再初期化したことが正しかったとも、間違っていたとも書いていない。
前日から騒がれている《資源庫》についても、一切触れていない。
ただ、これまで分からなかった二つの事実だけが明らかにされた。
堺東ダンジョンを再初期化したのは、真神幸一郎だった。
そして、その理由は――開放を求める声があったから。
それだけだった。
それだけで十分だった。
◇ ◇ ◇
『…………』
『え?』
『ちょっと待て』
『堺東開けたの真神だったの?』
『WHA公式』
『完全踏破者の管理権限って何だよ』
『そこも初出情報じゃね?』
『待て、今問題なのそこじゃない』
『「ダンジョン開放運動が行われていることを把握」』
『うん』
『「その要望に応じ」』
『うん』
『…………』
『これ昨日の資源庫の話と繋げていいの?』
『WHAは繋げてないぞ』
『資源庫って一文字も書いてない』
『だから余計に嫌なんだよ』
前日までは、まだ分からなかった。
誰が堺東を再初期化したのか。
なぜ待機状態が解除されたのか。
そもそも、人の意思によって解除されたものなのか。
その答えが、WHAから示された。
『じゃあ』
『開放運動「堺東を開けろ」』
『真神「要望があったので応じました」』
『再初期化』
『……そういうことになる』
『いやいやいや』
『資源庫なんて知らなかっただろ』
『それは昨日から言われてる』
『だから開放運動が悪いって話にはならんだろ』
『WHAも悪いなんて言ってない』
『じゃあ誰が言ってんだよ』
『俺ら』
『草』
『笑えねえよ』
誰も《資源庫》の存在を知らなかった。
開放運動に参加した人々も知らない。政治家も知らない。マスコミも知らない。JHAでさえ把握していなかった。
後から判明した情報を根拠に、当時の判断を一方的に責めることはできない。
それでも。
『要求が通ったことだけは間違いないよな』
『まあ……』
『待機状態解除しろ』
『解除された』
『また入れるようにしろ』
『入れるようになった』
『資源採れるようにしろ』
『通常資源も復活した』
『条件は?』
『なし』
『金は?』
『要求なし』
『じゃあ要望100%達成してるじゃん』
『やめろ』
ネット上で交わされているのは、まだ無責任な言葉で済んだ。
同じ文章を見て、笑うことのできない人々もいた。
◇ ◇ ◇
「……真神氏だったのか」
永田町。
ある野党の会議室で、一人の議員がタブレットに表示されたプレスリリースを見つめていた。
「間違いないのか?」
「WHA会長名義です」
「いや、それは分かってる。ここだ」
指先が止まった。
――真神氏は、その要望に応じ。
室内が静かになる。
堺東ダンジョンの開放を求めていたのは、市民団体だけではない。
複数の野党議員がその主張に同調し、国会でも政府を追及していた。
待機状態によって失われ続ける資源をどう考えるのか。
地域経済への影響をどうするのか。
一私人の判断によって、公共性の高いダンジョンが利用できない状態を放置してよいのか。
政府は真神幸一郎と協議し、早期の再開を求めるべきではないのか。
言った。
はっきり言った。
国会でも、記者会見でも。
「……うちの質問、映像残ってるよな」
「国会中継ですから」
「消せないか?」
「無茶言わないでください」
「分かってる」
聞いてみただけだった。
一人が腕を組む。
「当時、《資源庫》の存在は知られていなかった。それを説明するしかないでしょう」
「それは事実だ」
「我々の主張は、当時明らかになっていた情報に基づくものです。後から判明した情報によって過去の判断を批判するのは適切ではない、と」
「正論だな」
「正論です」
「世論が納得すると思うか?」
「…………」
誰も答えなかった。
法的な責任があるわけではない。
彼らが《資源庫》の存在を知る方法もなかった。
そもそも、堺東に《資源庫》が存在したのかさえ、現在も確認されていない。
それでも政治家には、過去に何を主張したのかという記録が残る。
「真神氏が独断で再初期化した、という方向は?」
「やめた方がいいです」
即答だった。
「なぜだ?」
「我々が『再開を求めるべきだ』と主張している映像と並べられます」
「…………」
「それに、WHAの発表を見る限り、真神氏は何も要求していません。条件も出していない。対価も求めていない」
「分かってる」
「本人からすれば、『開けてほしいという要望があったので開けました』で終わります」
「……分かってるよ」
誰も悪意を持っていない。
だからこそ、逃げ道が見つからなかった。
◇ ◇ ◇
そして、この問題は野党だけのものではなかった。
「間違えるなよ。うちにもいる」
与党本部でも、似たような会話が行われていた。
政府として、堺東ダンジョンの強制的な再開を決定した事実はない。
だが、与党内には開放運動に理解を示していた議員がいる。
地元経済への影響。
ダンジョン関連産業の停滞。
素材価格の上昇。
理由はそれぞれだったが、待機状態を長期間続けるべきではない、真神幸一郎へ再開を働きかけるべきだと公言した者は確かに存在した。
「政府として再初期化を要請した事実はない。そこは明確にする」
「はい」
「ただし、開放を主張した議員を切り捨てるような真似はするな」
一人が顔を上げた。
「しかし、野党側への追及材料にも――」
「やめろ」
「……はい」
「向こうを殴れば、そのままこっちにも返ってくる」
分かりやすい理由だった。
別の議員が資料を見る。
「当時、《資源庫》の存在を知っていた人間はいません」
「そうだ。それは正面から言えばいい。知らなかったことは事実だ」
「では、再初期化そのものは適切だったと?」
「それも言うな」
即座に返された。
「今それを言えば、次に聞かれる。『では現在も、堺東を再初期化して正解だったと考えているのか』とな」
「…………」
答えられなかった。
資源は復活した。
ハンターは再び活動できるようになった。
地元経済も動き始めている。
一方で、モンスターは以前より強くなり、ドロップ率は低下している。
そして今、《資源庫》として利用できた可能性まで指摘されている。
「分からなかったことは認める。今も分からないことは、分からないと言う。それだけだ」
「真神氏については?」
「余計なことを言うな」
その答えだけは速かった。
◇ ◇ ◇
政治家たちが慎重になったところで、マスコミまで遠慮してくれるわけではない。
『こちらは、以前国会で行われた質疑の映像です』
画面が切り替わる。
『堺東ダンジョンをこのまま待機状態に置くことで、我が国が失い続ける資源について、政府はどのように考えているのでしょうか!』
次の映像。
『真神氏個人の意向だけではなく、公共の利益という観点から、ダンジョンの早期再開を求めるべきではありませんか!』
さらに別の議員。
『待機状態を解除し、再び多くのハンターが活動できる環境を取り戻すべきです!』
そして画面の右半分に、今日公表されたWHAの文章が表示された。
――真神氏は、その要望に応じ、完全踏破者に付与された管理権限を用いて、堺東ダンジョンを待機状態から再初期化しております。
『……要求そのものは、実現したことになりますね』
『結果としては、そうなります』
『では、当時開放を求めていた議員の方々が、現在の堺東ダンジョンをどのように評価しているのか』
『当然、聞かれることになるでしょう』
電話が鳴り始めた。
議員事務所で。
政党本部で。
後援会事務所で。
SNSには過去の発言を切り抜いた動画が次々と投稿されていく。
『政治家「堺東を開けろ!」』
『真神「開放してほしいという要望があったため、その要望に応じた」』
『政治家「…………」』
『完璧に要求通ってて草』
『いや資源庫なんて知らなかったんだから仕方ないだろ』
『それはそう』
『でも開けろと言った事実も消えない』
『真神を責めるのは無理じゃね?』
『何で?』
『要求通りにしただけだろ』
『事前に説明しろよ』
『誰に?』
『……開放運動してた奴ら?』
『どうやって?』
『知らん』
『もう地獄だろこれ』
そして、少し毛色の違う書き込みが混ざった。
『なあ』
『今度は「閉じろ」とか言い出すなよ?』
『なんで?』
『真神が聞いたらどうする』
『…………』
『やめろ』
『絶対言うな』
『今度は何が起きるか分からんぞ』
冗談だった。
少なくとも、書き込んだ本人はそのつもりだった。
だが、同じ画面を見ていた何人かの政治家は、笑えなかった。
真神幸一郎は、社会からの要望を無視したわけではなかった。
交渉を拒否したわけでもない。
見返りを要求したわけでもない。
開放してほしいという声を知り、その通りにした。
結果として、堺東ダンジョンは再び誰でも挑戦できる場所になった。
望まれていた通りに。
だからこそ今、誰も簡単には次の要望を口にできなかった。
少なくとも――その要望が叶った時、何が起こるのかを知るまでは。




