第3章 第72話 失ったもの
アメリカ政府とWHAによる合同記者会見が終わっても、世界の騒ぎは終わらなかった。
年間600万バレル。最低稼働保証期間30年。そして、アメリカ70%、WHA29%、真神幸一郎1%という最終契約。
ニュース番組では経済、エネルギー、安全保障など、様々な分野の専門家が呼ばれ、朝から晩まで同じ数字について議論していた。
『それにしても、1%ですか』
『割合だけを見れば小さく感じますが、年間600万バレルの1%ですからね。個人が得る利益として考えれば、それでも相当な規模です』
『だから本人は十分だと?』
『少なくとも、真神氏本人はそう判断したのでしょう』
自ら10%を1%へ減らした男。
しかも、その理由が「WHAが利益を得た方が自分も楽ができるから」。
理解できないという声もあれば、合理的だという声もある。ネットでは、金銭欲がないのではなく、1%でも十分すぎるだけだという意見も広がっていた。
そんな中。
ある情報番組で、一人の専門家が何気なく口にした疑問が流れを変えた。
『……ただ、私としては一つ、別のことが気になっています』
『別のこと、といいますと?』
『今回のハワイダンジョンです』
司会者が首を傾げる。
『ハワイダンジョンは真神氏によって完全踏破された後、一度《待機状態》へ移行しています。そして、その後に《資源庫》が選択された』
『そうですね』
『では――』
専門家は少し考えてから続けた。
『堺東ダンジョンも、完全踏破後に待機状態へ移行していましたよね?』
スタジオが静かになった。
『……はい』
『堺東ダンジョンにも、《資源庫》が存在した可能性はないのでしょうか』
数秒。
誰も口を開かなかった。
最初に我に返った司会者が、慎重に問い返す。
『つまり……堺東でも、石油を?』
『そこまでは分かりません』
専門家はすぐに否定した。
『ハワイと堺東が同一の仕様である保証はありません。また、《資源庫》が存在したとしても、石油が選択可能だったとも限りません。今回明らかになった情報だけで断定することはできません』
『では――』
『ただし、ハワイダンジョンが完全踏破後に待機状態へ移行し、その状態から《資源庫》の選択が行われた。ここまでは事実です』
画面に、ハワイダンジョンの経過が表示される。
完全踏破。
待機状態。
資源庫選択。
石油――年間600万バレル。
最低稼働保証期間30年。
そして、その隣に堺東ダンジョンの経過が並べられた。
完全踏破。
待機状態。
再初期化。
攻略可能状態へ移行。
『もし堺東にも同様の機能が存在していたとすれば――』
専門家はそこで一度言葉を切った。
『資源庫として利用する機会を、失った可能性があります』
『……失った?』
『あくまで可能性です』
念を押した。
だが、もう遅かった。
火種は落ちた。
◇ ◇ ◇
ネットが反応するまでに、時間はかからなかった。
『ちょっと待て』
『堺東も資源庫にできたってこと?』
『可能性があるって話』
『でもハワイも待機状態だったよな』
『堺東も待機状態だった』
『あ』
『あ』
『待て待て待て』
『石油出たとは限らんぞ』
『石油じゃなくてもよくね?』
『鉱物とか天然ガスとかあった可能性は?』
『資源庫ってそういう機能なんだろ?』
『じゃあなんで堺東開けたんだよ』
そこから先は速かった。
過去の映像が掘り起こされた。
『堺東ダンジョンを開放せよ!』
『貴重な資源を眠らせるな!』
『一個人の判断で公共の資源を止めることは許されない!』
ほんの少し前まで繰り返し流されていた映像だった。
当時は、待機状態になったことで採取できなくなった通常のダンジョン資源を指していた言葉である。
だが、ハワイダンジョンの《資源庫》が明らかになった今、その言葉は別の意味を持って聞こえた。
『資源を眠らせるなって言ってた人たち……』
『その待機状態が資源庫になるための状態だった可能性が出てきたの?』
『皮肉とかいうレベルじゃねえぞ』
『まだ可能性だからな』
『でも再初期化しちゃったんだろ?』
『した』
『元に戻せるの?』
『知らん』
『誰も知らんのかよ』
『だから問題になってる』
さらに別の映像が発掘される。
堺東ダンジョンの待機状態が解除された直後、歓声を上げる開放運動の参加者たち。
『我々の声が届きました!』
『これで再び堺東の資源を活用できます!』
『市民の勝利です!』
映像の下を、現在の速報テロップが流れていた。
――ハワイダンジョン資源庫、年間600万バレル。
あまりにも相性が悪かった。
『市民の勝利』
『やめて差し上げろ』
『動画消してももう遅いぞ』
『資源を活用できます!→資源庫消えたかもしれません』
『まだ消えたと決まってない』
『でも再初期化されてる』
『しかも敵ちょっと強くなってドロップ率も落ちてるんだろ?』
『誰が得したんだこれ』
もちろん、反論もあった。
『当時は資源庫なんて誰も知らなかっただろ』
『後出しで開放運動叩くのは違う』
『これはさすがに結果論』
それは正論だった。
当時、《資源庫》の存在は公表されていなかった。
開放運動の参加者だけではない。一般市民も、マスコミも、行政も、JHAさえ知らなかった。
知りようのない情報を前提に判断しろという方が無理である。
だが、その反論に対して別の言葉が返ってきた。
『だから待てばよかったんじゃないの?』
『分からないから開けろって、そっちの方が怖くね?』
『待機状態が何なのか分かってないのに解除しろって騒いでたってことだろ』
『資源がもったいないから開けろ→もっとデカい資源だったかもしれません』
『結果論なのはそう。でも結果がこれなのもそう』
正論と正論がぶつかり始めた。
誰も知らなかった。
だから責めるべきではない。
誰も知らなかった。
なら、なぜ急いで開放を求めたのか。
議論は瞬く間に広がっていった。
◇ ◇ ◇
同じ日の午後には、テレビ局が開放運動の関係者を捕まえていた。
「堺東ダンジョンにも《資源庫》が存在した可能性が指摘されていますが、どのようにお考えですか?」
「再初期化によって、利用機会が失われた可能性については?」
「当時、『資源を眠らせるな』と発言されていましたが?」
次々と向けられるマイクに、男性は苛立ちを隠せなかった。
「そんなものがあるなんて、聞いていません!」
その言葉自体は正しかった。
聞いていない。
知らされてもいない。
そもそも、ほとんど誰も知らなかった。
だが、その発言は切り抜かれ、数分もしないうちにネットへ流れた。
『そんなものがあるなんて聞いていません!』
『そりゃそうだろ』
『これはかわいそう』
『でも知らない状態で開けろって言ってたのも事実なんだよな』
『待機状態が何か分かってからでもよかったんじゃ?』
『真神に聞けばよかったんじゃね?』
『聞ける関係だったのか?』
『それ以前に本人、何も言ってないぞ』
『というか堺東が再初期化された時、真神ハワイじゃなかった?』
『誰が再初期化したのかもまだ分かってない』
『じゃあ誰に文句言えばいいんだよ』
『知らん』
そこで、妙に短い書き込みが流れた。
『開けてほしかったんだろ?』
しばらくして、その下に返信が付いた。
『……開いたじゃん』
それ以上、何を言えばいいのか。
誰にも分からなかった。
◇ ◇ ◇
夜の報道番組でも、堺東ダンジョンは取り上げられた。
『まず強調しておきたいのですが、堺東ダンジョンに《資源庫》が存在したという事実は、現時点では確認されていません』
専門家は、昼間よりも慎重に言葉を選んでいた。
『ハワイと同様の機能があったのか。あったとして、どのような資源を選択できたのか。再初期化された現在でも《資源庫》を利用する方法が存在するのか。そのすべてが不明です』
『では、開放運動を批判するのも早計だと?』
『当然です。当時、《資源庫》という機能は一般に知られていませんでした。その結果を予測できなかったことを理由に、特定の人々を攻撃するべきではありません』
『ただ――』
司会者が続ける。
『堺東は、すでに再初期化されています』
『はい』
『そして再調査では、以前よりモンスターが強くなっている傾向や、ドロップ率の低下も確認されている』
『現時点では攻略不能になるほどの変化ではありません。しかし、以前とまったく同じ状態に戻ったわけではないことも確かです』
画面に二つのダンジョンが並ぶ。
ハワイ。
完全踏破後、待機状態。
その後、資源庫へ。
年間600万バレル。
最低30年。
堺東。
完全踏破後、待機状態。
その後、再初期化。
資源は復活。
モンスターは以前より強化。
ドロップ率はわずかに低下。
『結局のところ、現時点で言えることは一つだけです』
『何でしょう?』
『私たちは、ダンジョンについて知らないことが多すぎる、ということです』
その言葉だけは、誰にも否定できなかった。
ハワイの《資源庫》がなければ、誰も疑問に思わなかった。
堺東が待機状態のままであれば、いつか確認する機会があったのかもしれない。
だが、その状態はもう存在しない。
資源を眠らせるな。
ダンジョンを開放しろ。
そう求めた声に応えるように、堺東ダンジョンは再び開いた。
そして今。
開いたことを喜んだ人々へ向けて、今度は別の人々が問い始めていた。
――本当に、開けてよかったのか。
その問いに答えられる者は、まだ誰もいなかった。




