第3章 第72話 契約締結会見、尚、主役は休暇中
ハワイダンジョン《資源庫》に関する合同記者会見は、世界各国へ生中継されていた。
壇上に並ぶのは、アメリカ合衆国大統領と、ワールドハンター協会会長レイチェル・アシュフォード。政府関係者やWHAの実務担当者も席を連ねている。
ただ一人、そこにいてもおかしくない人物の姿がなかった。
真神幸一郎。
ハワイダンジョンを完全踏破し、《資源庫》を出現させ、石油を選択した張本人である。今回の契約当事者でもあるその男の席は、最初から用意されていなかった。
「本日、アメリカ合衆国政府とワールドハンター協会は、ハワイダンジョンにおいて確認された《資源庫》について、今後の運用に関する最終的な合意に達しました」
大統領の言葉から会見が始まった。
年間予定産出量600万バレル。最低稼働保証期間30年。第1階層に形成された12基の採取設備については双方の専門家による調査が進められ、すでに試験採取にも成功している。
本格的な採取には《稼働開始日》の設定が必要であり、それまでは試験用の少量を除いて原油を取り出すことはできない。今後は地上設備との接続、貯蔵、輸送などの準備を進め、安全性を確認した上で本格稼働へ移行する。
そこまでは、これまでに明らかになった情報から十分予想できる内容だった。
会場の空気が変わったのは、利益配分が発表された時だった。
「《資源庫》から得られる利益についても、最終的な配分が決定しました。アメリカ合衆国、70%」
背後の大型モニターに数字が表示される。
「ワールドハンター協会、29%」
記者席がざわついた。
「真神幸一郎氏、1%となります」
ざわめきが一気に大きくなった。
事前に合意されていた比率は、アメリカ70%、WHA20%、幸一郎10%だった。それが最終契約では70%、29%、1%へ変わっている。
アメリカ側は変わっていない。
変わったのは、WHAと幸一郎だけだった。
質疑応答が始まると、当然そこへ質問が集中した。
「アシュフォード会長に質問します。真神氏の取り分が10%から1%へ大幅に減少しています。これはWHA側から要求されたものなのでしょうか?」
「いいえ」
レイチェルは即答した。
「変更を提案したのは、真神さん本人です」
記者席が再びざわめいた。
「真神氏本人が、ですか?」
「はい」
「では、真神氏が9%の権益をWHAへ譲渡したと?」
「その表現は正確ではありません。今回締結されたものは、《資源庫》の管理、運用、各種交渉を含めた契約です。その契約条件として、真神さん本人から利益配分を変更したいとの提案がありました。三者で協議し、最終的に70対29対1で合意しています」
「しかし、結果として真神氏が受け取る利益は10分の1になります。WHAから何らかの働きかけがあった可能性は?」
「ありません」
今度は大統領がマイクを引き寄せた。
「その点については、合衆国政府からも保証します。配分変更が提案された協議には我々の代表者も同席していました。WHAが真神氏へ変更を要求した事実はありません。最初に1%という数字を提示したのは、真神氏本人です」
別の記者の手が上がった。
「では、真神氏はなぜ、それほど大きな権益を自ら減らしたのでしょうか?」
レイチェルが一瞬だけ黙った。
「本人の説明を要約するのであれば、現在の生活に十分満足しているから、だそうです」
「……それだけですか?」
「もう一つあります。今後、《資源庫》の管理や各種交渉を担うWHAが利益を得た方が、自分も楽ができる、と」
記者席から小さな笑いが漏れた。
大統領の口元にも、わずかに笑みが浮かんでいる。前日の協議に出席していた政府関係者から、会議の内容について報告を受けていた。
もっとも、そのすべてをこの場で明らかにする必要はない。
少なくとも、美人の秘書がいることまで、石油資源に関する合同記者会見で説明する必要はなかった。
「真神氏は、1%という配分に完全に納得していると?」
「はい。契約内容については本人が確認し、同意しています」
「その真神氏は、本日の会見には出席されないのでしょうか?」
「出席しません」
「理由を伺えますか?」
「本人が出席する必要のない会見だからです」
質問した記者が、一瞬言葉を失った。
「しかし、真神氏は《資源庫》を出現させた当事者であり、契約当事者でもあります」
「ですから、契約を決める協議には本人が出席しました」
レイチェルは平然と答える。
「本人が決める必要のあることは、本人が決めました。その決定を対外的に説明するのは、WHAとアメリカ政府の仕事です」
「真神氏本人から、記者会見には出席したくないという希望が?」
「いいえ」
「では?」
「そもそも出席を求めていません」
今度は会場から、はっきりと笑いが漏れた。
「現在、真神氏は?」
「休暇中です」
「……休暇、ですか?」
「はい」
年間600万バレル、最低30年。
世界でも前例のないダンジョン資源を巡る合同記者会見に、そのすべての始まりとなった男だけがいない。
それでも会見は何の問題もなく続いていった。
◇ ◇ ◇
同じ中継を、霞が関の一室でも複数の人間が見ていた。
ここ数か月、真神幸一郎という一人のハンターを既存の制度へどう位置づけるのか。その検討に関わり続けてきた官僚たちである。
『アメリカ合衆国、70%。ワールドハンター協会、29%。真神幸一郎氏、1%となります』
誰も喋らなかった。
一人が手元の資料を見る。そして、もう一度テレビを見る。
「……1%?」
「1%ですね」
「10%では?」
「事前の合意では10%です」
「減ってますよね?」
「減ってますね」
確認する必要すらない。
それでも、確認したくなった。
机の上には、これまで積み上げてきた資料が並んでいた。
突出した能力を持つハンターが莫大な利益を得た場合、その社会的影響をどう考えるのか。国外で得た収益をどう扱うのか。国家に属さない個人が巨大な経済的権益を保有した場合、既存制度との整合性をどう取るのか。
様々な事態を想定し、何度も検討を重ねてきた。
その前提の一つが、たった今、本人の希望によって10分の1になった。
『変更を提案したのは、真神さん本人です』
「……本人から?」
「そう言っていますね」
『今後、《資源庫》の管理や各種交渉を担うWHAが利益を得た方が、自分も楽ができる、と』
一人が眼鏡を外した。
「……また前提が変わった」
誰も否定しなかった。
能力が高い。間違いない。
世界的な影響力を持つ。それも間違いない。
莫大な経済的利益を得る。それも、1%になったところで変わらない。
ただし本人には、その利益を最大化しようという意思がほとんどない。
「この人……何を基準に動いてるんです?」
「本人が快適かどうかじゃないですか」
「それを制度にどう書くんです?」
「書けるわけないでしょう」
疲れた声だった。
もちろん、だから制度が必要ないという話にはならない。
真神幸一郎が金銭に執着しないからといって、次に同じような力を持つ者まで同じ価値観である保証はない。制度は一人の善意や性格を前提には作れない。
規則は必要だった。
必要なのだが――。
『本人が決める必要のあることは、本人が決めました。その決定を対外的に説明するのは、WHAとアメリカ政府の仕事です』
一人の官僚が、机の資料へ視線を落とした。
そこには、何度も検討され、修正されてきた言葉が並んでいる。
保護。管理。責任。活動。協力。
そのどれもが間違っているわけではない。
だが、画面の向こうにいるWHAは、もっと単純な方法で真神幸一郎と関わっていた。
本人が決めるべきことは、本人に決めさせる。
本人でなくてもできることは、組織が引き受ける。
「……これが一番うまくいってるんですよね」
ぽつりと漏れた言葉に、すぐ答える者はいなかった。
日本では、真神幸一郎という一人の人間を、制度の中へどう収めるのかを考え続けてきた。
WHAは、彼が自分からそこにいたいと思える環境を用意した。
その結果が、画面に表示されている。
70%。
29%。
1%。
「……規制したわけでもないのに」
「はい」
「命令したわけでもない」
「はい」
「本人が、自分から9%を?」
「そういう契約に変更したようです」
また沈黙が落ちた。
やがて、一人が手元の資料を閉じる。
「とりあえず、この件も追加しましょう」
「どこにです?」
「…………」
閉じたばかりの資料を見る。
「どこでしょうね」
誰もすぐには答えられなかった。
テレビの中では、すでに次の質問が始まっていた。
世界はまた、真神幸一郎という男について新しい情報を一つ手に入れた。
そして日本では、その新しい情報を既存の規則のどこへ収めるべきなのか、また一つ仕事が増えていた。




