第3章 第67話 世界は踊る
第3章 第67話(仮)
ハワイダンジョンを出た幸一郎がWHAの用意した車へ乗り込んだ頃には、世界中がすでに騒ぎ始めていた。
石油。
年間600万バレル。
最低稼働保証期間30年。
稼働開始日未設定。
鐘によって突然もたらされた情報は、各国政府と報道機関を一斉に動かしている。
もっとも、その中心にいる本人は、そんなことを知る由もなかった。
「セルマさん、これ」
車内で幸一郎はスマートフォンを差し出した。
「追加で色々出ました」
「拝見します」
セルマが画面を確認していく。
年間予定産出量と最低稼働保証期間。そこまでは鐘によって世界へ知らされている。
だが、その先は違った。
第2階層以降を石油貯留領域へ変更。
第1階層に採取設備接続領域を形成。
資源は第2階層以降へ継続的に供給され、第1階層より採取可能。
「……こちらは、鐘では?」
「言ってなかったですね」
「承知しました」
セルマはスマートフォンを預かった。
この情報をどう整理し、どこまで開示するのか。それはセルマとレイチェルの仕事になる。
「稼働開始日は設定されなかったのですね」
「はい。そこまで勝手に決めるのもあれなんで」
「正しい判断かと」
「またそれ言われた」
セルマは静かにスマートフォンをしまった。
「レイチェルさんは?」
「すでにアメリカ側との連絡に入っています」
「早いですね」
「鐘が鳴りましたので」
「ああ……」
幸一郎は窓の外へ視線を向けた。
ハワイについては、しばらく自分にできることはない。
資源は選択した。新たに表示された情報も渡した。稼働開始日は未設定のまま残してある。
ここから先、アメリカ側との交渉はレイチェルの領分だった。
「じゃあ、俺はしばらく暇?」
「ハワイに関しては、現時点では」
「なら――」
幸一郎は少し考え、以前から耳に入っていた話を思い出した。
堺東ダンジョンの開放運動。
完全攻略後、待機状態となったことで入場できなくなったダンジョンを、もう一度開放してほしい。その声は時間が経つにつれて小さくなるどころか、むしろ大きくなっていた。
「ダンジョン開放運動の対処、してきます」
セルマが顔を上げた。
「堺東ですか?」
「はい」
「今からですか?」
「今なら時間あるんで」
「何をなさるおつもりですか?」
幸一郎は、何でもないことのように答えた。
「彼らの要望を叶えてあげに行きます」
「……要望を?」
「開放してほしいんでしょう?」
「そうですね」
「なら、開けてきます」
セルマは数秒、幸一郎を見つめた。
「可能なのですか?」
「できますよ。最深部まで行かないと駄目ですけど」
「……最深部」
「踏破者用のポートがあるんで、すぐです」
また一つ、セルマの知らなかった情報が増えた。
完全攻略されたダンジョンが待機状態になることは知られている。ハワイで《資源庫》が選択されたことによって、その先に何らかの機能が存在することも、つい先ほど世界へ知られた。
だが、待機状態そのものを解除できること。
完全攻略されたダンジョンを再び攻略可能な状態へ戻せること。
そして、その操作を最深部で行えること。
そのどれも、まだ世界には知られていない。
「承知しました。移動を手配します」
「お願いします」
「日本側への事前連絡は?」
「必要ないんじゃないです?」
幸一郎は首を傾げた。
「要望通りにするだけですし」
「……承知しました」
◇ ◇ ◇
その頃、日本では。
「年間600万バレルです」
「それは分かっている。問題は、その数字をどう評価するかだ」
関係省庁から次々と情報が集められ、政府内では慌ただしい分析が続いていた。
年間600万バレル。
最低30年。
稼働開始日未設定。
通常の油田ではない。埋蔵量すら分からない。そもそも《資源庫》とは何なのか。
アメリカ政府はどこまで知っていたのか。
WHAは。
そして、真神幸一郎は今どこにいるのか。
「現在地は?」
「確認できていません」
「まだハワイでは?」
「WHAからの発表はありません」
分からない。
その言葉ばかりが増えていく。
誰もがハワイを見ていた。
その頃にはすでに、幸一郎は日本へ向かっていた。
◇ ◇ ◇
日本へ到着してからの動きも早かった。
JHAには連絡しない。
大阪支部にも寄らない。
誰かと会う予定もなかった。
そのまま堺東へ向かう。
入口周辺には職員や警備員、そしてダンジョンの再開を待ち続ける者たちの姿があった。
その横を、幸一郎が通り過ぎる。
誰も振り向かない。
イリュージョン。
姿を消したまま入口を抜ける。
受付には寄らない。
入場手続きもしない。
通常の攻略に来たわけではないのだから、その必要もなかった。
幸一郎が向かったのは、完全踏破者だけが利用できるポートだった。
目的地を指定する。
最深部。
一瞬で景色が変わった。
「さて……」
誰もいない最深部で、幸一郎は管理画面を呼び出した。
《現在状態――待機》
《完全踏破者権限を確認》
《管理機能を表示します》
表示された項目の中から、目的のものを選ぶ。
《再初期化》
《ダンジョンを攻略可能状態へ再初期化します》
《待機状態は解除されます》
《よろしいですか?》
幸一郎は確認画面を眺めた。
待機状態のままなら安全だった。
魔物が外へ溢れることもない。
誰も入れない代わりに、何も出てこない。
それでも、開放してほしいという声は上がり続けていた。
「まあ……開けてほしいって話だしな」
確定する。
《再初期化を受理しました》
《堺東ダンジョンを攻略可能状態へ移行します》
《各階層へモンスターを再配置します》
《堺東ダンジョンへの入場が可能となりました》
「よし」
幸一郎が表示を確認した。
そして――。
鐘が鳴った。
◇ ◇ ◇
日本政府の会議室で、説明の途中だった男が口を閉じた。
誰もが顔を上げる。
聞き間違えるはずがない。
つい先ほど、ハワイダンジョンから年間600万バレルの石油が産出可能になることを告げたばかりの鐘だった。
『――堺東ダンジョンの待機状態が解除されました』
何人かが顔を見合わせた。
『再初期化を確認しました』
「……再初期化?」
知らない言葉だった。
『堺東ダンジョンを攻略可能状態へ移行しました』
そこでようやく、意味を理解し始めた者がいた。
だが、続く言葉が、その理解をさらに一段先へ押し進める。
『各階層へモンスターを再配置します』
会議室が静まり返った。
『堺東ダンジョンへの入場が可能となりました』
通知が終わった。
誰も、すぐには口を開かなかった。
「何が……起きた?」
最初に出た問いに、答えられる者はいない。
「待機状態は、自然に解除されるものなのか?」
「そのような事例は確認されていません」
「では、再初期化とは?」
「分かりません」
「何か条件があるのか?」
「それも不明です」
当然だった。
待機状態に《再初期化》という機能が存在する。
その事実自体が、今この瞬間、初めて世界へ知らされたのだから。
誰が操作できるのか。
そもそも誰かが操作するものなのか。
どこで、どのような条件を満たせば状態が変化するのか。
何も分からない。
「JHAへ確認を。堺東で何か変化が起きていないか」
出せる指示は、それくらいだった。
◇ ◇ ◇
JHA大阪支部でも、混乱は同じだった。
「入口が開きました」
「内部は?」
「確認班を編成しています。ただ、システム通知通りなら……」
「モンスターがいる」
「はい」
待機状態となって以来、閉ざされていた堺東ダンジョン。
それが突然、攻略可能な状態へ戻った。
「再初期化について何か記録は?」
「ありません」
「過去の事例は?」
「確認できていません」
「原因は?」
「不明です」
藤堂は報告を聞きながら眉を寄せた。
「真神さんから何か連絡は?」
「ありません」
「そうですか」
それ以上は続かなかった。
堺東を完全攻略したのが幸一郎であることは事実である。
だが、それだけだった。
完全踏破者に何らかの権限が与えられていることも、その権限を行使する場所が最深部であることも、踏破者だけが利用できるポートの存在も知られていない。
そもそも、待機状態を誰かが操作できるという前提そのものがなかった。
原因を探そうにも、何を探せばいいのかすら分からなかった。
◇ ◇ ◇
別の場所では、歓声が上がっていた。
「開いたぞ!」
「堺東が開放された!」
待ち望まれていた知らせだった。
閉ざされたままのダンジョンを開放しろ。
資源を眠らせるな。
ハンターから攻略の機会を奪うな。
そう訴え続けてきた者たちにとって、システムから直接告げられた入場可能の通知は、望んでいた答えそのものだった。
歓声は広がっていく。
SNSにも喜びの声が溢れ始めた。
自分たちの声が届いた。
ようやく閉鎖が終わった。
これでまた堺東へ潜れる。
その中で、先ほどの通知に含まれていた一文を気に留める者は、まだ多くなかった。
『各階層へモンスターを再配置します』
堺東は開いた。
入口だけではない。
中身まで、再び攻略するためのダンジョンとして。
◇ ◇ ◇
その頃。
何が起きたのか、その答えを知る人間は、すでに最深部にはいなかった。
完全踏破者用ポートを使って戻り、イリュージョンを維持したまま外へ出る。
誰にも声をかけない。
誰にも止められない。
そもそも、誰も幸一郎がそこにいることを知らない。
そして何より。
誰も、彼を探していなかった。
探す理由そのものが、まだ存在していなかったからだ。
幸一郎はスマートフォンを取り出し、セルマへ連絡した。
「終わりました」
『承知しました』
「今から戻ります」
『お待ちしております』
通話を切る。
開放運動への対処は終わった。
彼らの要望は叶えた。
望まれていた通り、堺東ダンジョンは再び誰でも挑戦できる状態になった。
それ以上、幸一郎がすることはない。
日本がハワイの石油について最初の情報整理を終えるよりも早く。
幸一郎は日本へ入り、堺東ダンジョンを再初期化し、すでにその場を離れていた。
世界が彼の一つ前の行動を追いかけている間に。
本人は、もう次の用事を終えていた。
最終章 113話あたりを作成中です。




