第3章 第66話 資源庫が与える世界への影響
その会談は、公表される予定のないものだった。
出席者も必要最小限に絞られている。アメリカ合衆国政府から数名。そしてWHAからは、会長であるレイチェル・アシュフォード。
テーブルの上に置かれた資料にも、すべての情報が記載されているわけではない。原本は出さず、セルマが作成した資料から、レイチェルが必要と判断した部分だけが抜粋されていた。
「最初に確認させてください。これは、ハワイダンジョンを完全攻略したことで出現した機能である、と?」
「はい。《資源庫》。少なくとも、表示上はそう呼ばれています」
石油、石炭、天然ガス、メタンハイドレート、鉱物、異鉱物。
並べられた選択肢を前に、室内の空気は最初から重かった。どれを選んでも、その影響は小さくない。
「産出量についての記載がありません」
「ありません」
「推定値は?」
「出せません。選択を確定するまで表示されないものと考えています」
「期間についても?」
「同様です」
米国側の代表は、しばらく資料へ視線を落とした。
「つまり我々は、どれだけ得られるのか分からない資源について協議している?」
「その通りです」
奇妙な話だった。
通常なら埋蔵量を調査し、採算性を計算し、必要な設備を見積もる。その上で開発するか否かを決める。
だが、ダンジョンはその順序を許してくれない。
選ばなければ分からない。そして一度選んだものを変更できる保証もない。
「WHAとしては、石油を?」
「現時点での第一候補です」
レイチェルは断定ではなく、候補として答えた。
既存の市場があり、輸送、精製、備蓄、消費まで社会基盤が整っている。利用方法そのものから研究しなければならない異鉱物などと比べれば、選択後の見通しを立てやすい。
そして何より、ここはハワイだった。
ただし、それを理由にアメリカへ選択権が移るわけではない。
「最終的に選択するのは、真神幸一郎です」
その一点だけは、最初から動かなかった。
だからこそ、この場で話し合われたのも、幸一郎に石油を選ばせる方法ではない。
もし石油が選ばれた場合に、どうするか。
管理、警備、採取、搬出、必要となる設備や人員、環境への影響、そして利益の扱い。
分からないものは分からないまま残し、それでも事前に決められる部分だけを詰めていく。
協議には時間がかかった。
それでも、決裂する理由はなかった。
アメリカにとっても、WHAにとっても、そして幸一郎にとっても、実際に何かが始まってから慌てるより、先に枠組みを用意しておく方がいい。
やがて、1つの条件案が形になった。
◇ ◇ ◇
「――という形になりました」
「なるほど」
数日後。
レイチェルから説明を受けた幸一郎は、セルマがまとめ直した資料を眺めながらコーヒーを飲んでいた。
細かな条文まで幸一郎が交渉したわけではない。
アメリカ側との交渉はレイチェルが行った。その結果を整理し、幸一郎が判断するために必要な部分をまとめたのはセルマだった。
そして最後に、それを受け入れるかどうかを決めるのが幸一郎だった。
「これなら、俺が何かする必要は?」
「資源を選択していただくこと。それから、必要になった場合に《資源庫》内部の確認をお願いする可能性があります」
「それくらい?」
「現時点では」
「じゃあ、それでいいです」
幸一郎にとっては、それで十分だった。
「では、石油を第一選択として進めます」
「はい」
「ただし、実際の産出量が判明するのは選択後です」
「少なかったら?」
「その時は、その時です」
「ですよね」
誰にも分からない。
年間1000バレルかもしれない。1万かもしれない。あるいは、それ以下という可能性すらある。
それでも石油を選択した場合に何が必要になるのかは、可能な限り事前に整理した。
幸一郎は資料を閉じた。
「じゃあ、行ってきます」
「お願いします」
「お気をつけて」
「選んで帰ってくるだけだけどな」
セルマへそう返して、幸一郎は立ち上がった。
◇ ◇ ◇
ハワイダンジョン最深部。
つい数日前まで最後の試練が存在していた場所へ戻った幸一郎の前に、《資源庫》の選択画面が浮かんでいた。
表示されている内容は、以前と変わらない。
石油。
石炭。
天然ガス。
メタンハイドレート。
鉱物。
異鉱物。
その中から、幸一郎は石油を選択した。
《資源庫の対象資源として『石油』を選択します》
《選択後の変更は保証されません》
《よろしいですか?》
ここまでは、以前にも確認している。
前回は、この画面を撮影したところで止めた。
「はい」
今回は、その先へ進む。
選択を確定すると、表示されていた画面が消えた。
代わりに、新しい文字列が次々と浮かび上がる。
《資源庫設定を更新しました》
《対象資源――石油》
《年間予定産出量――6,000,000バレル》
《最低稼働保証期間――30年》
「…………」
幸一郎の目が止まった。
600万バレル。
それがどの程度の量なのか、いまいち実感が湧かない。石油をバレル単位で生活した経験などないのだから当然だった。
だが、表示はまだ終わっていなかった。
《選択資源に合わせ、資源庫内部構造を変更します》
《第2階層以降を石油貯留領域へ変更します》
《第1階層に採取設備接続領域を形成します》
《資源は第2階層以降へ継続的に供給され、第1階層より採取可能となります》
《稼働開始日――未設定》
「……2階から下、全部?」
幸一郎は思わず呟いた。
つい数日前まで、そこには魔物が徘徊していた。広大な階層が続き、その最深部まで到達するために半年近い時間を費やした場所である。
その第2階層以降が、石油で満たされる。
《資源庫》とは、完全攻略されたダンジョンのどこかから資源が採れるようになるだけの機能ではなかった。
ダンジョンそのものを、選択された資源を生み出すための場所へ作り替える。
どうやら、そういうものらしい。
「……なるほど」
分かったような、分からないような。
幸一郎はスマートフォンを取り出した。
年間予定産出量。
最低稼働保証期間。
第2階層以降の変化。
第1階層に形成される採取設備との接続領域。
そして、まだ設定されていない稼働開始日。
一枚では収まらない表示を、前回と同じように順番に撮影していく。
後から説明するより、見せた方が早い。
「これもレイチェルさんに見せればいいか」
最後の画面まで撮り終えた。
その時だった。
鐘が鳴った。
◇ ◇ ◇
東京。
アメリカ本土。
ロンドン。
パリ。
北京。
そして、世界中で。
それぞれの日常へ、唐突に同じ鐘の音が割り込んだ。
すでに一度、ハワイダンジョンの完全攻略を告げた鐘。
その音を覚えていた者たちが、一斉に動きを止める。
『――ハワイダンジョンの待機状態が解除されました』
『資源庫の選択を確認しました』
日本政府で。
JHA本部で。
各国の政府機関で。
報道機関で。
そして、つい数日前までレイチェルと協議を続けていたアメリカ政府の関係者たちも、続く言葉を待った。
『選択資源――石油』
その瞬間。
ごく一部の人間だけは、驚かなかった。
可能性は知らされていた。
石油が第一候補であることも、それが選ばれた場合に備えて協議まで済ませている。
だから、ここまでは想定の範囲内だった。
『年間予定産出量――6,000,000バレル』
空気が止まった。
その数字だけは、誰も知らない。
アメリカ政府も。
WHAも。
レイチェル・アシュフォードでさえ。
知ることができなかった。
『最低稼働保証期間――30年』
単純計算で、最低1億8000万バレル。
それは埋蔵量を意味する数字ではない。
年間600万バレルという産出能力が、少なくとも30年間は保証される。
告げられたのは、そういう数字だった。
そして最後に、もう1つ。
『稼働開始日――未設定』
そこで、世界への通知は終わった。
◇ ◇ ◇
「……600万?」
日本のテレビ局で、誰かが呟いた。
生放送中だったスタジオでも、すぐには誰も言葉を発することができなかった。
ハワイダンジョンが完全攻略された。
攻略したのは真神幸一郎だった。
その真神幸一郎がWHAに所属していた。
そこまでは、ようやく理解した。
だが、今度は知らない言葉が増えている。
《資源庫》。
石油。
年間600万バレル。
最低30年。
そして、稼働開始日未設定。
「開始日未設定というのは……どういう意味でしょう?」
司会者に問われた専門家も、すぐには答えなかった。
「そのまま受け取るなら、まだ産出は始まっていない、ということだと思います」
「では、いつから?」
「分かりません」
「誰が決めるんでしょう?」
「それも……現時点では」
分からない。
世界に知らされたのは、石油が選択されたという事実。
年間600万バレルという数字。
それが最低30年間保証されるということ。
そして――まだ始まっていないということだけだった。
その石油がどのような形で存在するのか。
どうやって採取するのか。
誰が管理するのか。
それらについて、鐘は何も教えてくれなかった。
◇ ◇ ◇
その頃。
ハワイダンジョンの最深部では、世界中で何が始まっているのかも知らず、幸一郎が撮影した画像を確認していた。
「……よし」
全部撮れている。
あとは持って帰ればいい。
稼働開始日は、まだ設定していない。
それをいつにするかも含めて、また相談すればいいだろう。
幸一郎はスマートフォンをポケットへ戻した。
「帰ろ」
石油に変わることが決まった巨大なダンジョンを背に、地上へ向かって歩き始める。
その頃にはすでに、世界中の政府と報道機関が年間600万という数字の意味を計算し始めていた。
けれど。
その第2階層から下が、丸ごと石油で満たされることになるとは。
まだ、世界の誰も知らなかった。




