第3章 第65話 役割
レイチェル・アシュフォードが到着したのは、セルマから連絡を受けてから数時間後のことだった。
すでに日は傾き始めている。
車を降りたレイチェルを、建物の前でセルマが迎えた。
「お疲れ様です、アシュフォード会長」
「ええ。彼は?」
「お休みになっています」
「そう」
それ以上、レイチェルは何も言わなかった。
半年近くダンジョンへ潜り、つい数時間前に最終エリアを突破したばかりである。むしろ起きて待っていろという方がおかしい。
「到着をお伝えしますか?」
「いいえ。少しくらい待てるわ。それより、見せてもらえる?」
「準備してあります」
セルマに案内された部屋の中央には、大きなテーブルが置かれていた。その上には整理された資料と、一台のスマートフォン。
幸一郎から預かったものだった。
◇ ◇ ◇
数時間前。
風呂を済ませた幸一郎の前には、数種類のサンドイッチと温かいスープが用意されていた。
半年近い攻略を終えた直後の食事としてはいささか簡素だったが、本人は気にした様子もなくサンドイッチを手に取った。
「レイチェルさん、どれくらいで来ます?」
「数時間ほどかと」
「じゃあ、食ったら寝ます」
「承知しました。到着されましたらお声がけします」
「お願いします」
食事は静かに終わった。幸一郎はサンドイッチをいくつか平らげ、スープを飲み干すと、そのまま用意された部屋へ向かった。
ほどなくして、建物の一角は静かになった。
その頃、セルマは別室で仕事を始めていた。
机の上には、幸一郎から預かったスマートフォン。その中に保存されているのは、ハワイダンジョン最深部で撮影された《資源庫》の画像だった。
外部通信から切り離した環境へデータを移し、まず原本を保全する。それから、幸一郎が撮影した画像を順番に整理していった。
資源種別の一覧。
石油、石炭、天然ガス、メタンハイドレート、鉱物、異鉱物。
さらに、それぞれを選択した際に表示された内容。幸一郎は一つずつ確認し、選択を確定する直前まで撮影していた。
セルマは画像そのものには手を加えず、そこに表示された内容を資料へ落としていく。共通する条件、異なる条件、現時点で確認できること、選択後でなければ分からないこと。
推測は入れない。
分からないものは、分からないままにする。
必要なのは結論ではなく、判断する者が短時間で正確に内容を把握できる状態にすることだった。
その間、半年近い攻略を終えた本人は眠っていた。
攻略する者が休んでいる間に、情報を整理する者が働く。
それが今のセルマの役目だった。
◇ ◇ ◇
「――こちらです」
現在へ戻り、セルマが資料をレイチェルの前へ差し出した。
レイチェルは椅子に座り、最初のページを開く。
《特殊機能――《資源庫》》
しばらく、紙をめくる音だけが続いた。
石油。
石炭。
天然ガス。
メタンハイドレート。
鉱物。
異鉱物。
一通り目を通したレイチェルは、再び最初へ戻った。今度は先ほどより時間をかけ、項目を比較しながら読み進めていく。
「これを、すべて彼が?」
「はい。選択確定の直前まで確認されています」
「原本は?」
「こちらです」
セルマがテーブルの端に置かれたスマートフォンを示した。
「通信には?」
「載せていません」
レイチェルが顔を上げる。
「正しい判断よ」
「ありがとうございます」
それだけ確認すると、再び資料へ目を落とした。
ハワイダンジョンが完全攻略されたことは、すでに世界中が知っている。
だが、その先にこれほどのものが存在していることを知る者は、まだほとんどいない。
まして、どれを選ぶかによって完全攻略後のダンジョンそのものが変わる。
軽々しく扱っていい情報ではなかった。
「アメリカ側には?」
「何も伝えていません」
「そのままで」
「承知しました」
さらに数分、レイチェルは資料を読み続けた。
やがて一枚の上で指が止まる。
石油。
しかし、すぐには結論を出さなかった。
「セルマ」
「はい」
「彼を起こしてもらえる?」
「承知しました」
◇ ◇ ◇
「真神さん」
「ん……」
呼びかけに目を開けると、セルマが立っていた。
「アシュフォード会長が到着されました」
「ああ……もう来た?」
「はい」
「分かった。起きる」
「お飲み物をご用意します」
「コーヒーで」
「承知しました」
顔を洗い、適当に髪を整えてから部屋へ向かう。
そこにはすでにレイチェルが待っていた。テーブルの上には、自分が撮影した写真から作られた資料が整然と並べられている。
「お疲れ様でした、真神さん」
「どうも。わざわざ来てもらってすみません」
「構いません。セルマが通信では話せないと言うので、何事かと思いましたが……これは確かに、その方がよかったようですね」
「そんなにです?」
「そんなにです」
「あぁ……」
幸一郎は空いている椅子へ座った。ほどなくしてセルマがコーヒーを置き、自分も席につく。
レイチェルは資料を幸一郎の方へ少し寄せた。
「確認します。現在、ハワイダンジョンでは、この中のどれも選択されていないのですね?」
「待機状態です」
「選択した後、別の資源へ変更することは?」
「分かりません。そこまで表示されなかったんで」
「だから選ばなかった?」
「それもありますね。勝手に決めて、あとから戻せませんでしたじゃ面倒なんで」
「正解です」
また言われた。
幸一郎はコーヒーを一口飲んだ。
「セルマも同じこと言ってましたよ」
「当然かと」
横から返ってきた。
レイチェルの口元に、わずかな笑みが浮かぶ。
だが、すぐに資料へ戻った。
「現状では、情報が足りません。産出量も分からない。どれだけの期間維持されるのかも分からない。実際にどのような形で資源が得られるのかも、選択してみなければ分からない部分があります」
「結構分からないんですね」
「ええ。それでも、検討する順番はつけられます」
レイチェルが一枚を抜き出した。
石油だった。
「私は、まずこれを検討するべきだと考えています」
「石油ですか」
「ええ。ここがハワイだから、という理由もあります」
石油には、すでに巨大な市場と利用体系が存在する。採取した後にどう使うかすら分からない異鉱物とは違い、採掘、輸送、精製、備蓄、消費まで既存の仕組みに乗せることができる。
そして何より、ハワイはアメリカ合衆国の一部だった。
「ですので、アメリカ側とは事前に話をします」
「許可を取るんです?」
「いいえ」
レイチェルは即座に否定した。
「選択する権利を、アメリカ政府へ渡すつもりはありません。ただ、その選択によって大きな影響を受ける相手と、事前に条件を整理する必要はあります」
「ああ、なるほど」
「管理をどうするのか。採取された資源をどう扱うのか。必要になる設備や人員を誰が用意するのか。利益の扱いも決めなければなりません。それらを整理した上で、最終的には真神さんに選んでいただきます」
「分かりました」
そこで幸一郎は少し考えた。
「ただ、そういう交渉事って、俺あんまり得意じゃないんですよね」
「ええ」
「必要なら出ますけど、そっちはレイチェルさんにやってもらえるとありがたいです」
レイチェルは、ごく自然に頷いた。
「そのために私がいます」
「助かります」
「私がアメリカ側と交渉し、条件を整理します。セルマには、そのために必要な資料と、真神さん側の情報管理を担当してもらいます」
「はい」
セルマが短く応じる。
「そして条件が揃ったところで、真神さんにお伝えします」
「それなら」
「ただし――」
レイチェルが幸一郎を見る。
「最後に選ぶのは、あなたです」
「それはもちろん」
幸一郎はあっさり答えた。
「俺が選ばないと、たぶん動かないですし」
「それもありますけどね」
レイチェルが少しだけ笑った。
交渉する者。
支える者。
そして、選ぶ者。
それぞれが、自分にできることをすればいい。
幸一郎がWHAへ所属したことで、その役割はいつの間にか綺麗に分かれていた。
「では、この資料の一部をアメリカ側へ提示しても?」
「いいですよ。公開はしないでくださいね」
「もちろんです。相手も限定します」
「なら、任せます」
それで幸一郎の中では話が終わったらしい。
コーヒーへ手を伸ばす。
レイチェルはその様子を見てから、セルマへ視線を移した。
「セルマ。対外提示用の資料を別に作って。原本は出さないで」
「承知しました」
「提示範囲はこちらで決めます」
「はい」
話は動き始めた。
幸一郎が半年近くかけて攻略し、持ち帰ったものをセルマが整理する。
その情報をもとに、レイチェルが国家を相手に交渉する。
そして最後に、再び幸一郎のところへ選択肢が戻ってくる。
誰も、彼の代わりには決めない。
だが――彼がすべてを一人で背負う必要もなかった。




