第3章 第64話 待機状態の裏にある物
世界中で答え合わせが終わった頃、その答えになった本人は、まだハワイダンジョンの最深部にいた。
つい先ほどまで戦闘が行われていたとは思えないほど、周囲は静まり返っている。幸一郎の前には《ハワイダンジョンの完全攻略を確認しました》《ハワイダンジョンは待機状態へ移行します》という、六甲山や堺東でも見た表示が浮かんでいた。
そして、その先。
《特殊機能――《資源庫》が解放されました》
「……やっぱり出たか」
琵琶湖でレイチェルたちに話した、完全攻略後に現れる機能だった。表示へ触れると画面が切り替わり、《資源種別を選択してください》という文字の下に、石油、石炭、天然ガス、メタンハイドレート、鉱物、異鉱物と項目が並ぶ。
幸一郎はしばらく眺めたあと、スマートフォンを取り出した。
まず一覧を撮影する。それから石油を選び、表示された内容を確認して撮影。最終確認へ進む直前で戻り、次は石炭。同じことを天然ガス、メタンハイドレート、鉱物、異鉱物と繰り返していく。
最後まで確認すると、最初の画面へ戻った。
「……こんなもんか」
結局、何も選ばなかった。一度選択したものを簡単に変更できる保証はない。それなら自分一人で決めるより、詳しい人間に見せた方がいい。
「さて……帰るか」
《資源庫》を待機状態のまま残し、幸一郎は半年近くを過ごしたハワイダンジョンを後にした。
◇ ◇ ◇
地上へ出て、最初に感じたのは眩しさだった。
「……明る」
久しぶりに浴びるハワイの陽射しに目を細める。
二度目の鐘が鳴ってから、それほど時間は経っていない。それでも出口周辺には、現地の関係者や警備担当者に加え、報道関係者の姿もあった。
世界中の報道機関が殺到するには、さすがに早すぎる。
だが、その中の一台のカメラが出口から現れた幸一郎を捉えた。
◇ ◇ ◇
日本では、その映像が生中継されていた。
二度目の鐘が真神幸一郎の名を告げた直後から、各局は次々と予定を変更していた。画面の隅には《LIVE HAWAII》の文字。現地から送られてくる映像には、ハワイダンジョンの出入口が映っている。
『――今、誰か出てきました!』
現地レポーターの声が上ずった。
カメラが寄る。久しぶりの陽射しに目を細めながら、一人の男が歩いてくる。
『真神です! 真神幸一郎です!』
スタジオがざわめいた。
鐘が告げた以上、分かっていたことである。それでも、半年近く日本で所在を確認できなかった男が、実際に太平洋の向こうのダンジョンから歩いて出てくる映像には別の意味があった。
『真神さん!』
『真神さん、こちらを!』
『いつからハワイダンジョンに――』
いくつもの声が飛ぶ。
その時、画面の左右から黒いスーツ姿の人間が現れた。
六人。
白人もいれば黒人もいる。男性が四人、女性が二人。全員が黒いスーツに身を包み、黒いサングラスを掛けていた。
六人は迷うことなく幸一郎の前後左右へ散り、報道陣との間を塞いでいく。
『……あの方々は?』
『WHAのスタッフと思われます』
『スタッフ……ですか』
『はい』
スタジオに、なんとも言えない空気が流れた。
画面の中では、幸一郎が自分を取り囲んだ黒服たちを一度見回している。そのうちの一人が何かを告げると、幸一郎は頷いた。
そして、普通についていった。
『真神幸一郎、移動します!』
カメラが追う。
その先には、すでに4台の黒い車両が待機していた。運転手は最初から乗車していたらしく、一団が近づくと同時にドアが開く。
『車が……4台ありますね』
『ありますね』
『真神さん、お一人ですよね?』
『……はい』
もちろん実際には護衛やスタッフも乗るのだろう。それでも、画面越しに見る光景はいささか物々しい。
先頭車両へ護衛が乗り込み、幸一郎は中央の一台へ。残る者たちも前後の車両へ分乗していく。
誰かがその場で指示を出している様子はない。誰がどこに立ち、どの車へ乗るのか。最初から決められていたのだろう。
ほんの十数秒。
ドアが閉じ、4台の車列が動き出した。
半年近く所在不明だった日本人ハンターの帰還は、世界中が見守る生中継の中、驚くほどあっさりと終わった。
『……ずいぶん、厳重ですね』
『そうですね。ただ――』
解説者が、遠ざかっていく車列を見る。
『真神さんを危険から守るというより、誰も真神さんへ近づけないようにしているようにも見えますね』
それは似ているようで、少し違う。
ハワイダンジョンを一人で完全攻略したばかりの男に、どれほど護衛が必要なのかは分からない。
だが、押しかけてくる人間から彼の平穏を守るという意味では、WHAの仕事は徹底していた。
◇ ◇ ◇
当の幸一郎は、そんな解説が日本で行われていることなど知らなかった。
窓の外へ目を向ければ、報道陣はすでに遠ざかっている。質問されることもない。立ち止められることもない。何か説明しろと求められることもなかった。
「……楽だな」
六甲山から帰ってきた時とは、ずいぶん違った。
◇ ◇ ◇
「お疲れさまでした、真神さん」
「どうも」
セルマと顔を合わせるのも久しぶりだったが、彼女は攻略について質問するでもなく、世界中が騒いでいることを説明するでもなかった。
「お食事と入浴、どちらを先になさいますか?」
「風呂。あと飯」
「承知しました。用意してあります」
「助かります」
幸一郎にとっては、今のところ世界情勢よりそちらの方が重要だった。
そのまま歩き出そうとして、ふと思い出す。
「あ、セルマさん。これ、出ました」
スマートフォンを取り出し、画面を見せる。
セルマの赤い瞳が、そこに表示された文字で止まった。
《特殊機能――《資源庫》》
「……《資源庫》」
「やっぱりありました」
幸一郎が指を動かす。資源種別の一覧から、それぞれの項目を選んだ際に表示された内容まで、一枚ずつ見せていく。
セルマは途中で口を挟まなかった。
最後まで確認してから、ようやく顔を上げる。
「選択はされましたか?」
「待機状態」
「なぜです?」
「俺が勝手に決めるより、レイチェルさんたちに見せた方がいいかなと」
「……正解かと」
「あぁ……」
大層な判断をしたつもりはなかった。何が起きるか分からないものなら、選ぶ前に詳しい人間へ見せた方がいい。ただ、それだけである。
幸一郎は、各項目について最終確認へ進む直前まで調べ、すべて撮影したことも伝えた。
「この画面は、他の方には見せましたか?」
「いや。セルマさんだけ」
セルマは短く頷くと、もう一度スマートフォンへ目を落とした。
「真神さん。このデータを、私にいただけますか? それと、スマートフォンもしばらくお預かりしてよろしいでしょうか」
「いいですよ。どうぞ」
幸一郎はそのままスマートフォンを差し出した。
「ありがとうございます」
「レイチェルさんに送るんです?」
「いいえ。通信では送れません」
「……そんなに?」
「はい」
それ以上説明することなく、セルマは自分の端末を取り出した。
◇ ◇ ◇
アメリカ本土。
二度目の鐘が鳴って以降、レイチェル・アシュフォードの周囲も慌ただしさを増していた。
ハワイダンジョンが完全攻略された以上、現地との調整は新たな段階へ移る。WHA所属ハンターが攻略した以上、WHA会長である彼女にもやるべきことはいくらでもあった。
だが、レイチェルにもまだ知らないことがある。
完全攻略されたハワイダンジョンが、その後どうなったのか。
手元の端末が鳴った。
『アシュフォード会長。セルマです』
「お疲れ様、セルマ。彼は?」
『無事に帰還されました』
「そう。よかったわ」
まず確認したのは、それだけだった。
『会長。直接こちらへお越しいただけますか』
レイチェルの手が止まる。
セルマが電話をかけてきたにもかかわらず、電話では内容を話さない。その意味を理解するのに時間はかからなかった。
「……通信では話せないのね?」
『はい』
何があったのかとは尋ねなかった。
「分かったわ。すぐに向かいます」
◇ ◇ ◇
通話を終えたセルマの前では、幸一郎がまだ立っていた。
「レイチェルさん、今どこなんです?」
「アメリカ本土です」
「……結構遠くない?」
「少々」
「忙しいんじゃないです?」
「非常に」
「呼んで大丈夫?」
「それは、アシュフォード会長が判断されます」
「あぁ……」
なら、自分が気にすることでもない。
「じゃあ、風呂入ってきます」
「はい。ごゆっくりどうぞ」
幸一郎は今度こそ歩いていった。
セルマの手元には、彼から預かったスマートフォンが残された。
世界は、ハワイダンジョンが完全攻略されたことを知った。
攻略者が真神幸一郎であることも。
彼がWHA所属となっていたことも。
その三つだけで、すでに世界は十分すぎるほど騒がしい。
だが、その先はまだ誰も知らない。
石油。石炭。天然ガス。メタンハイドレート。鉱物。そして異鉱物。
完全攻略されたダンジョンの最深部には、それらが選択肢として並んでいる。
そして幸一郎は――まだ何も選んでいなかった。
《資源庫》は、静かに待機を続けていた。




