第2章 第57話 第二回有識者会議
第2回有識者会議が開かれたのは、第1回の会合から、およそ2か月後のことだった。
前回、結論は出なかった。
代わりに持ち帰ることになった課題は多い。
高位ハンターに求める社会的責任には、どのような法的根拠を置くことができるのか。緊急時に国家はどこまで協力を求めることができるのか。資格停止などの措置には、そもそも実効性があるのか。国外で活動する場合、日本国籍、国内資格、所属組織をどのように整理するのか。そして、高位ダンジョンから得られる希少素材を国家や社会が必要とした時、その必要性と個人の権利をどう両立させるのか。
2か月という時間は、それらすべてに答えを出すには短かった。
だが、調べるには十分な時間でもあった。
「それでは、第2回会議を始めます。まず、前回持ち帰りとなった各論点について、事務局および担当の先生方からお願いします」
最初に取り上げられたのは、社会的責任についてだった。
「前回の議論を踏まえ、現行法上、私人に対して危険を伴う行為への協力を求めることのできる制度について整理しました」
法学者の前に置かれた資料は、第1回よりも明らかに厚くなっていた。
「結論から申し上げれば、『高い能力を有している』という事実のみを根拠として、継続的な活動義務を課すことは難しいと考えます」
「緊急時についてもですか?」
「分けて考える必要があります」
法学者は資料を一枚めくった。
「差し迫った生命の危険が存在する場合に、一時的な協力を求める制度と、平時から特定の活動を義務付ける制度は性質が異なります。前者について検討の余地がないという意味ではありません」
「では、緊急時なら命令できる?」
「そこまでは申し上げていません」
即座に返された。
「誰が緊急事態を認定するのか。どの程度の被害を対象とするのか。本人に生じる危険をどこまで許容するのか。拒否した場合に罰則を設けるのか。少なくとも、それらを定めないまま『社会的責任』という言葉だけで包括的な義務を課すことは困難です」
「つまり、平時の活動義務と緊急時の協力は、別々に考えるべきだと」
「その方が適切でしょう」
議長が手元の資料へ書き込んだ。
「では、その前提で引き続き整理をお願いします。次に、資格停止措置について」
事務局の担当者が資料を開く。
「国内におけるハンター資格を停止した場合、JHA管理下のダンジョンへの入場、素材等の公式取引、JHAが提供する各種支援の利用などが制限されます」
「一般のハンターにとっては、相当な不利益ですね」
「はい。ただし、資格停止を制裁、あるいは抑止措置として使用する場合、対象者が資格を必要としていることが前提となります」
「真神氏の場合は?」
「判断できません」
短い答えだった。
「少なくとも、堺東ダンジョンの完全攻略以降、真神氏が国内のダンジョンへ新たに入場した記録はありません」
「期間は?」
「3か月近くになります」
何人かが顔を上げた。
「攻略直後でしょう。休養しているだけでは?」
「その可能性はあります」
「半年近く潜っていたんでしたね」
「はい」
それならば、数か月休んでいたところで不自然ではない。
「収入面は?」
「JHAを通じた活動による収入を、本人がどの程度必要としているかについても確認できていません」
元ハンターの委員が腕を組んだ。
「結局、前回と同じですね。資格を止めて本人が困るのか、それとも本人が活動を止めて社会の方が困るのか。それが分からない」
「現時点では、その評価になります」
次に、国外活動についての報告へ移った。
「国外での活動については、国籍、国内ハンター資格、所属組織、活動地の4点を分けて考える必要があります」
担当官が資料を示す。
「日本国籍を有することをもって、国外で行われるすべてのハンター活動を国内資格制度の管理下へ置くことは困難です。また、国外での活動については、現地法令や国際的なハンター関連制度との関係も生じます」
「事前報告を義務付けることは?」
「制度として設けること自体は検討できます。ただし、何を根拠として、誰を対象とし、違反した場合にどのような措置を取るのかは別途整理が必要です」
「国内資格を停止すればいい」
「国外で活動するために、その国内資格が必要である場合には有効でしょう」
「……必要でない場合は?」
「国内資格の停止によって、国外での活動そのものを停止させることはできません」
国籍を持つこと。
国内資格を持つこと。
国内組織へ所属すること。
そして、日本国内で活動すること。
それらは必ずしも同じではない。その点については、第1回よりも明確な整理がなされていた。
続いて、経済分野からの報告へ移った。
「希少素材については、産業界への聞き取りを行いました」
経済分野の委員が資料を開く。
「高位ダンジョンから得られる素材の中には、代替が困難、あるいは現時点で代替手段そのものが存在しないものがあります。安定した供給が可能となれば、複数の産業分野で極めて大きな価値を持つ可能性があります」
「経済安全保障上の重要性も?」
「当然、考慮すべきでしょう。ただし――」
委員はそこで言葉を区切った。
「国家や産業が必要としていることと、それを所有する個人に供給義務が生じることは別問題です」
「公共性は?」
「公共性が高いという理由だけで、直ちに個人の所有権を否定することはできません。買い上げ、優先契約、備蓄制度など、まず通常の経済的手段を検討すべきでしょう」
「つまり、必要なら買えと」
「端的に申し上げれば」
小さな笑いが起こった。
だが、それもすぐに消えた。
「もう1点、前回とは別の方向から検討した案があります」
行政制度を専門とする委員が、新たな資料を開いた。
「そもそも、一私人に公的な責務を負わせようとするから法的な整理が困難になるのであれば、本人の同意を前提として、公的な身分を付与するという方法も考えられるのではないでしょうか」
「公務員として任用する?」
「その一案です」
室内の空気が少し変わった。
「例えば、自衛隊との関係を持たせ、特別職国家公務員として任用する方法です。もちろん、既存の自衛官制度をそのまま適用できるとは考えていません。しかし国家との権利義務関係については、私人のまま社会的責任を求めるよりも明確になります」
「ダンジョン攻略を任務にするのか?」
「攻略だけではありません。大規模スタンピード、通常戦力では対応困難な未生物災害、その他の国家的緊急事態への対応も想定できます」
法律の専門家が資料を確認する。
「理屈としては、先ほどの問題の一部は解消できますね」
「ええ。少なくとも『能力があるから義務を負う』ではなく、本人の同意によって公的な身分を取得し、その身分に基づいて一定の責務を負うことになります」
「ただし、通常の自衛官と同じ指揮命令系統に置くのは無理でしょう」
「その点は新たに整理する必要があります。階級、指揮命令系統、任務の範囲、任務を拒否できる条件、報酬、国外活動、損害補償など、特例を設ける必要があるでしょう」
元ハンターの委員が資料を眺めながら苦笑した。
「ほとんど専用制度じゃないですか」
「結果として、そうなる可能性はあります」
「それでは結局、真神氏のための制度になるのでは?」
「現時点で該当する人物が1人しかいないことと、制度そのものを特定個人に限定することは別です。将来、同等の能力を持つハンターが現れる可能性まで否定する必要はないでしょう」
「本人が受ければ、の話ですよね?」
「もちろんです。強制的に任用することはできません」
「では、真神氏にとって何のメリットがあるんです?」
その問いで、また別の沈黙が生まれた。
「国家公務員としての身分保障」
「必要としていますか?」
「安定した報酬」
「金銭面で困っているという情報は?」
「ありません」
「装備や活動支援」
「自力で450階まで攻略する人間ですよ」
「国外活動時の政府による支援や、関係国との調整」
「それを本人が望んでいるかは?」
答えは出なかった。
元ハンターの委員が椅子へ身体を預ける。
「結局、そこへ戻ってくるんですね」
「本人が何を望んでいるのか、ですか」
「ええ」
行政制度の委員も頷いた。
「制度としては選択肢になり得ます。しかし、本人に受け入れる意思がなければ成立しません」
議長が資料へ書き込んだ。
「では、公的身分の付与についても選択肢の1つとして継続検討。本人の同意と、本人にとっての利益を含めた制度設計を前提とする、としておきましょう」
「少しよろしいでしょうか」
そこで、前回も出席していた法律の専門家が手を挙げた。
「今の話にも関係するのですが、前回、本人の意思を確認しないまま制度について議論していること自体が問題ではないか、という意見が出たと思います」
「はい」
「その後、真神氏本人への意見聴取は行われたのでしょうか」
事務局側で僅かに視線が交わされた。
「現時点では、まだ実施できていません」
「前回から2か月ですよね?」
「はい」
「今日の報告でも、本人に確認できていないため判断できない項目がいくつもあります。資格を必要としているのか。国内で活動を続ける意思があるのか。国外で活動するつもりがあるのか。素材をどのように扱うつもりなのか。そして今出た、公的な身分を受け入れる意思があるのか」
誰も否定しなかった。
「でしたら、一度本人に聞きませんか」
「JHAを通じて接触することを想定しています」
「JHAなら連絡が取れるんですよね?」
視線がJHA側へ集まった。
その中の1人が、藤堂を見る。
「大阪支部の藤堂支部長が、本人の電話番号をご存じです」
「俺ですか」
藤堂が顔を上げた。
「この場で一度、連絡していただくことは可能でしょうか?」
「電話なら」
「お願いします」
「構いませんよ」
藤堂はポケットからスマートフォンを取り出した。
連絡先を開き、登録されている番号を選ぶ。そのまま発信する。
数秒後。
『おかけになった電話は、電源が入っていないか――』
機械音声が流れ始めたところで、藤堂は通話を切った。
「駄目ですね」
「……電源が切れている?」
「みたいですね」
「普段から、こうなんですか?」
「基本、繋がりませんよ」
あまりにも普通に返された答えに、何人かが藤堂を見る。
「では、普段はどうやって連絡を取っているんです?」
「電話します」
「……繋がらないんですよね?」
「はい」
「それでは、連絡が取れないのでは?」
「掛けておけば、向こうが気づいた時に折り返してきます」
「折り返しを待つしかない?」
「そうですね」
藤堂はスマートフォンを机の上へ置いた。
「俺から連絡する時は、基本それだけですよ」
しばらく、誰も口を開かなかった。
「JHA本部には、別の連絡手段は?」
「ありません」
JHA側の職員が答えた。
「本人へ直接繋がる連絡手段として把握しているのは、その番号だけです」
「これまでも?」
「はい」
これまで、それで大きな問題にはならなかった。
真神幸一郎はJHAの職員ではない。決められた時間に出勤するわけでもなければ、JHAからの連絡に常時応答する義務があるわけでもない。必要があれば電話を入れ、本人が気づけば折り返してくる。
それだけの関係だった。
だが、本人の意思を確認しなければ先へ進めないとなった時、その事実はそれまでとは違う意味を持ち始める。
「折り返しは、どの程度で?」
「分かりませんね」
「今日中ということも?」
「あるかもしれません」
「数日後ということも?」
「あるでしょうね」
「もっと掛かることも?」
「あるんじゃないですか」
藤堂は淡々と答えた。
法律の専門家が、目の前の資料へ視線を落とした。
社会的責任の法的根拠。
緊急時の協力要請。
資格停止措置。
国外活動。
希少素材。
公的身分の付与。
2か月を掛け、第1回よりも遥かに多くのことが調べられていた。
分かったことも増えた。
できることと、できないこと。その境界も少しずつ見え始めている。
それでも、多くの問題が最後には同じ場所へ戻ってきた。
本人は、どう考えているのか。
「……では、真神氏から折り返しがあり次第、本人への意見聴取について調整をお願いします」
「分かりました」
議長はそう告げ、資料へ書き込んだ。
そして次の議題へ移る。
この時点では、まだ誰も深刻には考えていなかった。
真神幸一郎は、もともと連絡のつきやすい人間ではない。
電話を掛けた。
電源が切れていた。
ならば、折り返しを待てばいい。
これまでと同じように。




