第2章 第54話 第一回有識者会議
東京都内、中央合同庁舎。
午後2時。会議室には法学、危機管理、経済、ダンジョン研究などを専門とする有識者のほか、元ハンター、産業界の代表、関係省庁とJHAの担当者が集められていた。
会議の名称は、『高位ハンターの活動と社会的責任に関する有識者会議』。
各席には事務局が作成した資料が置かれ、正面のスクリーンにも同じ表題が表示されている。そこに真神幸一郎という名前はなかった。
だが、今日ここで議論される「高位ハンター」に現時点で誰が該当するのかは、出席者全員が知っていた。
「それでは定刻となりましたので、第1回、高位ハンターの活動と社会的責任に関する有識者会議を開催いたします」
事務局による出席者の紹介、資料の確認、議事の公開範囲についての説明が行われた後、進行が座長へ移った。
最初の議題は、新たな制度を検討するに至った背景だった。
事務局が提示した資料には、高難度ダンジョンへの単独攻略、長期間に及ぶ連絡不能、既存の流通量に大きな影響を与え得る希少素材の取得、国外での活動、そして既存制度では想定されていなかった突出した能力を持つハンターの出現が挙げられていた。
固有名詞を使わないよう慎重に作られた資料だった。
それでも、そのほとんどが誰について書かれたものなのかを隠すことには成功していなかった。
「以上を踏まえまして、一定以上の能力を有するハンターについて、活動状況の把握、長期間の攻略時における定期的な連絡、国外活動に関する情報共有、希少素材の流通に関する協力など、新たな枠組みを検討する必要があるのではないかと考えております」
説明が終わると、座長が委員たちを見回した。
「ありがとうございます。それではまず、制度を設ける必要性そのものについて、ご意見をいただければと思います」
最初に発言したのは危機管理を専門とする委員だった。
「一定の枠組みは必要だと思います。極端に高い能力を有するハンターの所在や活動状況を全く把握できない状態は、危機管理上好ましいとは言えません。特に大規模なスタンピードなどが発生した場合、迅速に協力を要請できる連絡体制は必要でしょう」
何人かの委員が頷いた。社会の安全を預かる側からすれば、当然の意見でもあった。
だが、その言葉に法学を専門とする委員が手を挙げた。
「1点、確認してよろしいでしょうか。今おっしゃったのは、協力を『要請する』ための制度でしょうか。それとも協力を『義務付ける』ための制度でしょうか」
会議室の視線が集まる。
「現段階では、そこも含めて検討すべき論点と考えています」
「では、まずそこを分ける必要がありますね。要請と義務では、全く意味が異なります」
法学者は資料をめくった。
「例えば大規模なスタンピードが発生した場合、真神氏に協力してほしい。それ自体に異論はありません。私でもお願いします。しかし、『助けてください』と『あなたには助ける責任があります』は同じではありません」
この会議で初めて、真神幸一郎という名前が出た。
誰もそれを咎めなかった。むしろ、それまで固有名詞を避けていたことの方が不自然だった。
「能力がある以上、それに応じた社会的責任が生じるという考え方もあるのではないでしょうか」
別の委員が発言した。
「もちろん、その考え方はあります」
法学者も否定しなかった。
「だからこそ、その責任がどこから発生するのかを明確にする必要があります。真神氏は公務員ではありません。自衛官でも消防職員でもない。国家との契約によってその能力を与えられたわけでもありません」
そこでJHA側の出席者へ視線を向ける。
「JHAが彼を育成したわけでもありませんね?」
「……はい」
回答は短かった。
そもそも幸一郎は、現在のハンター制度が整うより前に六甲山ダンジョンへ入り、そのまま8年間を過ごしている。現在の資格制度は、帰還した彼を後から既存の枠組みへ組み込んだにすぎない。
「であれば、その個人が国家の関与しないところで獲得した能力について、能力が大きいという理由だけで国家がその使用を求められるのであれば――」
法学者は一度言葉を切った。
「それは本人の責任なのでしょうか。それとも、国家側の必要なのでしょうか」
すぐに答えは出なかった。
今度は危機管理の委員が口を開いた。
「ただ、極端な例を考える必要もあります。数万人、場合によってはそれ以上の生命に危険が迫り、真神氏以外に対処できる者が存在しない。そのような状況でも、完全に本人の自由意思へ委ねるべきなのでしょうか」
「重要な問題だと思います」
法学者は頷いた。
「では、その場合、国家は一私人に対して生命の危険を伴う行為を命令できる制度を作るのでしょうか」
「そこまでは――」
「しかし、拒否できないのであれば、最終的にはそういうことになります」
議論はそこで一度止まった。
できる人間がいる。
その人間にしかできない。
その人間が動けば、多くの生命を救えるかもしれない。
だから動くべきだ。
道義的には理解しやすい。しかし、それを国家が強制できる法的義務へ置き換えた瞬間、別の問題が生じる。
「能力が高ければ高いほど、私人として認められる自由が少なくなる制度にならないよう、慎重に考える必要がありますね」
座長が議論を整理し、事務局が記録を取った。
次の論点は、資格停止を含む制裁措置だった。
報告や連絡などの義務を設ける以上、それに違反した場合の措置が必要になる。事務局案には、指導、勧告、一時的な活動制限、そして最終的な資格停止が例として記載されていた。
「確認したいんですが」
元ハンターの委員が資料を見ながら口を開いた。
「資格を停止された場合、真神氏は何に困るんでしょう」
「ハンターとしての活動が制限されます」
「それは分かります。制度上ではなく、本人が何に困るのかという意味です」
事務局側が僅かに言葉を詰まらせた。
「ダンジョンへの立ち入りができなくなるほか、素材の売却などにも――」
「では本人が、『分かりました。しばらく何もしません』と言ったら?」
会議室が静かになった。
「その場合……攻略活動も停止することになります」
「困るのは誰です?」
今度はすぐに答えが出なかった。
「社会、ということになるでしょうね」
経済分野の委員が答えた。
「ですよね」
元ハンターは頷いた。
「だったら、それは真神氏への罰として機能するんでしょうか。本人が資格を必要としていなければ、活動を止める理由を国家側から渡すだけになる気がしますが」
資格停止という言葉が、それまでとは違った意味を持ち始めた。
通常のハンターなら重大な処分になる。だが、資格そのものが能力を生み出しているわけではない。そして、その資格を本人がどれほど必要としているのかについて、会議の誰も正確な答えを持っていなかった。
議論は希少素材へ移った。
「産業政策という観点からは、一定の協力を求める必要があると思います」
産業界の委員が発言した。
「真神氏が取得可能な素材の中には、既存産業に大きな影響を与えるものも含まれています。特定個人の判断だけで供給が大きく変動する状態は、経済安全保障の面からも無視できません」
「その点は理解できます」
法学者が答えた。
「ただし、それも先ほどと同じ問題を含んでいます。その素材は誰の所有物なのでしょう」
「原則として、取得したハンター本人です」
JHA担当者が答えた。
「では、国家が供給を求める根拠は?」
「公共性、あるいは経済安全保障上の必要性について――」
「つまり、国家が必要としている」
「そういう面はあります」
「であれば、それを本人の『社会的責任』という言葉だけで処理するのは危険ではありませんか」
ダンジョン研究者も口を挟んだ。
「先ほどから少し気になっていました。スタンピードが起きれば対処してほしい。高難度ダンジョンを攻略してほしい。希少素材も供給してほしい。海外へ行くなら知らせてほしい。それぞれの要望自体には合理性があります」
資料を閉じる。
「ですが、それはすべて社会や国家が真神氏にしてほしいことです」
誰も否定しなかった。
「それを一括して『真神氏の社会的責任』と呼んでしまうと、話の主語が入れ替わりませんか」
会議室には、紙をめくる音だけが響いた。
議論が始まって1時間半。出席者の前に置かれた資料には、すでに多くの書き込みが増えていた。
活動状況の把握。
定期連絡。
緊急時の協力。
国外活動。
希少素材。
資格停止。
いずれも個別に見れば、国家が検討する理由はある。問題は、それらを「突出した能力を持っている」という一点だけで、どこまで一私人へ課すことができるのかだった。
「少し、根本へ戻った方がよさそうですね」
座長が口を開いた。
「本日の議論では、真神氏に何をしてもらいたいのかについては、多くの意見が出ています」
委員たちが顔を上げる。
「では逆に、真神氏本人の意向について、我々はどの程度把握しているのでしょうか」
事務局へ視線が集まった。
「制度案について、本人への正式な意見聴取は?」
「現段階では行っておりません」
「JHA資格を本人がどの程度必要としているかは?」
「正確には把握しておりません」
「日本国内で今後も継続的に活動する意思については?」
「……それについても、正式な確認は行われていません」
短い沈黙が落ちた。
資料には、真神幸一郎へ求める事項が何ページにもわたって並んでいる。
しかし、真神幸一郎が何を望んでいるのかについて書かれた項目はなかった。
「……順番が逆じゃありませんか」
元ハンターの委員が呟いた。
座長はしばらく資料を見つめた後、静かに頷いた。
「そうかもしれません」
そして、事務局へ向き直る。
「次回までに論点を整理し直しましょう。『高位ハンターに何を求めるか』だけでは不十分です」
一度言葉を切った。
「国家が一私人である高位ハンターに、何を求めることができるのか。そして、何を求めることはできないのか。この観点を追加してください」
「承知しました」
「資格停止についても、その実効性だけでなく、制度の目的と整合しているか再検討を。国外活動については、国籍、国内資格、所属組織を分けて整理してください」
事務局が次々と書き留めていく。
「それから」
最後に法学者が手を挙げた。
「『社会的責任』という言葉についても、整理をお願いしたいと思います」
「理由をお願いします」
「我々が必要としているから協力してほしい。それならば要請です」
穏やかな声だった。
「本人が拒否できない責任であると言うのなら、その責任がどこから発生し、どこまで及ぶのかを明確にしなければなりません」
そして、資料の表紙に書かれた会議名へ目を落とした。
「『できるのだから、やるべきだ』という道義的な期待と、国家が私人へ課す法的義務は別物です。その境界を曖昧にしたまま制度を作ることだけは、避けるべきでしょう」
予定を十数分超過して、第1回の会議は終了した。
結論は出なかった。
代わりに、事務局が次回までに整理すべき論点は大幅に増えた。
国家は、突出した能力を持つ一私人に何を求めることができるのか。
その能力が国家によって与えられたものではない場合、社会的責任はどこから生じるのか。
多数の生命を救える能力を持つ者に、何もしない自由は認められるのか。
資格停止は、誰に対する制裁になるのか。
そして何より、本人は何を望んでいるのか。
真神幸一郎という名前を正式な議題には掲げないまま、2時間近く真神幸一郎について話し合った会議だった。
それでも、議論には意味があった。
少なくとも彼らはようやく、
「真神幸一郎に何をさせるべきか」
という問いから、
「国家は真神幸一郎に、何を求めることが許されるのか」
という問いへ辿り着き始めていた。
ただ、その頃にはすでに。
別の組織が、彼にまったく違う問いを投げかけていた。
――あなたは、何を望みますか。
砂時計の砂は、会議の結論を待ってはくれなかった。




