↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
52/136

第2章 第52話 砂時計

 数日後、滋賀県。


 レイチェルから指定された場所は、琵琶湖から少し離れた山あいにある料亭だった。大通りから外れ、民家もまばらになった先にひっそりと門を構えている。大阪市内で会うより人目につきにくく、庭の奥にある離れなら他の客と顔を合わせることもほとんどない。


 仲居に案内されて離れへ向かい、襖が開かれると、レイチェルはすでに席についていた。そして今日は、もう1人いる。肩にかかる程度の銀色の髪。整った顔立ちの中で赤い瞳がひときわ目を引く女性だった。幸一郎が部屋へ入っても必要以上に観察する様子はなく、レイチェルが視線を向けたところで静かに頭を下げる。


「こんばんは、真神さん」


「どうも」


「ご紹介します。セルマ・リンドベルグ。以前お話しした、あなたの秘書候補です」


「セルマ・リンドベルグと申します。初めまして、真神幸一郎さん」


「真神です。よろしくお願いします」


 挨拶はそれだけだった。幸一郎としても助かる。初対面だからと質問を重ねられるのは面倒だったし、こちらも何を話せばいいのか分からない。


 席につこうとしたところで、持ってきた包みを思い出した。


「あ、レイチェルさん。これ」


「私に?」


「はい。わざわざ時間取ってもらったんで。お土産です」


「ありがとうございます。開けても?」


「どうぞ」


 レイチェルが包みを解き、その手が止まった。中から現れたのは、小ぶりな金属の延べ棒だった。金とも銀とも違う独特の光沢を帯びている。隣にいるセルマも、それまでと変わらない表情のまま、赤い瞳だけをそちらへ向けた。


「…………真神さん。これは?」


「オリハルコンです」


「やはり。こちらを、私へのお土産として?」


「そうですけど」


「日本では、手土産に菓子折りを持参すると伺っていたのですが」


「食べ物は好みあるじゃないですか」


「なるほど」


「会長。納得するところではないかと」


 セルマが静かに口を挟み、レイチェルが小さく笑った。


「そうですね。ありがたく頂戴いたします」


「どうぞ」


「ちなみに真神さん。こちらの現在の価値はご存じでしょうか」


「高いのは知ってます」


「どの程度と?」


「金より高いくらい?」


 セルマが黙った。


「違うんです?」


「……かなり」


「そうなんだ」


 幸一郎にとっては、それで話は終わった。同じようなものは他にも持っている。レイチェルにはわざわざ時間を取らせたのだから、その礼として渡した。それだけの話だった。


「同様の素材は、他にもお持ちですか?」


「ありますよ」


「どの程度でしょう」


「さあ……数えたことないんで」


「目録は?」


「ないですね」


「評価額は?」


「知りません」


「保管されている物品の分類は?」


「だいたい分かりますよ」


「真神さんの『だいたい』とは?」


「探せば出てくるくらい?」


 セルマはしばらく幸一郎を見てから、「……承知しました」とだけ答えた。


「何が?」


「いえ」


 その時、料理が運ばれてきた。レイチェルが受け取ったオリハルコンを丁寧に傍らへ置き、3人の会食が始まる。


 評判のよい店だという言葉に嘘はなかった。季節の食材を使った料理が順に運ばれ、幸一郎はしばらく純粋に食事を楽しんだ。その間、セルマから必要以上に話しかけられることはない。質問もなければ、沈黙を埋めようとする様子もなかった。


「……何も聞かないんですね」


「はい」


「俺のこととか」


「必要なことは、必要になった時にお尋ねします。今、何かお聞きした方がよろしいでしょうか?」


「いや。別に」


「では、お食事を」


 それで会話は終わった。不思議と気まずくはない。レイチェルはそんな2人を眺めていたが、何も言わなかった。


 料理が何品か進んだところで、レイチェルが箸を置いた。


「さて。先日のお話を、もう少し具体的にいたしましょうか」


「静かな場所ってやつです?」


「ええ」


 セルマが傍らの鞄からタブレットを取り出し、何度か操作して幸一郎の前へ置く。画面に映し出されていたのは海だった。その中央に、緑に覆われた島が1つ浮かんでいる。海岸には桟橋があり、そこから内陸へ道路が延び、中央付近には数棟の建物。その少し離れた場所には、一本の滑走路らしきものまで見えた。


「……島?」


「はい」


「無人島です?」


「現在、定住者はいません」


「ずいぶん立派な無人島ですね」


「多少、手を入れておりますので」


「多少?」


 幸一郎が眉を上げると、セルマが次の写真へ送った。住宅の内部、寝室、浴室、キッチン、リビング。別棟には倉庫や作業に使えそうな空間があり、発電設備や蓄電設備、給水設備まで整えられている。


「電気は?」


「問題ありません。複数系統で確保されています」


「水は?」


「飲用を含め、常時使用できます」


「じゃあいいですね」


 幸一郎にとっては、滑走路よりそちらの方が重要だった。次の写真には桟橋へ係留された高速艇が映り、島と最寄りの陸地との位置関係を示した簡単な図も表示されている。


「最寄りの陸地までは、こちらでおよそ30分です。天候によって多少前後します」


「結構近いんですね」


「真神さんを隔離するための場所ではありませんから」


 レイチェルが答えた。


「外出は自由です。街へ行かれても、誰かに会われても構いません。日本へ戻ることもできますし、真神さんがお望みであれば、人を島へお招きいただくこともできます」


「飛行場までありますけど」


「ございます」


「飛行機も?」


「必要であれば手配いたします」


「Amazonとかは?」


 セルマが一瞬だけ止まった。


「島への直接配送は難しいかと」


「ですよね」


「陸側で受け取り、こちらへ運ぶことは可能です」


「ああ。それなら十分です」


 幸一郎は何枚か写真を送った後、島全体の画像へ戻した。海に囲まれているが、世界から切り離されているわけではない。インターネットもあり、外へ出る手段もある。会いたい人間には会えるし、買い物へ行くこともできる。


「……逆は?」


「逆、と申しますと?」


「俺が会いたくない人が来たら?」


「お通ししません」


「マスコミとか」


「入りません」


「政治家」


「同じです」


「JHA」


「真神さんがお会いになりたいのであれば」


「そうじゃなかったら?」


「お断りします」


 幸一郎の指が止まった。


 そこだった。


 豪華な家でも、専用の高速艇でも、飛行場でもない。自分から世界へ出ていくことは自由で、世界の側から自分のところへ来られるかどうかは、自分で決められる。


「……いいところじゃないですか」


「お気に召したようで何よりです」


 レイチェルはそれ以上勧めなかった。幸一郎はもう一度島の写真を眺め、それからふと口を開いた。


「でも、これ相当金かかってますよね」


「そうですね」


「俺のために造ったわけじゃないんでしょう?」


「ええ。以前からWHAが保有している施設の1つです」


「1つ?」


「同様の目的で使用できる施設を、世界各地にいくつか保有しています。規模や設備はそれぞれ異なりますが」


「……WHAって金持ちなんですね」


「比較的」


「比較的で島をいくつも持てるんです?」


 レイチェルが小さく笑った。


「WHAの財政は、特定の国家に依存しておりません。各国政府との協力はもちろん行いますが、それとは別に、世界各地の企業、財団、資産家、投資家などから構成される基金があります。それ以外にも事業収入や資産運用など、財源はいくつかに分散されています」


「金出してる人が口出してきたりしないんです?」


「要望はいただきますよ。慈善事業だけで成り立っている組織ではありませんから」


「あるんだ」


「当然です。ただし、特定の国家や個人が資金を止めればWHAが活動できなくなる、という構造にはしておりません」


「だから国に左右されない?」


「そのための仕組みの1つです」


 レイチェルは静かに続けた。


「国家と対立するための組織ではありません。国家に従属しないための組織です」


「なるほど……」


 幸一郎はタブレットへ視線を戻した。生活する場所を用意し、外からの干渉を止め、情報や移動手段まで揃える。そこまでされたうえで、何をするかは本人に委ねるという。


「……随分、至れり尽くせりですね」


「そうでしょうか?」


「そうでしょう。住むところまで用意してもらって、外にも好きに出られて、面倒な人間はそっちで止めてもらえるんですよね?」


「はい」


「なんでそこまでするんです?」


 レイチェルは少しだけ笑った。


「その方が、私たちにとって利益になるからです」


「利益?」


「優秀なハンターには、可能な限り長く、良い状態で活動していただきたい。それがWHAにとって利益になります」


「でも俺が何もしなかったら?」


「お休みください」


「それでも金はかかりますよね?」


「かかりますね」


「もったいなくないです?」


「半年近くダンジョンへ潜り続けた方に対して、私が心配すべきことが『働かないこと』だと思われますか?」


「……いや」


「むしろ、きちんと休んでいただけるのであれば安心します」


 そこでセルマがタブレットを操作し、島の写真を閉じた。代わりに表示されたのは、世界各地のダンジョンを並べた一覧表だった。国や地域、確認済みの階層、危険度、攻略状況、WHAが保有する情報、攻略を希望する理由まで簡潔にまとめられている。


「WHAには、攻略を希望しているダンジョンのリストがあります」


「結構ありますね」


「ええ。私たちは必要な情報を提供し、必要であれば装備も用意します。移動、補給、現地政府との調整もこちらで行います」


「出資してる人から、ここを攻略してほしいって話も?」


「ございます。そうした要望も、可能な範囲で優先順位へ反映します」


 幸一郎は一覧を眺めていて、それぞれに番号が振られていることに気づいた。


「これ、順位です?」


「はい。WHAとしての優先順位です」


「じゃあ、上からやる?」


「いいえ」


 レイチェルは即答した。


「リストの優先順位は、あくまでWHA側の優先順位です」


「俺のじゃない?」


「もちろんです。私たちは、こちらを優先していただきたいとお願いできます。理由を説明し、報酬を提示し、情報や装備を揃えることもできます。ですが、どれを攻略するかを決めるのはハンターです」


「上からやらなくても?」


「構いません」


「全部嫌だったら?」


「困りますね。ですが、命令はいたしません。条件を見直して、もう一度お願いするだけです」


「俺しか無理そうなやつだったら?」


「真神さんが引き受けてもよいと思える条件を、こちらが考えます」


「それでも嫌だって言ったら?」


「諦めます」


 あまりにもあっさりした答えだった。


「いいんです?」


「選ぶのはあなたですから」


「社会的責任があるからやれ、とかじゃなく?」


「違います」


 返事は早かった。


「私たちが必要としているから、お願いするのです」


「必要としてる側が条件を出す?」


「当然ではありませんか?」


 レイチェルは何でもないことのように答えた。


「お願いする側が、お願いされる側に『あなたには応じる責任がある』と言い始めれば、それは交渉ではありませんから」


「…………なるほどね」


 思わず小さく笑った。最近、国内で耳にするようになった話とは、ずいぶん違う。


 レイチェルは理由を尋ねなかった。セルマも同じだった。


 そのまま少し食事を続けていた幸一郎だったが、やがて箸を止めた。


「じゃあ……1つだけ」


「はい?」


「まだ、誰にも言ってないことがあるんですけど」


 レイチェルの視線が幸一郎へ向き、セルマも静かに顔を上げた。


「ダンジョンの話です」


「お聞きしても?」


「全部はまだ」


「もちろんです」


 続きを急かす様子はない。幸一郎は少しだけ考えてから口を開いた。


「完全攻略した後に出てくる操作盤。知ってますよね」


「六甲山と堺東で確認されたものですね」


「そうです。稼働状態とか変えられるやつ。あれ、公表してない項目があるんですよ」


 レイチェルの表情から、僅かに笑みが消えた。


「公表されていない項目?」


「あります」


 幸一郎は2人を順に見た。


「これ、今は2人だけにしてください」


「承知しました」


「口外いたしません」


 幸一郎はタブレットを引き寄せ、メモ画面に短い文字を入力した。


 ――資源庫。


 レイチェルは無言でその文字を見つめた。セルマも同じだった。


「……資源庫?」


「そういう項目があります」


「六甲山に?」


「あります」


「堺東にも?」


「あります」


 セルマの赤い瞳が僅かに細くなる。


「どのような機能でしょうか」


「そこから先は、まだ」


「承知しました」


 それ以上は聞かなかった。


 幸一郎は入力した文字を消し、先ほどの攻略希望リストへ戻した。


「ただ、さっき攻略してほしいダンジョンに優先順位があるって言ってたでしょう?」


「ええ」


「これ、今後かなり変わるかもしれませんよ」


 レイチェルは一覧へ目を落とした。完全攻略後にだけ現れる操作盤。そこに存在する、まだ誰にも公表されていない《資源庫》という項目。それだけでは何も分からない。だが、世界中のダンジョンを扱ってきたWHAの会長にとって、聞き流せる情報でもなかった。


「真神さん。なぜ、その情報を私たちに?」


「んー……」


 幸一郎は少し考えた。


「少なくとも今のところ、俺に何かさせるために使いそうにないんで」


 レイチェルが僅かに目を見開いた。


「それだけですか?」


「それじゃ駄目です?」


「いいえ」


 レイチェルは小さく笑った。


「十分です」


 幸一郎もそれ以上は言わず、再び料理へ箸を伸ばした。世界のどこかで、この一言が何を変えるのか。そんなことまで考えていたわけではない。


 ただ、自分の知らないところで自分の役割を決めようとする相手と、自分が選ぶことを前提に話をする相手。その違いくらいは、もう十分に分かっていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。