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第2章 第50話 踊る法案に見る本人…

 その頃、世間で自分の名前を冠した法案が話題になり始めていることなど知らず、幸一郎は祖父母の家で夕食を取っていた。


 食卓には焼き魚と味噌汁、祖母の作った煮物が並んでいる。テレビはいつものようにつけられていたが、幸一郎は特に気にすることもなく、黙々と箸を動かしていた。


『――政府内部で検討されている、いわゆる〝真神法案〟について、野党側は今後、政府の見解を追及する方針です』


 聞き覚えしかない名前に、幸一郎の箸が止まった。顔を上げると、テレビには自分の写真と、その横に大きく《真神法案》の文字が表示されている。


「……俺?」


 隣で同じ画面を見ていた祖父も、それがお前以外の誰に見えるのかと言いたげな顔をしている。


『政府側は、特定の個人を対象とした制度ではないと説明しています。しかし、現在検討されている条件に該当するハンターは、真神幸一郎氏ただ1人で――』


 以前、大阪支部で見せられた資料のことを思い出す。高危険度ダンジョンへの突入、長期間活動する際の定期連絡、国外での活動、場合によっては資格停止。あの時点ではまだ検討中だったものが、どういう経緯か外へ漏れ、いつの間にか自分の名前まで付けられていたらしい。


「俺しか該当しないのに、俺が対象じゃないのか」


 よく分からない話だった。


 もっとも、幸一郎にとってはまだそれだけだった。政府が何を検討しているにせよ、現時点では法律でもなければ、自分に何かが命じられたわけでもない。


 そんなことより、祖母からご飯のおかわりを勧められたので茶碗を渡す。少し多めになって戻ってきたそれを受け取り、再び箸を動かし始めたところで、テーブルに置いていたスマートフォンが震えた。


 表示されていたのは藤堂の名前だった。


「はい」


『藤堂です。今、大丈夫ですか?』


「飯食ってますけど、大丈夫ですよ」


 藤堂からの用件は、やはりテレビで流れている話だった。以前大阪支部で見せた資料と、現在報道されている草案が無関係ではないこと。ただし内容は現在も検討中で、報道されているものが最終案ではないこと。《真神法案》という名称についても、政府やJHAが付けたものではないことが説明された。


 そのあたりは、幸一郎もテレビを見ていれば分かる。


「でも、今のところ俺しか該当しないんですよね?」


『……現状では、そうなります』


「じゃあ、だいたい俺の話じゃないですか」


『否定しづらいですね』


 藤堂としても、今の段階でそれ以上のことは言えなかった。制度を止めるとも、幸一郎を守るとも約束できる立場ではない。ただ、本人の知らないところで話が広がり、《真神法案》という名前まで付けられた以上、大阪支部として何も伝えないわけにはいかなかった。


 まだ正式な法案ですらなく、当然ながら幸一郎に新しい義務が生じたわけでもない。その説明を聞いた幸一郎は、そこで1つだけ気になったことを尋ねた。


「これ、資格止められたら、俺どうなるんです?」


『国内では、少なくとも現在と同じ形でハンターとして活動することは難しくなるでしょう』


「じゃあ、その時は寝てればいいんですかね」


 電話の向こうが静かになった。


「藤堂さん?」


『……東京でも、それを心配しています』


「そうなんです?」


『ええ。まったく笑えませんけどね』


「楽でいいんですけど」


『真神さんはそうでしょうね』


 藤堂の声には、わずかな疲れが混じっていた。


 幸一郎にしてみれば単純な話だった。資格がなければハンターとして働けない。ならば働かなければいい。少なくとも今すぐ生活に困るわけでもなく、資格を取り戻すために誰かへ頭を下げなければならない理由もない。


「まだ何も決まってないんですよね?」


『はい。相当揉めると思います』


「なら、決まったら教えてください。飯冷めるんで切りますね」


『……分かりました。お食事中にすみませんでした』


 通話を終えると、幸一郎は何事もなかったように食事へ戻った。祖父母も詳しいことまでは聞かなかった。テレビの中では政治家や解説者たちが、本人よりよほど真剣な顔で《真神法案》について議論を続けている。


 幸一郎は煮物を1つ口へ運び、しばらく咀嚼した。


「……まあ、決まってから考えればいいか」


 今のところ、それ以上に考える必要もなかった。


 幸一郎本人が「決まってから考えればいい」と夕食を続けていた頃、ネット上では、本人よりもはるかに熱心な議論が続いていた。


『真神法案って名前が直球すぎるだろ』

『政府「特定の個人を対象とした制度ではありません」』

『現在の対象者は?』

『真神幸一郎1名』

『真神法案じゃねーか』

『まだ法案ですらないらしいぞ』

『じゃあ真神法案(仮)』

『何も変わってなくて草』


 政府が付けた名称ではなく、最初に報じた新聞社が使っただけの呼び名だったが、すでにそんなことを気にする者は少なくなっていた。短く、分かりやすく、何より現在の対象者が誰なのかを一言で説明できてしまう。


 一方、制度そのものについては意見が割れていた。


『でも半年近くダンジョンに潜って連絡取れませんは普通に怖いぞ』

『あのクラス用のルールがなかったんだから作ること自体は分かる』

『定期連絡くらいならいいんじゃね?』

『問題は活動制限と資格停止だろ』

『危険なダンジョンに入ったら資格停止』

『ハンターとは』

『いや条件まだ決まってないからw』

『だから揉めてんだろ』


 そして、報道された内容の中でも資格停止という言葉は、別の疑問を生んでいた。


『ところで真神の資格止めたらどうなるん?』

『ダンジョン入れなくなる』

『真神が?』

『そういう話じゃね』

『じゃあ誰が困るんだ?』

 少し間を置いて、返信が付いた。

『俺らじゃね?』

『草』

『いや笑えん』

『六甲500Fと堺東450F行ける奴を資格停止してどうすんだ』

『本人は家で寝てそう』

『ありそうなのやめろ』

『真神「入るなって言われたんで入りません」』

『政府「いやそういう意味では」』

『絶対こうなる』


 幸一郎のこれまでを知る者ほど、その可能性を否定できなかった。


『そもそもこの人、命令されたら渋々従うタイプに見えないんだよな』

『反抗するって意味?』

『逆。やるなって言われたら本当にやらなそう』

『それ一番困る奴じゃん』

『資格停止が罰になるには本人が資格欲しがってないと駄目だからな』

『急に正論やめろ』


 そして、別のところでは8年前の出来事と今回の報道を結びつける者も現れていた。


『昔は本人が何言っても聞いてもらえなかったんだよな』

『今は本人が何も言ってないのに国が本人の話してる』

『…………』

『それはちょっと笑えん』

『しかも名前まで付いた』

『本人にコメント取りに行ってないの?』

『今のところ出てない』

『また真神抜きで真神会議してんのか』

『やめたれ』


 そんな中、政府の説明をまとめただけの投稿が妙に拡散された。


『政府「特定個人を対象とした制度ではありません」

 現在の該当者「真神幸一郎1名」

 報道「真神法案」

 世間「真神法案」』


 その下には、短い返信が付いていた。


『もう諦めろ』

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