第2章 第42話 幸一郎が見た世界
光が収まると、幸一郎の目の前には見慣れた堺東ダンジョンの入口があった。
「……戻ってきたか」
最奥部に出現した脱出ポータルを使い、一瞬で入口まで戻ってきた。最後にここを通ったのは、およそ半年前だ。
振り返ると、ダンジョンの入口には半透明の膜が揺らめいている。最奥部の管理盤で設定した待機モード。六甲山と同じく、完全踏破者である幸一郎だけが自由に出入りでき、それ以外の人間は中へ入れない。当然、中にいる魔物も外へ出ることはできない。
「……六甲山と同じだな」
それだけ確認すると、幸一郎は管理事務所へ向かった。
「戻りました」
「はい、お疲れさ――」
受付にいた職員が顔を上げ、そのまま固まった。
「…………」
「……真神さん?」
「はい」
「真神幸一郎さん!?」
「そうですけど」
職員は勢いよく立ち上がると、慌てて端末を操作し始めた。その様子を見て、幸一郎は六甲山から帰還した時のことを思い出す。
「今回は入場記録、残ってますよね?」
「あります。それは大丈夫です」
「ならいい」
8年前の入場記録を探すところから始まり、古い規格のハンターカードまで持ち出されて大騒ぎになった前回とは違う。今回は現在のカードを使い、正式な手続きを経て入場している。
職員は端末を確認し、そこで少しだけ手を止めた。
「……入場日は、約半年前ですね」
「そうですね」
「半年……」
「長かったな」
「真神さんが言うんですか、それ……」
「俺が一番長く感じてる」
職員は何とも言えない顔をしたものの、それ以上は何も言わず退出処理を進めた。渡したハンターカードも今回は何の問題もなく端末を通る。
「……普通に通った」
「普通は通ります」
「前回通らなかったからな」
「存じています……」
どうやら六甲山での一件は、ここでも知られているらしい。いくつかの確認を終えると、カードが返された。
「退出処理、完了しました。お疲れさまでした」
「どうも」
カードを財布へしまう。これで半年に及んだ堺東ダンジョンの攻略は、ようやく終わった。あとは風呂に入って、まともな飯を食って、できれば布団で寝たい。
「あ、真神さん。大阪支部から伝言を預かっています」
「大阪支部?」
「退出を確認したら、一度支部へ来てもらいたいとのことです」
「藤堂さんから?」
「はい。藤堂支部長からです」
「……分かった。寄れたら寄る」
「え?」
「半年ぶりなんで。先に風呂入りたい」
「あ……はい」
藤堂には世話になっている。無視するつもりはないが、半年ぶりに地上へ戻って最初にやることが支部への顔出しというのも勘弁してほしい。
受付を離れようとして、ふと窓の外へ目を向ける。カメラ、マイク、中継車。そして大勢の人間が、堺東ダンジョンの入口へレンズを向けていた。
「……暇人」
それだけ呟く。
「戻ったこと、まだ言ってないですよね?」
「はい。こちらからは、まだ何も」
「じゃ、そのままで」
「え?」
幸一郎がイリュージョンを発動すると、その姿がすっと消えた。
「じゃ」
「……え? あ、はい。お疲れさまでした」
透明になったまま事務所を出る。外では大勢の記者がダンジョンの入口を見つめ、いつ出てくるかも分からない幸一郎を待ってカメラを構え続けていた。
そのすぐ横を、当の本人が何食わぬ顔で通り過ぎる。
当然、誰一人として気づかない。
幸一郎は振り返ることもなく、半年ぶりの街へと歩き出した。
堺東ダンジョンを離れてしばらく歩いたところで、幸一郎は一軒の食堂を見つけた。
色褪せた暖簾。少し黄ばんだ食品サンプル。入口の横には、いつから置いてあるのか分からない鉢植えが並んでいる。昼にはまだ少し早いせいか、客の姿もほとんどなかった。
「……ここでいいか」
半年ぶりの地上で最初に入る店として相応しいかどうかなど、どうでもいい。腹が減っていて、温かい飯が食えればそれでよかった。
「いらっしゃい」
奥から出てきた店主らしき老人に適当な定食を頼み、壁際の席へ座る。店内には古いテレビが置かれていて、誰が見ているわけでもないのに朝の情報番組が流れていた。
やがて運ばれてきた飯と味噌汁、それに焼き魚を前にして、幸一郎は箸を取った。
「……うま」
ダンジョンの中でも食事はしていた。だから半年ぶりの食事というわけではない。それでも、誰かが作った飯が黙って目の前に出てくるというだけで妙にありがたい。
味噌汁を飲んでいると、テレビから聞き覚えのある名前が聞こえてきた。
『――昨日、堺東ダンジョンの完全踏破を成し遂げた真神幸一郎氏ですが――』
「…………」
箸が止まる。
画面には昨日の戦闘映像が映っていた。50mを超える巨人。その正面に立つ自分。そして画面の端には、でかでかと『真神幸一郎氏、現在もダンジョン内か』と表示されている。
幸一郎は焼き魚を一口食べた。
『完全踏破から一夜が明けましたが、現在まで真神氏がダンジョンから退出したという公式な発表はありません』
「…………」
味噌汁を飲む。
もう出ている。
『現地には現在も多くの報道陣が詰めかけており――』
画面が切り替わり、先ほど幸一郎が横を通り過ぎたばかりの堺東ダンジョン入口が映った。
「……暇人」
今朝2度目の感想だった。




