第1章 第40話 管理という名の首輪
堺東ダンジョンの完全踏破が確認されてから、すでに数時間が経過していた。
日付が変わろうとしているにもかかわらず、東京にある日本ハンター協会本部の会議室には、まだ十数人の人間が残っている。
壁面モニターには、今日だけで何度再生されたか分からない映像が映し出されていた。
50メートルを超える巨体。5本の龍頭から放たれる攻撃。地面を巨大なクレーターへ変えた星堕とし。巨人だけでなく、その背後の岩壁まで切り裂いた山斬り。
そして、自らの身体へ雷を落とし、それを2本の剣へ流し込んだ轟雷。
最後には空を埋め尽くすほどの浮剣を降らせ、それでも再生した巨人を前に、真神幸一郎は敵の術式そのものを解析し、再生する力を逆転させた。
そこまで映像が進んだところで、誰かがリモコンを操作した。
画面が止まる。
「……改めて確認します」
重苦しい沈黙の中、協会の危機管理部門を預かる男が口を開いた。
「現在、真神幸一郎氏との連絡は?」
「取れていません。大阪支部から複数回連絡を入れていますが応答なし。ただし、位置情報は確認できています」
「場所は?」
「堺東ダンジョン最終エリアです。完全踏破が確認されてから、一度も動いていません」
僅かなざわめきが起こった。
「まだ最奥部にいるということか?」
「そうなります」
「何をしている?」
「……分かりません」
それ以上、答えようがなかった。
しばらくの沈黙の後、危機管理部門の責任者が手元の資料へ目を落とした。
「やはり、これまでと同じ扱いを続けるわけにはいかないでしょう」
何人かが顔を上げる。
「六甲山の完全踏破だけなら、まだ真神氏の能力の全容は不明だった。しかし今回、世界中がその一端を目撃した。これほどの能力を持つハンターが4か月もの間、協会との連絡もなく行動し、その目的も行動予定も我々が把握できない。組織として看過できる状態ではありません」
「だから管理を強化する、と?」
「必要でしょう。長期攻略時の定期連絡、高難度ダンジョンへ入る際の事前申請、活動予定の報告。国外へ移動する場合にも――」
「そういう話をしているんじゃありません」
発言したのは、長く現場にいた協会幹部だった。
彼は壁面モニターを指した。
「これを見た上で、どうやって従わせるつもりなのかと聞いているんです」
「真神氏もハンター資格を持つ以上、協会規則には従う義務があります」
「拒否したら?」
「必要であれば、資格停止も検討することになるでしょう」
「それ、本気で言ってます?」
言葉が遮られた。
「資格停止を通告して、真神さんが『分かりました』と言ったらどうするんです」
「活動を停止してもらうことになります。当然でしょう」
「ええ。あの人なら本当に停止しますよ」
会議室が静かになる。
「資格停止ですか、分かりました。じゃあ家で寝てます――そう言って、本当に何もしなくなる」
「それならば――」
「次のダンジョンは誰が攻略するんです?」
誰も答えなかった。
国内の公式最深到達記録は76F。
対して、今日完全踏破された堺東ダンジョンは約450F。
比較すること自体が馬鹿らしくなるほどの差だった。
「六甲山も堺東も、協会が依頼して攻略してもらったわけじゃない。本人が潜って、本人の意思で踏破しただけです。資格を止めれば真神さんが困ると思っているなら、認識を改めた方がいい」
その時だった。
「資格停止は、私も得策ではないと考えています」
これまで黙って話を聞いていた男が口を開いた。
協会職員ではない。
所管省庁から会議へ参加していた審議官だった。
50代半ば。整えられた髪に細い縁の眼鏡。声を荒らげることもなく、資料を捲る仕草まで妙に落ち着いている。
「真神氏は違法行為を行ったわけではありません。現時点で資格停止処分を行えば、当然その根拠を問われます。今日の配信を世界中が見ている以上、世論の反発も避けられないでしょう」
現場側の幹部が僅かに息を吐いた。
少なくとも話の分かる人間がいた。
そう思ったのも束の間だった。
「ですから、制裁という形を取る必要はありません」
幹部の視線が審議官へ戻った。
「……どういう意味です?」
「誤解のないよう申し上げておきますが、我々は真神氏を敵視しているわけではありません。むしろ逆です。これほど有用な人材であるからこそ、適切な枠組みの中で活動していただく必要があると考えています」
「枠組み?」
「管理という言葉がお気に召さないのであれば――そうですね。連携体制の構築、とでも呼びましょうか」
何人かの表情が変わった。
「具体的には?」
「難しい話ではありません。ダンジョンへの入場、活動許可、取得した素材の流通、国外への移動。ハンターが活動する以上、行政や協会との接点を完全になくすことはできません。それぞれについて適切な手続きを整備する。それだけです」
「つまり、手続きを使って行動を制限する?」
「制限ではありません」
即答だった。
「法令と規則に基づいた適正な運用です。事前の届出をお願いする。安全確保のため必要な情報を共有していただく。取得物についても、危険性が確認されるまでは指定された機関を通していただく。国外で活動するのであれば関係各所との調整を行う。当然のことではありませんか?」
どれも一つ一つを取り上げれば、もっともらしい。
だからこそ厄介だった。
「待ってください」
今度は法務部門の職員が口を挟んだ。
「それを真神氏だけに適用するつもりですか?」
「何か問題が?」
「大ありですよ。合理的な根拠もなく、特定のハンターだけに届出や審査を義務づければ、当然その理由を問われます。個人を狙い撃ちにした制度だと受け取られれば、協会だけの問題では済みません」
「もちろん承知しています。ですから、真神氏だけを対象にはしません」
「では、全ハンターに?」
「それも現実的ではないでしょう」
審議官は指先で資料を軽く叩いた。
「一定以上の階層へ到達した者。一定以上の危険度を持つダンジョンを攻略する者。あるいは、社会的影響が極めて大きい能力を保有する者。客観的な基準を設ければいい」
法務担当の表情が険しくなった。
「そんなハンター、国内に何人いると思ってるんです?」
「少ないでしょうね」
「少ないどころか、基準の設定次第では――」
法務担当が言葉を止めた。
審議官は、その続きを平然と引き取った。
「結果として対象者が1人だったとしても、制度が特定個人を名指ししたことにはなりません」
会議室の空気が冷えた。
「……真神さんを対象にするための基準を作るってことですか」
「違います。将来、真神氏と同等のハンターが現れた場合にも適用できる制度を、今のうちに整備しておくということです」
言っていることは、どこまでも正しい。
少なくとも、言葉の上では。
「それ、世間からは真神規制と呼ばれるだけですよ」
「通称まで行政が関知する必要はありません」
「ずいぶん回りくどい話をしているな」
それまで黙っていた別の男が、退屈そうに口を開いた。
所管する委員会に所属する与党議員だった。
「要するに、真神君を好き勝手にさせなければいいんだろう?」
会議室の空気が止まった。
「先生、それは少々――」
審議官が珍しく口を挟む。
「何が違う?」
議員は壁面モニターを顎で示した。
「これだけの力を持っているんだ。国民の安全のために使ってもらう。当然の話じゃないか」
「真神氏は公務員でも自衛官でもありません」
「日本人だろう?」
現場側の幹部が眉を寄せた。
「……それが?」
「日本で暮らし、日本の制度の恩恵を受けている。ならば国が必要とするときには、相応の責任を果たしてもらわなければ困る」
その言葉に、審議官まで僅かに表情を変えた。
「先生。その論法は、この場だけに留めていただいた方がよろしいかと」
「なぜだ?」
「真神氏には、国から指定されたダンジョンを攻略する義務はありません」
「だから、その義務を作ればいいと言っている」
「……それ以前の問題です」
低い声が割って入った。
先ほどから反論を続けている現場側の幹部だった。
「先生は先ほど、日本人なのだから、と仰いましたね」
「それがどうした」
「真神さんが、その言葉を聞いてどう思うか考えたことがありますか?」
議員が怪訝そうな顔をする。
「どういう意味だ?」
「大阪支部から上がっている報告を、もう一度読んだ方がいい」
幹部は机の上の資料へ視線を落とした。
「真神幸一郎が8年前、なぜダンジョンへ入ったのか」
誰も口を挟まなかった。
「冒険がしたかったからじゃない。ハンターになりたかったからでもない。家にも、学校にも、周囲にも居場所を失って、最後に逃げ込んだ先がダンジョンだった」
議員の眉が僅かに動いた。
「それは個人的な事情だろう」
「その個人的な事情に、当時の学校も、周囲の大人も関わっている。本人からすれば、自分を守ってくれるはずだった社会が守ってくれなかったんです」
「それと国家は別の話だ」
「真神さんにとっても、そうだと?」
議員の口が止まった。
「我々は便宜上、彼を『日本のハンター』として扱っています。日本国籍を持ち、日本のハンター資格を持ち、日本国内で活動している。当然です」
幹部は一度言葉を切った。
「ですが、それと本人が日本という国や、その制度を信頼しているかどうかは別問題です」
審議官が眼鏡越しに幹部を見る。
「何を根拠に、そこまで?」
「大阪支部の接触記録です」
即答だった。
「少なくとも、公的機関に対する信頼は著しく低下している。協会に対しても同様です。藤堂支部長個人とはある程度の関係を築けていますが、それを日本ハンター協会そのものへの信頼と取り違えないよう、報告にも明記されている」
会議室が静かになった。
「むしろ、今回の件でようやく僅かに関係を作り始めたところです」
幹部は審議官へ視線を移した。
「そこへ我々が何をしようとしているか、分かっていますか?」
「制度を整備することです」
「真神さんから見れば?」
答えはなかった。
「自分が助けを必要としていた時には何もしてくれなかった社会が、自分が力を持った途端、今度は『力があるのだから責任を果たせ』と言ってくる」
議員の表情が険しくなる。
「言い方に気をつけたまえ」
「本人からどう見えるかという話をしています」
幹部は退かなかった。
「8年前、自分が救いを必要としていた時には手を差し伸べなかった。その社会が、今度は自分を必要とする側になった途端、日本人としての責任を求めてくる」
誰も口を挟まない。
「それで、日本という国や制度への信頼が回復すると本気で思いますか?」
沈黙が落ちた。
やがて審議官が静かに口を開く。
「……だからといって、国家が何の対応もしないわけにはいきません」
「分かっています。私も、何もするなとは言っていません」
幹部は頷いた。
「ただ、順番を間違えるなと言っているんです」
「順番?」
「管理する前に、信頼されることを考えるべきでしょう」
審議官は答えなかった。
「大阪支部がやろうとしているのはそれです。真神さんを従わせる方法ではなく、真神さんが自分から協会と関係を持ってもいいと思える状態を作ろうとしている」
「藤堂支部長は、真神氏に近すぎるのではありませんか?」
「逆ですよ」
「逆?」
「近いから分かったんでしょう。あの人に首輪を付けようとしても意味がないって」
審議官が眼鏡の位置を直す。
「首輪とは、随分と刺激的な表現ですね」
「あなたが説明したものですよ。名前が違うだけで」
「私は協力体制について申し上げています」
「本人が首輪だと思えば同じです」
再び沈黙が落ちた。
やがて審議官が椅子へ深く座り直した。
「では、本人が自発的に協力することに利益を感じられる制度を設計する必要がありますね」
現場側の幹部は、その言葉を聞いて小さく息を吐いた。
「……結局、そこなんですね」
「何がでしょう?」
「どうすれば信用してもらえるかじゃない。どうすれば制度の中に置いておけるか。それしか考えていない」
「国家行政として、規格外の能力を持つ人物について何の枠組みも設けないという選択はできません」
「それは分かります」
幹部は否定しなかった。
「だからこそ、もう1つだけ勘違いしないでいただきたい」
議員と審議官、そして会議室にいる人間たちを見回す。
「我々は今、真神幸一郎を日本という枠の中にどう留めるかを話しています」
そこで言葉を切った。
「ですが本人が、その枠の中にいたいと思っている保証は、どこにもありません」
誰も答えなかった。
世界中が、今日の戦いを見ていた。
日本だけではない。
各国のハンターも、研究者も、組織も。
その事実が、今までとは違う意味を持って会議室に重く落ちた。
「我々が真神さんを必要としているのと同じくらい、真神さんも我々を必要としている」
幹部は静かに続けた。
「みんな、どこかでそう思ってませんか?」
返事はない。
「たぶん、それが一番危ない勘違いです」
その時、端末を確認していた職員が小さく声を上げた。
「真神氏の位置情報ですが……」
全員の視線が集まる。
「どうした?」
「いえ。やはり動いていません」
「まだ最終エリアか?」
「はい。完全踏破から、ずっとです」
議員が苛立ったように指で机を叩いた。
「いったい何をしているんだ、彼は」
誰も答えられなかった。
東京では夜を徹して、真神幸一郎という規格外のハンターを、いかに制度の中へ組み込むかが話し合われていた。
協会は管理を考え、官僚は制度を考え、政治家は義務を語る。
その一方で、現場を知る者たちはようやく気づき始めていた。
彼らが真神幸一郎を必要としていることと。
真神幸一郎が彼らを必要としていることは。
まったく別の話なのだと。
そして――その頃。
堺東ダンジョン、約450F。
人類が初めて辿り着いた最奥部。
世界中が自分について騒ぎ、日本では自分を管理するための議論まで始まっていることなど知る由もなく。
真神幸一郎は寝袋に包まり、
4か月ぶりに、何者にも邪魔されることなく。
ぐっすりと眠っていた。




