第1章 第39話 世界の幸一郎知らず、幸一郎の世界知らず
幸一郎の配信が切れた後も、その映像は世界中で繰り返し再生されていた。当然、それを見ていたのは日本のハンターだけではない。
北米のあるトップハンターチームでは、配信終了と同時に大柄な男がソファへ身体を預け、天井を見上げた。数秒の沈黙の後、突然笑い始める。
「ハハハハ! 無理だ、こんなの!」
周囲の仲間たちも堪えきれなくなった。
「最後まで見て出てくる感想がそれかよ」
「じゃあ、お前できるのか?」
「できるわけないだろ!」
再生されていた映像では、幸一郎が50メートル級の巨人へ星堕としを放っている。
「まずこれ。何だ?」
「星を落とした」
「見れば分かる。どうやるんだって聞いてる」
「知らん」
「じゃあ次」
山斬り。
巨人の身体と、その後方の岩壁まで切断される。
「これは?」
「山を斬った」
「だから見れば分かる!」
再び笑いが起きた。
だが、そこに侮蔑はなかった。この場にいるのは全員が世界最高峰に近いプロハンターたちだった。だからこそ、自分たちが見ているものがどれほど常識から外れているのか理解できてしまう。
映像が轟雷へ進む。
幸一郎自身へ雷が落ちる。
「ここ好きだ」
「分かる」
「何で?」
「普通は避けるから」
2発目の雷が落ちる。
部屋中から笑い声が上がった。
「またやった!」
「1発で足りなかったらしい!」
「俺なら1発目で葬式だ!」
「安心しろ。俺もだ!」
続いて数万本の浮剣が空を覆う。
笑い声が少し小さくなった。
「……何本だ?」
「日本側の解析では最低でも3万以上」
「最低?」
「画面内で確認できた分だけだ」
数秒の沈黙。
「ハハハハハ! もう知らん!」
再び笑いが起きた。
別の国では、世界的に知られる魔法系ハンターたちが映像を解析していた。こちらも最初は真剣だった。星堕としの術式構造、魔力量、発動時間。浮剣の同時制御数。轟雷を剣へ流し込む方法。ホワイトボードには大量の数式と術式が書かれていた。
そして再生反転の場面まで来た。
幸一郎が巨人の傷を確認し、足首へ触れる。
《再生させる力が強いなら――逆転させればいいだけだな》
研究者を兼ねるハンターが映像を止めた。
「……簡単?」
隣の男が首を振る。
「簡単ではない」
「本人は簡単だと言っている」
「彼にとっては、だろう」
映像を少し戻す。
再生術式が反転する。
男はしばらく画面を見ていた。
やがてペンを置いた。
「無理だ」
「諦めるの早くない?」
「戦闘中だぞ。相手の術式を見て、構造を解析して、干渉して、反転させている」
「理論的には?」
「可能かもしれない」
「なら――」
「研究室で半年くれ」
部屋から笑いが起きた。
「彼は?」
男が映像の時間表示を見る。
「……数分だ」
さらに笑いが大きくなった。
欧州の有名ハンターチームでは、配信開始時の映像まで巻き戻されていた。
幸一郎が2本の剣を抜く。
《真似できるもんなら、やってみろ》
部屋にいた全員が黙った。
1人が飲み物を置く。
「なるほど」
「何が?」
「挑戦状だったらしい」
「受ける?」
「断る」
即答だった。
「世界トップクラスのハンターとしての誇りは?」
「命の方が大事だ」
笑い声が上がる。
「でも、どれか1つくらいなら真似できるんじゃないか?」
「何を?」
「二刀流」
「そこかよ」
「剣を2本持つだけならできる」
「その後は?」
「逃げる」
「完璧だ」
また笑いが起きた。
だが、笑っていた彼らも、ある場面だけは静かになった。
《まあ……六甲山の500Fよりは、だいぶマシだな。向こうは邪女神だったし……》
映像が止まる。
「……翻訳合ってる?」
「合ってる」
「邪女神?」
「そう言ってる」
「今日の巨人より?」
「だいぶマシ、と」
誰も笑わなかった。
50メートル級。
3つの眼。
5本の指がドラゴンの首。
驚異的な再生能力。
数万本の浮剣で肉片にされても復活した怪物。
それが「マシ」。
数秒後、大柄な男が頭を抱えた。
「ハハ……」
そして再び笑い始めた。
「もうダメだ。日本へ行って本人に聞こう」
「何を?」
「邪女神って何だって」
「戦い方を聞くんじゃないのか?」
「聞いてどうする」
男はモニターを指した。
そこには《真似できるもんなら、やってみろ》と言った直後の幸一郎が映っている。
「真似できるか、ボケナス!」
意味を覚えたばかりの日本語だった。
発音はかなり怪しかった。
それでも、その場にいた全員には意味が通じた。
そして部屋は、また笑い声に包まれた。
海外のプロハンターたちが笑い、驚き、映像を何度も巻き戻していた頃。その中心にいる本人は、世界中の騒ぎを何も知らなかった。
堺東ダンジョン最奥部。完全踏破を告げる鐘が鳴ってから、まだ30分ほどしか経っていない。50メートル級の巨人だったものは既に消え始め、そこには戦闘によって作られた巨大なクレーターと崩れた岩盤だけが残っていた。
幸一郎は配信用端末を片づけると、周囲を見回した。
「……帰るって言ったけど、今日はもういいか」
約4か月。180F付近からひたすら下へ潜り続け、ようやく辿り着いた約450F。その最後に50メートル級の巨人と戦い、星を落とし、山を斬り、自分へ轟雷を2度落とし、数万本の浮剣を放ち、最後には再生術式まで反転させた。
さすがに疲れていた。
幸一郎は収納から折り畳み式の椅子を取り出した。続いて小さなテーブル、寝袋、調理器具。最後に食材をいくつか並べる。人類が初めて到達した堺東ダンジョンの最奥部は、数分もしないうちに簡素なキャンプ場へ変わった。
「さて、何食うかな」
収納を漁る。肉、野菜、米。途中で狩った魔物の肉も大量に残っているが、今日は普通のものが食べたかった。
「肉でいいか」
米を炊き、その横で肉を焼く。簡単なスープも作った。少し前まで星が落ち、雷が走り、数万本の剣が降り注いでいた場所に、今は肉の焼ける匂いが漂っている。
幸一郎は椅子へ深く腰を下ろし、焼けた肉を口へ運んだ。
「……うん」
悪くない。
そこでようやく身体から力が抜けた。
「疲れたな……」
約4か月の攻略だった。戦い、食べ、寝て、また進む。その繰り返しで450F近くまで潜った。途中から日付を確認することすら面倒になっていた。
地上では今頃、何が起きているのだろう。
少しだけ考える。
あれだけ派手に戦闘を配信したのだから、テレビは騒いでいるかもしれない。ネットも面倒なことになっているだろう。JHAから連絡も来るはずだ。藤堂あたりは、また頭を抱えているかもしれない。
幸一郎はもう1切れ肉を食べた。
「……明日でいいな」
考えるのをやめた。
食事を終えると、食器を片づけて装備を確認する。2本の剣には細かな傷が増えていた。特に轟雷を直接流し込んだ影響が大きい。幸一郎は刀身を確認しながら眉を寄せた。
「こっちは研ぎ直しかな」
剣を布で拭き、鞘へ戻す。身体にも疲労が残っている。大きな怪我こそないが、轟雷を2度受けた両腕にはまだ僅かな痺れがあった。
それでも急いで地上へ戻る理由はない。
完全踏破は終わった。
帰るのが1日遅れたところで、大した違いはない。
幸一郎は寝袋を広げた。
約450F。数時間前まで最終試練の巨人が存在していた、人類未踏の最奥部。世界中の研究者やプロハンターなら、今すぐにでも調査したいであろう場所だった。
幸一郎にとっては、今日の寝床だった。
「帰るのは明日でいいか」
寝袋へ潜り、目を閉じる。
数分後には寝息を立てていた。
その頃、大阪支部では電話が鳴り続けていた。国内外のハンター協会、報道機関、政府関係者、研究機関。問い合わせは途切れる気配がない。
藤堂は疲れた顔で職員へ尋ねた。
「本人は?」
「連絡ありません。位置情報も最終エリアから動いていません」
「どれくらい?」
「配信終了から1時間以上です」
藤堂は時計を見る。もう夜だった。
「……まさか」
職員が振り返った。
「どうしました?」
藤堂は少し考えた。これまで自分が見てきた幸一郎の行動を思い返す。
約4か月も連絡せずにダンジョンへ潜り続け、450Fまで到達し、最終試練を突破した直後に「とりあえず帰る」とだけ言って配信を切った男。
藤堂は椅子へ座り直した。
「いや……寝てる気がします」
「最奥部で?」
「真神さんですよ?」
職員が黙った。
数秒後。
「……寝てそうですね」
「でしょう?」
世界中が真神幸一郎の話で騒ぎ続けていた、その夜。
当の本人は、人類未踏だった堺東ダンジョン約450Fの最奥部で。
本当に寝ていた。




