第1章 第37話 決着
クレーターの底で、散らばった肉片が互いを求めるように動いていた。黒い糸が伸び、砕けた骨が引き寄せられ、失われた肉体が少しずつ形を取り戻していく。数万本の浮剣による爆撃を受けても、巨人はまだ死んでいなかった。幸一郎は2本の剣を肩へ担いだまま、その様子を眺めている。
「……面倒くせえな、お前」
やがて巨人の上半身が再形成され、3つの眼が開き、失われた右腕から5本の竜頭が伸びていく。骨格が組み上がり、筋肉と皮膚が覆い、50メートルを超える巨体は再び元の姿へ戻った。
幸一郎は小さく息を吐いた。「まあ……六甲山の500Fよりは、だいぶマシだな。向こうは邪女神だったし……」
その何気ない一言に、大阪支部では何人かが顔を上げた。「……支部長」「聞こえてます」「邪女神って何です?」「知りませんよ」六甲山ダンジョンが500Fだったことは既に判明している。しかし、最終試練で幸一郎が何と戦ったのかは知られていなかった。星堕としで地形を変えられ、山斬りで切断され、轟雷で縦に両断され、数万本の浮剣によって肉片になるまで破壊されても再生した怪物。それを幸一郎は六甲山より「だいぶマシ」と評した。「つまり、六甲山ではこれより厄介な相手と戦ったってことですか」「少なくとも真神さんにとっては、そうなんでしょうね」藤堂はそれ以上答えなかった。
画面の向こうで幸一郎は完全に再生した巨人を見上げた。「こいつはデカいし、硬いし、再生するだけだからな。まだ素直な方だろ」藤堂は額へ手を当てた。「……基準がおかしいんですよ」もちろん、その声が幸一郎へ届くことはない。配信用端末は映像と音声を地上へ送り続けているだけで、幸一郎から視聴者の反応を見ることはできなかった。
巨人の3つの眼が幸一郎を捉え、5本の竜頭が一斉に炎を放った。幸一郎は正面へ走り、炎の隙間を抜ける。「さて……そろそろ真面目に考えるか」迫る牙を右の剣で逸らし、左の剣で腕を斬る。深い傷が刻まれたが、数秒もしないうちに塞がった。幸一郎は止まらない。脚、腹、胸、肩。次々と傷を作っては離れ、その修復過程を観察する。
今度は竜頭の1本を切断した。地面へ落ちた首の代わりに、切断面から骨が伸び、筋肉が形成され、皮膚が覆って新たな竜頭が作られていく。「なるほど」幸一郎は攻撃をかわしながら巨人の全身へ視線を走らせ、胸へ剣を深く突き立てた。剣を抜くと傷が塞がり始める。その瞬間、左手を傷口へ向ける。巨人の全身から傷ついた場所へ膨大な魔力が集まっていた。
「核から供給してる感じじゃないな……全身に再生術式が走ってるのか」
巨人が幸一郎を踏み潰そうとする。幸一郎は寸前でかわし、その足首へ左手を触れた。「だったら簡単だな」足元に直径数メートルほどの魔法陣が現れる。幸一郎が指を動かすと、術式を構成する文字が入れ替わり、魔力の流れが逆方向へ変わった。
「再生させる力が強いなら――逆転させればいいだけだな」
巨人の動きが止まった。先ほど塞がった足首の傷が開く。続いて腕、腹、胸。幸一郎がつけた傷が次々と戻っていく。大阪支部では解析機器の表示が大きく変化していた。「再生反応が反転しています」「反転?」「巨人自身の魔力です。傷を修復していた力が、逆方向へ流れています」藤堂がモニターを見る。再生した竜頭の皮膚が失われ、筋肉が崩れ、その下の骨まで砕けていく。
「やっぱりな」
崩壊は止まらない。それどころか、これまで再生によって消えていた破壊まで巨人の身体へ戻り始めた。爆炎で焼かれた肉体、轟音によって破壊された内部、星堕としで抉られた身体、山斬りで切断された胴体、轟雷によって縦に両断された傷、そして数万本の浮剣によって粉々にされた肉体。そのすべてが一斉に巨人へ返っていく。
「俺が壊す必要なかったな。それだけ強い再生力持ってるなら、壊す方も自分でやってもらえばいい」
巨人が残された腕を振り上げる。幸一郎は正面から走り、攻撃をかわして脚へ飛び乗った。そのまま崩れていく肉体を足場に、膝、腰、胸、肩へ駆け上がる。3つの眼のうち2つは既に崩れ、残された1つが幸一郎を捉えた。幸一郎は右の剣を振るい、巨人の首を切断する。今度は再生しなかった。
巨大な頭部が落ち、残された身体も急速に崩れていく。しかし幸一郎は剣を収めない。「……まだあるな」崩壊する胸部の奥で赤い光が脈動していた。肉と骨が剥がれ落ち、その中心から人間の胴体ほどの黒い結晶が露出する。大阪支部の解析担当が反応した。「高密度の魔力反応を確認。巨人の中心部です」「……コア?」藤堂の言葉とほぼ同時に、幸一郎も黒い結晶の前へ降り立った。
「これか」
結晶が赤く輝き、周囲の肉片から再び黒い糸が伸び始める。幸一郎はその様子を見て頷いた。「なるほど。再生術式そのものは全身にあるけど、魔力の元はお前か」黒い糸がコアを包み始める。幸一郎は右手の剣を持ち上げた。「分かれば簡単だな」
魔法は使わなかった。雷も落とさない。巨大な術式も展開しない。ただ1歩踏み込み、剣を振り下ろした。
黒い結晶が真ん中から2つに割れた。
赤い光が消え、周囲へ伸びていた黒い糸も力を失った。巨人の残骸から魔力反応が消えていく。幸一郎は地面へ降り、しばらく待った。10秒、20秒、30秒。何も動かない。肉片は集まらず、コアも光らない。「……今度こそ終わりか」そう言って2本の剣を鞘へ戻した。
その直後、鐘が鳴った。
半年前、六甲山ダンジョンで聞いたものと同じ鐘が、国境も距離も関係なく世界中へ響く。大阪支部では誰も声を出さなかった。藤堂も立ったまま大型モニターを見つめている。そして鐘の余韻の中、あの声が再び世界へ届いた。
『――堺東ダンジョンにおける最終試練の突破を確認しました。攻略者、真神幸一郎』
僅かな間を置いて、続く。
『――堺東ダンジョンの完全踏破を確認しました』
約450階層。国内公式最深到達記録76階。その最深部に存在した50メートル級の巨人との戦いを、今回は世界中の人間が最初から最後まで見ていた。半年前の六甲山とは違う。最終エリアへの到達も、最終試練も、その突破も、すべてが映像として残った。
幸一郎は鐘が消えるまで待つと、配信用端末のところまで歩いていった。端末にコメントを表示する機能はない。地上が今どんな騒ぎになっているのかも、幸一郎には分からない。端末を手に取り、「まあ……こんなもんだろ」と呟く。
「とりあえず、帰るわ」
そこで配信は切れた。




