第1章 第35話 二度目の鐘と明かされる力
第二回の配信から、四か月が経った。
その間、真神幸一郎からの連絡は一度もなかった。配信もない。JHA大阪支部への連絡もない。堺東ダンジョンから帰還した形跡もない。
最初の一か月は騒がれた。二か月目には再び死亡説が流れ、三か月目にはそれすらニュースにならなくなった。四か月目になる頃には、『まあ真神だし』という言葉で片づけられるようになっていた。
大阪支部も同じだった。心配していないわけではない。だが四か月前、地下180階で二日間戦い続けるドラゴンとキマイラを「じゃれ合い」と呼び、どちらを晩飯にするか悩んでいた男である。藤堂も毎朝、堺東からの信号を確認していたが、何も起きない日常は少しずつ当たり前になっていた。
世界は再び、真神幸一郎がいない日常へ戻り始めていた。
そして、その日。
鐘が鳴った。
大阪で。東京で。北海道で。沖縄で。そして海の向こうでも。街を歩いていた者が足を止め、会社員が仕事の手を止め、教師が授業を止めた。屋外でも建物の中でも、地下でも、誰もが同じ鐘の音を聞いた。
音源はない。距離による音量の差もない。それでも世界中の人間が、確かにその音を聞いた。
半年前にも一度、世界中で同じ鐘が鳴っている。
原因は最後まで分からなかった。
そして鐘の余韻が消えるより先に、声が響いた。
男とも女ともつかない声だった。大きいわけではない。それなのに耳を塞いでも意味がない。音として聞いているのかすら分からない声が、世界中の人間へ等しく届いた。
『――堺東ダンジョンにて、最終エリアへの挑戦を確認しました』
JHA大阪支部の時間が止まった。
藤堂がゆっくりと顔を上げる。
「……堺東?」
誰かが呟いた。
別の職員が小さな声で続ける。
「真神さん……?」
答える必要はなかった。四か月前、最後に確認された幸一郎の現在地は堺東ダンジョン地下180階。そして今、世界そのものが堺東ダンジョンの最終エリアへの挑戦を告げた。
藤堂が立ち上がる。
「半年前の記録を出してください」
「半年前?」
「前回、鐘が鳴った時の記録です。六甲山ダンジョンの完全踏破が確認される前後も含めて、全部」
職員たちが動き出した。
その直後。
別の端末が反応した。
《映像信号受信》
担当職員が一瞬固まる。
「……来ました」
「何が?」
「真神さんです。配信信号が来ています」
今度こそ大阪支部全体が動いた。
「大型モニターへ!」
映像が切り替わる。数秒の乱れの後、真神幸一郎の姿が現れた。
四か月ぶりだった。
髪は少し伸びている。衣服にも汚れが目立つ。それでも怪我らしい怪我はなく、痩せてもいない。幸一郎は端末を岩の上へ置き、何度か角度を調整した。
「あー……映ってる?」
コメントが一気に流れ始めた。
『生きてた!!』『四か月ぶりだぞ!』『今の鐘お前か!?』『最終エリアって何だよ』『説明しろ』
幸一郎は画面を確認し、満足したように頷いた。
「よし」
「今回は最後まで映しとくわ」
大阪支部で藤堂が眉を寄せた。
これまで幸一郎は戦闘中の配信を避けていた。理由も本人が明言している。手の内を見せたくないから。
だが今回は違った。
『戦闘見せるの?』『手の内隠すんじゃなかったのか?』
幸一郎はコメントを一瞥した。
「別にいいだろ」
腰へ両手を伸ばす。
「ここまで来れるならな」
左右から一本ずつ剣を抜いた。
「真似できるもんなら、やってみろ」
その遥か向こう。
暗闇の中から、巨大な何かが姿を現した。
最初に見えたのは脚だった。一本だけで巨大な石柱ほどもあり、一歩踏み出すたびに地面が震え、天井から砂礫が落ちる。やがて全身が照明の届く範囲へ入った。
巨人。
高さは五十メートルを優に超える。人間に似た胴体を持ちながら、顔には三つの眼。そして右手にある五本の指は、その一本一本が巨大なドラゴンの首になっていた。五つの竜頭が別々に動き、幸一郎を見つけると牙の隙間から炎を漏らす。
『なんだこれ』『指がドラゴン?』『50mあるぞ』『これが最終エリアの敵?』
幸一郎は二本の剣を構えた。
「さて……やるか」
五本の竜頭が一斉に口を開いた。五条の炎が放たれ、幸一郎のいた場所を飲み込む。岩盤が砕け、熱で映像が歪んだ。
だが炎の中から幸一郎が飛び出した。
「遅い」
姿が消える。次に映像が捉えた時には巨人の足元にいた。二本の剣が交差し、足首へ巨大な十字の傷を刻む。巨人が咆哮する中、幸一郎は脛、膝、腰と巨体そのものを足場にして駆け上がり、迫ってきた竜頭の一つをすれ違いざまに斬り落とした。
残る四つの竜頭が一斉に炎を吐く。空中で逃げ場を失った幸一郎は左の剣を逆手へ持ち替えた。
「――爆炎」
幸一郎を中心に炎が膨れ上がった。四本のブレスと正面から衝突し、爆発的に広がった熱と衝撃が巨人の上半身を包み込む。岩壁が砕け、配信用端末が激しく揺れた。
炎の中から巨大な腕が伸び、幸一郎を叩き落とす。地面へ激突する寸前で身体を反転させて着地すると、剣を岩盤へ突き立てた。
「――轟音」
一瞬、すべての音が途絶えた。
次の瞬間、凄まじい圧力が幸一郎を中心に広がった。岩盤が円状にめくれ上がり、巨大な岩塊が宙へ舞う。五十メートルを超える巨人の身体まで後方へ押し戻され、配信の音声は衝撃に耐えきれず数秒間途切れた。
『何した?』『地面が消えてる』『これ人間の戦闘か?』
それでも巨人は倒れない。三つの眼が輝き、幸一郎の足元に魔法陣が浮かぶ。光が岩盤を貫く直前に幸一郎は跳び、そのまま左手を頭上へ向けた。
「なら、こっちもデカいのでいくか。――星堕とし」
遥か頭上の暗闇に、青白い光が灯った。一つ、十、百。無数の光が流星となって降り注ぎ、巨人へ次々と直撃する。肩が砕け、胸が抉れ、地面には巨大な穴が増えていく。
最後に、それまでとは比較にならない巨大な光が落ちた。
映像が白く染まる。
視界が戻った時、そこにあった地面は巨大なクレーターへ変わっていた。その中心で巨人が片膝をついている。三つの眼の一つは潰れ、右手の竜頭もいくつか失われていた。
それでも立ち上がった。
「硬いな」
『硬い??』『今ので?』『地形変わってるぞ』
巨人が再び襲いかかる。
幸一郎は二本の剣を揃え、横へ振った。
「――山斬り」
巨人の左腕が途中から滑り落ちた。続いて胴体に一本の線が走る。さらに遥か後方の巨大な岩壁にも同じ線が刻まれ、しばらくして上半分が崩れ落ちた。
『巨人だけじゃない』『後ろの壁まで斬った?』『だから山斬りなのかよ』
だが切断された巨人の胴体から黒い糸が伸び、上下を再び繋ぎ始めた。失われた腕も竜頭も、ゆっくりと形を取り戻していく。
「……再生持ちか」
幸一郎は二本の剣を下ろした。
「じゃあ、仕方ないな」
右手を上げる。
足元に小さな魔法陣が現れ、そこから光の線が伸び始めた。十メートル、百メートル、一キロ。複雑な術式が地面を走り、壁を這い、天井へ昇る。それでも止まらず、最終エリアの外へ広がっていく。
大阪支部の観測機器が一斉に警告を出した。
「魔力反応、測定限界を超えました」
「範囲は?」
職員が表示を確認し、言葉を失った。
「……堺東ダンジョン全域です」
藤堂が画面を見る。
「全域?」
巨大なダンジョンそのものを包み込む規模の魔法陣が形成されていた。
「六甲じゃ一回しか使わなかったんだけどな」
魔法陣が輝く。
巨人の再生速度が鈍った。
それでも止まらない。
「なら、直接ぶった斬るか」
最終エリアの天井付近に、地下には存在するはずのない黒雲が生まれた。雷雲は巨大な渦となり、幸一郎の頭上へ集まっていく。
「来い」
轟雷が幸一郎自身へ落ちた。
雷光が全身を包み、そのまま両手の剣へ流れ込む。刀身が青白く輝き、周囲へ激しい放電が走る。両腕から白煙が上がっていたが、幸一郎は剣を離さない。
「一発じゃ足りないか。もう一発」
二度目の轟雷が落ちる。
二本の剣は刀身が見えなくなるほどの雷を纏った。
巨人が一歩後退する。
「遅い」
幸一郎の姿が消えた。
次の瞬間には巨人の頭上。二本の剣を重ね、そのまま振り下ろす。
「――轟雷」
幸一郎自身が一本の雷となって、巨人の頭頂から地面までを一気に駆け抜けた。
着地した幸一郎の背後で、巨人の額に一本の線が現れる。それは顔、首、胸、腹へ伸び、五十メートルを超える巨体が左右へずれた。
真っ二つになった巨人の半身が、それぞれ地面へ倒れた。
『50mを縦に斬った?』『雷二発自分に落としてから?』『誰だよ真似しろって言った奴』『本人だよ』
だが幸一郎は剣を収めない。
左右に分かれた巨体から黒い糸が伸び、再び互いを引き寄せ始めていた。
「……まだ死なねえのかよ」
左の剣を地面へ突き立て、空いた手を頭上へ向ける。
「――浮剣」
一本の青白い剣が現れた。
二本。十本。百本。千本。
増殖は止まらない。
数千。一万。二万。
やがて最終エリアの上空から暗闇が消えた。
数万本の魔法剣が空を埋め尽くし、そのすべてが切っ先を巨人へ向けている。
大阪支部で解析していた職員が呟いた。
「少なくとも三万以上……まだ増えています」
再生した巨人が立ち上がった。三つの眼が開き、五本の竜頭も形を取り戻す。その一つが頭上を見た。続いて二つ目。やがて五つすべての竜頭と三つの眼が、空を覆う剣へ向けられた。
巨人が一歩後退した。
「再生できるなら、好きなだけ再生しろよ」
幸一郎が手を振り下ろす。
「そのたびに刻んでやるから」
数万本の魔法剣が一斉に降下した。
一本一本が巨人へ突き刺さるたびに爆発し、肉を抉り、骨を砕く。腕で防げば腕へ数百本。竜頭が炎を吐けば、その炎を突き破って数千本。再生した肉には、それを上回る数の剣が殺到する。
もはや剣の雨ではなかった。
爆撃だった。
巨人の腕が消える。竜頭が一つ、二つと吹き飛ぶ。頭部へ数千本が集中し、その形そのものが失われる。
それでも魔法剣は降り続けた。
十秒。二十秒。三十秒。
巨大なクレーターの中に新しいクレーターが生まれ、その底へさらに剣が突き刺さる。
一分後。
ようやく最後の一本が落ちた。
静寂が戻った。
爆炎と土煙がゆっくりと晴れていく。
そこには巨大なクレーターだけが残っていた。その中心には、もはや巨人だったものの原形すらない。肉片、砕けた骨、黒い血。それらが広範囲に散らばっている。
『……倒した?』『さすがに死んだだろ』『これで生きてたら反則だぞ』
幸一郎だけは剣を収めなかった。
数秒。
十秒。
肉片の一つが動いた。
そこから黒い糸が伸びる。
別の肉片も動いた。
また一つ。
さらに一つ。
数万本の魔法剣によって粉々にされた肉片が、互いを求めるように這い始める。
コメント欄が止まった。
幸一郎は二本の剣を肩へ担ぎ、その光景をしばらく眺めていた。
恐怖も焦りもない。
ただ、心底面倒そうに呟いた。
「……面倒くせえな、お前」
試練は、まだ終わっていなかった。




