第1章 第28話 何が変わったのか…
国会で八年前の事件について再検証する方針が示されてから、報道各社の調査はさらに過去へ向かっていた。焦点となったのは、真神幸一郎の冤罪が判明した直後、警察が何を語っていたのかだった。
八年前の記者会見映像がニュース番組で再び流された。画面の中で警察幹部が深く頭を下げている。
『今回、結果として無実の少年を逮捕するに至ったことについては、誠に遺憾であり、ご本人ならびにご家族に深くお詫び申し上げます。捜査過程を検証し、今後このような事態を招くことのないよう、再発防止と適正な捜査の徹底に努めてまいります』
映像が止まった。スタジオには当時の事件資料が並べられている。
「八年前、警察はこのように説明しています。では、その後、何が変わったのでしょうか」
画面が切り替わった。警察内部で行われた検証、事情聴取の適正化、証言の裏付け捜査の徹底、捜査員への教育。複数の再発防止策が当時発表されていた。書類だけを見れば、何もしていなかったわけではない。
だが、番組はそこで終わらなかった。
「問題は、その後です」
画面に年表が表示された。真神幸一郎の事件から二年後に誤認逮捕。その翌年にも別の誤認逮捕。さらに数年後にも、捜査上の思い込みや証言の信用性を巡って問題となった事件が起きていた。個々の事件の事情は違う。同じ原因で起きたわけでもない。単純に一括りにすることはできない。それでも、一つだけ似た言葉が残されていた。
『再発防止に努める』
別の事件では『捜査の適正化を徹底する』。さらに別の事件でも『再び同様の事案を起こさぬよう、職員への指導を徹底する』。画面には《遺憾》《検証》《再発防止》《適正な捜査》《指導の徹底》という言葉が並んでいた。
「これ……全部違う事件ですよね」
「はい。原因も経緯もそれぞれ異なります」
「でも、最後に出てくる言葉はほとんど同じなんですね」
ネット上でも、それらの映像が並べられ始めた。
『これ真神の時の会見?』
『こっちは二年後』
『言ってることほぼ一緒じゃん』
『再発防止って何回やれば再発防止になるんだ』
『いや誤認逮捕をゼロにするのは現実的に無理だろ』
『ゼロにできないのと毎回同じコメントで終わるのは別問題』
『具体的に何を変えたのか見せてくれ』
そして、その放送を最も重い空気の中で見ていた場所の一つが、八年前に真神幸一郎を誤認逮捕した警察署だった。
休憩室のテレビには八年前の謝罪会見が映っている。署内には当時を知らない警察官も多い。異動してきた者、八年前にはまだ警察官ですらなかった若手もいる。一方で、当時の捜査に関わった者も何人か残っていた。
『再発防止と適正な捜査の徹底に努めてまいります』
誰も喋らなかった。若い警察官がテレビから視線を外し、机の上に置かれた資料を見る。国会で再検証方針が示されたことで、八年前の事件記録が署内でも再び確認され始めていた。
「……これ、本当にうちなんですよね」
「ああ」
「真神さんを逮捕したの」
「ああ」
それ以上、言葉が続かなかった。少し離れた場所では、当時の捜査に関わっていた刑事が黙ってテレビを見ている。画面は別の誤認逮捕事件の謝罪会見へ切り替わった。
『再発防止に努め――』
チャンネルは変わっていない。八年という時間だけが進んでいる。
若手の一人が、悪意もなく呟いた。
「……同じこと言ってますね」
空気がさらに重くなった。
「おい」
先輩が制止しようとしたが、当時の捜査員がそれを止めた。
「いい。その通りだ。俺たちも、あの時は本気で二度と起こさないつもりだった」
研修も受けた。捜査手順も見直された。証言だけに引きずられないこと、裏付けを取ること、思い込みを排除すること。何度も言われた。
「何もしてなかったわけじゃない。でも……また起きた」
別の刑事が机の上の資料を見つめた。そこには八年前、十七歳だった真神幸一郎の名前がある。
「俺、前の配信見てたんです」
若手が言った。
「『八つ当たりするほど落ちちゃいない』って言ってましたよね」
当時の関係者の一人が僅かに顔を上げた。
「……それがどうした」
「いや……じゃあ、当時直接関わった人たちは、八つ当たりじゃないんだろうなって」
休憩室から音が消えた。若手自身、口にしてから失言だったと思ったらしい。
「すみません」
「謝るな。俺も、そう思った」
誰も続けられなかった。
二か月ぶりの配信で、幸一郎はドラゴンとキマイラを見ながら警察署へ置いてくると言った。その二体ですら「心許ない」と評した。だが今、この署にとって本当に重かったのはドラゴンでもキマイラでもない。八年前の書類だった。
一枚一枚に、自分たちの名前が残っている。事情聴取をした者。証言を確認した者。報告書を書いた者。逮捕を妥当と判断した者。そして、その全員が当時は自分たちなりに「正しい捜査」をしていると思っていた。
だからこそ怖かった。
悪意があったから間違えたのではない。正しいと思って間違えた。ならば、同じことはもう起きないと本当に言えるのか。
テレビでは番組が続いていた。
「実施したことと、変わったことは同じなのでしょうか」
誰かがテレビを消そうとして、やめた。最後まで見るべきだと思った。
報道側も、八年前に発表された再発防止策のうち何が実施されたのか、何年間継続されたのか、効果は検証されたのか、問題が再発した際に制度は見直されたのかを調べ始めた。調査が進むにつれ、単純に「何もしていなかった」とは言えないことも分かってきた。研修は行われていた。通達も出ていた。捜査手順の見直しもあった。
だが同時に、別の疑問が生まれた。
「実施したこと」と「変わったこと」は同じなのか。
あるニュース番組では、元捜査員がその問いにしばらく黙ったあと答えた。
「警察も間違えようとして間違えるわけではありません。制度を改善しても、人間が捜査する以上、誤りを完全になくすことは難しいでしょう」
「では、真神さんの事件から何を学んだのでしょう」
「それは……」
「当時、証言の信用性、先入観、裏付け捜査が問題になった。そして再発防止を発表した。それでも後に誤認逮捕が起きた。もちろん個々の原因は違います。ただ、国民から見れば、この時に言った『二度と繰り返さない』とは具体的に何だったのか、そう思うのではありませんか」
その疑問はそのままネットへ流れ、やがて矛先は警察だけではなく政府にも向かった。国会でも質問が出た。
「真神氏の事件後、警察は再発防止策を発表しています。政府はその実施状況と効果を、どのように確認してきたのでしょうか」
「警察において必要な研修、指導等が行われてきたものと承知しております」
「行われたかどうかを聞いているのではありません。効果があったのかを聞いています。研修を行った。通達を出した。会議を開いた。それで再発防止を実施したことになる。しかし、その後にも誤認逮捕は発生している。では、以前の対策の何が足りなかったのか。その検証を政府は行ったのですか」
答弁側で資料が回り始める。質問者はさらに続けた。
「そして今回、真神幸一郎氏が帰還したことで、八年前の事件をもう一度検証すると政府は言った。なぜ今なのですか? 八年前では駄目だったのですか。その後に誤認逮捕が起きた時でも駄目だったのですか。なぜ、世界初の完全踏破者となり、暫定EXと認定され、政府ですら戦闘能力を把握できない人物となって帰ってきた今になって、本格的な再検証を始めるのですか」
議場が静かになった。
「もし真神幸一郎氏が、八年前のまま何の力も持たない一人の青年として帰ってきていたら、同じ再検証をしましたか?」
答えにくい質問だった。何を答えても、別の問題が生まれる。
「これは真神氏一人の問題ではありません。彼だから検証するのでは意味がない。彼が強くなったから制度を変えるのでも意味がない。八年前、十七歳の少年だった時に守れなかった。ならば次に同じ立場へ置かれる、名前も知られていない、何の力も持たない誰かを守れる制度に変えなければならない」
その日の国会中継も、すぐに切り抜かれた。
『これだよ』
『真神に謝るだけじゃ駄目なんだよな』
『次の真神を作らないことが再発防止だろ』
『EXに怒られたから本気出しました、じゃ何も変わってない』
『結局また力がある奴の声だけ聞いてることになる』
『誤認逮捕ゼロなんて不可能だろ』
『結果だけ見て警察叩くのも違う』
『制度改善してても事故は起きる。件数や原因を見ないと意味ない』
それもまた正しい指摘だった。だからこそ議論は、「その後も誤認逮捕が起きた」という事実だけでは終わらなかった。何件起きたのか。なぜ起きたのか。八年前に導入した対策は機能していたのか。機能していなかったなら、なぜ見直されなかったのか。そして何より、警察が間違えた時、その間違いによって人生を壊された人間を誰が救うのか。
八年前、警察は言った。
《再発防止に努める》
八年後、真神幸一郎は地下180階にいた。世界初の完全踏破者となり、国家ですら無視できない力を持って。
そして地上では今になって、八年前には十分に問われなかった一つの問いが繰り返されていた。
――あの事件のあと、本当に何が変わったのか。




