第1章 第27話 掘り起こされた世論
その日の国会中継は、通常とは比較にならないほど多くの人間に見られていた。きっかけは、前日に行われた真神幸一郎の二回目の配信だった。地下180階、ドラゴンとキマイラ、六甲山ダンジョン地下500階。そして最後に飛び出した、警察と政府への言葉。当然、翌日の国会で真神幸一郎が取り上げられるという情報は朝から広がり、普段なら国会中継など見ない層まで動画配信やニュースサイトを開いていた。
質疑が始まり、最初に注目されたのは真神幸一郎の危険性だった。政府は真神氏の能力を把握しているのか。仮に国家へ武力を行使した場合、止める手段はあるのか。政府側は明確な回答を避け、その部分だけが切り抜かれて国会中継が終わるより早くネット上へ拡散された。
《政府、真神幸一郎を「止められる」と明言できず》
《暫定EXの戦闘能力、政府も把握せず》
《ドラゴンを「心許ない」と評した真神氏――政府に対処手段はあるのか》
テレビ局も動いた。夕方のニュースでは専門家や元官僚、元JHA職員らが呼ばれ、前日の映像と国会答弁が繰り返し流された。番組によって論調は違い、「国家として最悪の場合を想定する必要がある」と警戒を求める者もいれば、「現時点で真神氏は犯罪行為を行っておらず、能力が高いという理由だけで危険人物として扱うことには問題がある」と反論する者もいた。
新聞社の電子版でも、《真神氏「武力でいい」発言 政府、対応に苦慮》《17歳の少年を救えなかった国家 8年前の冤罪、再検証へ》《警察だけではない――国会で政府責任を追及》と見出しが割れた。
だが、最も大きく拡散されたのは別の部分だった。
――十七歳の時、国家の側が彼の人生を壊した。その人間が力を持って帰ってきた途端、今度は国家に協力してくれと言う。
――強大な力を持って帰ってきたから、国家は彼と向き合うのか。それとも、何の力も持たない十七歳の少年だった時から、本来向き合うべきだったのか。
国会中継から切り抜かれた僅か数分の動画は異常な速度で再生数を伸ばした。
『これなんだよな』
『EXになったから国会で大騒ぎしてるだけじゃん』
『17歳の時に同じくらい真剣に調べてやれよ』
『力を持ったから話を聞くって、それこそ真神の「力が正義」を国が証明してないか?』
『いや、それと「武力でいい」は別問題だろ』
『冤罪被害者なのは分かる。でもドラゴンを警察署に放つとか言われたら普通に怖い』
『最後に自分で否定しただろ』
『否定できたから安全じゃなくて、そこまで考えてること自体が怖いんだよ』
議論は際限なく広がった。真神幸一郎は被害者なのか、危険人物なのか、英雄なのか。国家が保護すべき存在なのか、それとも警戒すべき存在なのか。そのどれか一つに決めようとするたび、必ず別の事実が邪魔をした。
そして、もう一つの議論が大きくなり始めた。八年前、何があったのか。
これまで世間に知られていたのは単純な事実だけだった。真神幸一郎は17歳の時に逮捕され、後に冤罪だったことが判明した。その間に六甲山ダンジョンへ入り、八年間帰ってこなかった。しかし、なぜ誤認逮捕されたのか。どのような捜査が行われたのか。冤罪が判明したあと警察は何をしたのか。政府は何をしたのか。そして当時、マスコミは何を報じたのか。
各社が一斉に八年前の資料を掘り始めた。当時の記事、テレビ映像、警察発表、週刊誌、ネットニュース、学校関係者への取材記録。その過程で、ある奇妙な構造が浮かび上がった。
警察は一方の証言を信用した。その警察発表をマスコミが報じた。各社が一斉に報じたことで「真神幸一郎は犯人らしい」という認識が社会へ広がり、それを見た人々がネットで批判する。すると今度はマスコミが、そのネット上の反応を「世論」として記事にした。
《同級生からも不安の声》《ネットでは厳罰を求める声》《学校の対応にも批判》《少年による凶悪事件に社会震撼》
警察発表を報道し、その報道を見た人々が反応し、その反応を再び報道する。さらに他社の記事が自社の記事を補強し、どの媒体を見ても似たような情報が並ぶことで、「これだけ報じられているのだから事実なのだろう」という空気が作られていった。
ある報道番組の会議室で、若いディレクターが八年前の記事を画面に並べながら眉をひそめた。
「これ……エコーチャンバーみたいになってません?」
「どういう意味だ」
「警察発表をうちが報じる。他社も報じる。それを見たネットが真神を叩く。今度はその反応を『世論』として俺たちが記事にする。その記事を見て、また叩く人間が増える。しかも途中から『他社も報じているから』って理由で記事のトーンまで強くなってる。誰も最初の情報が正しいのか確認しなくなってるんですよ」
会議室が静かになった。別の記者が資料を確認し、逮捕時の記事と冤罪判明後の記事を並べた。
「……逮捕された時の記事、すごいな。学校まで取材してる。近所にも行ってる。匿名掲示板の書き込みまで拾ってるぞ」
「冤罪が判明した時は?」
しばらくマウスを動かす音だけが続いた。
「……小さいな」
逮捕された時には顔写真まで使って何日も追いかけた。冤罪と分かった時には数段の記事。その差が画面上にはっきり残っていた。
同じ頃、八年前に真神幸一郎の記事を扱った一冊の雑誌を作った出版社でも、古いバックナンバーが机の上に置かれていた。序章で、真神幸一郎の帰還を知った瞬間に編集部を凍りつかせた、あの雑誌社だった。
現在の編集長は無言で八年前の誌面をめくっていた。十七歳だった真神幸一郎について書かれた記事には、警察発表だけではなく、同級生の証言、近隣住民の話、ネット上の反応まで並べられている。一つ一つを見れば、当時としては取材した情報だったのかもしれない。だが、それらを一つの記事に並べれば、真神幸一郎という少年が最初から危険な人間だったかのように見えた。
「……これを書いたのは?」
「当時の担当はもう退職しています。ただ、デスクと編集責任者は残っています」
「この同級生の証言、こっちの近隣住民、それと『学校でも以前から問題視されていた』って部分。一次資料を出せ。ネットの反応も全部だ。当時どこから拾った。何件あった。その中から、なぜこれを選んだ」
「編集長……」
「全部だ。警察が間違えたから俺たちも間違えました、で済むと思うか?」
誰も答えられなかった。
編集長は古い誌面を閉じる。
「それどころか、俺たちの記事を読んだ奴が『やっぱり犯人なんだ』と思って、その反応を別の媒体が拾ってた可能性まである。俺たちは世論を報じていたんじゃない。自分たちで世論を作って、それをまた『世論』として報じてた可能性があるぞ」
その言葉は重かった。
そして問題は、八年前だけではなかった。
《真神幸一郎は危険人物か》《国家を脅迫?「武力でいい」発言の真意》《制御不能のEX級ハンター》
現在もまた、刺激的な見出しほど読まれ、切り抜かれた言葉ほど拡散されている。
編集長はしばらくそれを見ていたが、やがて口を開いた。
「……止めろ」
「え?」
「明日出す予定の真神の記事、一回全部止めろ」
「でも他社はもう――」
「八年前も、それ言ったんじゃないのか?」
誰も言葉を返せなかった。
編集長は前日の配信全文を画面へ表示した。
「『武力でいい』だけ抜くな。その前も後も載せろ。警察の話も、政府の話も、最後に本人が『雑すぎる』と否定したところもだ。それから――」
机の上に置かれた八年前の雑誌を見る。
「今度は、俺たちが何をしたのかも書く」
ネット上でも、八年前の記事のスクリーンショットが次々と発掘され始めていた。
『これ当時の記事?』
『完全に犯人扱いじゃん』
『逮捕された段階だよな?』
『この「世間では厳罰を求める声」って何人に聞いたんだ?』
『その世論作ったのお前らの記事じゃね?』
『警察→マスコミ→ネット→マスコミって回ってない?』
『これ今の真神危険人物報道でも同じことやりかけてないか?』
そして、ある投稿が大きく拡散された。
『真神が言ってた「発言力と信用という力」って、警察だけの話じゃなかったんじゃないか』
その一文を境に、世論の視線はさらに広がった。警察、政府、マスコミ。そして、それらから与えられた情報を信じ、八年前の十七歳の少年を犯人だと思った社会。誰に、どこまで責任があるのか。簡単な答えなど出なかった。
ただ一つだけ、以前とは違うことがあった。
その日の夜、SNSのトレンド上位へ一つの言葉が上がった。
《17歳の真神幸一郎》
EXでもない。世界初の完全踏破者でもない。ドラゴンを倒せる男でもない。
何の力も持たず、自分の言葉を誰にも信じてもらえなかった八年前の少年。
社会はようやく、その時の真神幸一郎へ目を向け始めていた。




