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第1章 第25話 今日の献立

ちょっと長めです

最初の配信から、二か月が経った。


その間、真神幸一郎からの配信は一度もなかった。


ドラゴンの鱗を鉄板代わりに肉を焼き、フェニックスの羽で煙を逃がす。さらに鱗は二百枚ほどあり、それも暇つぶしに剥ぎ取ったものだという。あまりにも非常識な第一回の配信は国内外で大きな話題となり、しばらくは連日のように報道されていた。


当然、その続きを待つ者も多かった。


一週間。


二週間。


一か月。


だが、何もない。


JHA大阪支部にも連絡はなく、映像信号も届かない。もっとも、出発前から幸一郎は定期的な配信を約束していたわけではなかった。戦闘中は手の内を見せたくないから配信しない、と言っていた程度である。


それでも一か月を過ぎた頃から、世間では様々な憶測が飛び交い始めた。攻略に苦戦しているのではないか。負傷したのではないか。既に帰還不能な領域まで進んでいるのではないか。中には死亡説まで出始めた。


六甲山ダンジョンへ入り、八年間戻らなかった男である。帰還から僅か一週間後に別の未踏破ダンジョンへ入り、再び消息を絶った。その事実は、時間が経つにつれて別の意味を持ち始めていた。


二か月も経つ頃には、最初の熱狂もかなり落ち着いていた。堺東ダンジョン入口に常駐していた報道陣も減り、ニュースで取り上げられる回数も少なくなった。


それでもJHA大阪支部では、毎日同じ端末が監視されていた。


そして、その日の午後。


何の前触れもなく表示が変わった。


《映像信号受信》


最初に気づいた職員は、数秒間それを見つめた。


「…………来た」


隣の職員が振り返る。


「何が?」


「真神さんです」


椅子が倒れる音がした。


「真神さんから映像信号!」


二か月間、一度も反応しなかった端末。その表示を確認した瞬間、大阪支部の空気が一変した。藤堂へ連絡が入り、映像が大型モニターへ送られる。


ノイズ。


暗転。


そして。


「あー……映ってる?」


画面いっぱいに真神幸一郎の顔が映った。


怪我らしい怪我はない。頬が痩せた様子もない。声にも力がある。二か月前と、ほとんど変わっていなかった。


大阪支部のあちこちから、安堵の息が漏れた。


幸一郎はそんな地上側の事情など知らず、端末を持ち上げた。


「よし……この辺でいいか」


カメラを岩の上へ置き、少し角度を調整する。


その直後だった。


――ドォンッ!


凄まじい轟音とともに、映像が激しく揺れた。


大阪支部の職員たちの表情が変わった。


画面の奥。


巨大な影が、二つ動いていた。


最初に姿を現したのは巨大な竜だった。四肢で立った状態でも小さな建物ほどの高さがあり、黒褐色の鱗に覆われた巨体から巨大な翼が伸びている。対峙するもう一体は、それに勝るとも劣らない異形だった。獅子を思わせる胴体に複数の頭部、背には翼、後方では太い蛇のような尾がうねっている。


大阪支部の魔物研究担当が画面を凝視した。


「……キマイラ?」


「もう一匹は?」


「見たままなら……ドラゴンです」


二か月ぶりの配信開始は、JHAからすぐに告知された。第一回の騒動を覚えていた者たちが次々と集まり、視聴者数は急激に増えていく。国内メディアも反応し、海外へも情報が流れ始めた。


画面の奥でドラゴンが咆哮した。空気そのものが震えたように映像が乱れ、岩壁から細かな石が降り注ぐ。それに応えるようにキマイラも複数の頭を持ち上げ、獅子に似た頭部が吠え、別の頭部が低く唸った。


次の瞬間、キマイラが地面を蹴った。巨体からは想像できない速度で一気に距離を詰め、そのままドラゴンの胴体へ激突する。鈍い轟音とともに竜の巨体が横へ滑り、四肢が地面へ深い溝を刻んだ。ドラゴンも即座に反撃し、巨大な尾を横薙ぎに振るう。直撃を受けたキマイラの巨体が宙へ浮き、岩壁へ叩きつけられた。壁面が陥没し、巨大な岩塊が次々と崩れ落ちる。


『は???』

『怪獣映画始まった』

『キマイラ飛んだぞ』

『壁えぐれてるんだけど』

『真神どこ?』

『手前に座ってる』

『なんで座ってんだよ』

『逃げろって!!』


瓦礫を吹き飛ばしてキマイラが立ち上がった。ほとんど堪えた様子もなく再び突進し、今度はドラゴンの側面へ回り込んで前脚へ牙を立てる。ドラゴンが身を捻って巨大な爪を振り下ろすと、キマイラの背が裂けて血が飛び散った。それでも離れず、蛇のような尾をドラゴンの翼へ巻きつける。ドラゴンは怒りの咆哮を上げ、翼を強引に広げてキマイラの巨体を持ち上げると、そのまま地面へ叩き落とした。


――ドォンッ!


衝撃で端末が跳ね、映像が横を向いた。


「あー……もう。暴れるならもうちょっと向こうでやれよなぁ……」


幸一郎が立ち上がって端末を拾い、何事もなかったように元の位置へ戻す。


『そっち???』

『心配するとこそこなの?』

『端末倒されたことに怒ってるw』

『お前も逃げろよ』


幸一郎は再び腰を下ろした。


「しかし、元気だなぁ……」


その言葉とは裏腹に、二体は既に血を流していた。どう見ても遊びではない。互いを排除するための縄張り争いだった。


ドラゴンが距離を取り、首を低く構える。口の隙間から炎が漏れ、周囲の空気が揺らぎ始めた。


「ブレス……!」


大阪支部で誰かが叫んだ直後、視界が赤く染まった。轟音とともに放たれた火炎がキマイラを飲み込み、その背後の岩壁まで覆い尽くす。あまりの熱量に映像が歪み、周囲の岩肌が赤熱していった。


炎が消える。黒煙の中で何かが動いた。


キマイラだった。


全身の毛を焦がしながらも四肢で立ち、そのまま煙を突き破ってドラゴンへ激突する。二体が絡み合いながら地面を転がり、爪が鱗を削り、牙が肉へ食い込み、尾が岩壁を薙ぎ払う。ドラゴンがキマイラの首の一つへ噛みつけば、別の頭部がその前脚へ牙を立てる。キマイラの爪が竜の胸元を引き裂き、数枚の鱗が宙を舞った。


幸一郎がそれを目で追う。


「……あとで拾っとくか」


大阪支部の素材担当が無言で机へ額をつけた。


『拾うんかいwww』

『201枚目』

『暇つぶしコレクション増えるぞ』

『研究所が泣いてる』


そんな中、一人の職員が画面を見ながら呟いた。


「……ここ、何階なんだ?」


幸一郎に聞こえるはずもない。だが、ちょうど本人も同じことを考えたらしく、少し首を傾げた。


「そういや今どの辺だっけ……大体、地下180階くらいかなぁ」


大阪支部から音が消えた。


「…………180?」


国内のダンジョンにおける公式最深到達記録は76階。資料を確認した職員が、乾いた声を漏らす。


「国内記録……104階超えてます」


しかも本人は正確な階層を把握していない。大体、180階。


『180????』

『聞き間違い?』

『国内最深76階だぞ』

『104階も超えてるんだけど』

『「大体」ってなんだよw』

『二か月でどこまで潜ってんだよ』


幸一郎はそんな地上の混乱など知らず、ドラゴンとキマイラを眺めながら呟いた。


「まあ、六甲山だって地下500階まであったしなぁ……」


今度は藤堂まで固まった。


「……500?」


六甲山ダンジョン。世界で初めて完全踏破されたダンジョン。その最深部が何階だったのか、JHAはまだ正式な報告を受けていない。それが今、本人の何気ない独り言によって世界で初めて明らかになった。


地下500階。


『500??????』

『今さらっと何言った』

『六甲500階あったの!?』

『これ初出情報だろ』

『国内記録76階とは』

『そりゃ8年間帰ってこねえよ』

『500階全部一人で行ったの?』

『完全踏破なんだからそういうことだろ』


幸一郎は現在地と記憶の中の六甲山を比べるように少し考えた。


「なら、まだまだ前半だなぁ……」


『前半????』

『180階が??』

『国内記録100階以上超えて前半扱いw』

『堺東が500階とは限らんぞ』

『六甲より深かったらどうすんだよ』


その間にも戦いは続いていた。ドラゴンがキマイラを押し倒し、前脚で胴体を地面へ押さえ込む。キマイラの頭部の一つが竜の脚へ食らいつき、別の頭部が炎を吐く。ドラゴンは炎を浴びながらも噛みついていた首を咥えて持ち上げ、そのまま巨体を投げ飛ばした。地面を何度も跳ねて岩壁へ激突したキマイラへ、今度は巨大な翼を広げて急降下する。


激突。


地面に亀裂が走り、映像が激しく揺れる。


それでも幸一郎は動かなかった。


「こいつら、飽きないなぁ……もう二日くらいやってるんだよな」


『二日!?』

『ずっとこれやってんの?』

『お前も二日見てたの?』

『何してんだよwww』


「まあ、ずっと見てたわけじゃないけど。この辺通るたびにやってるんだよ」


ドラゴンが再び咆哮し、キマイラも複数の頭部から咆哮を返す。周囲の空気が震える中、幸一郎はその光景を眺めて首を傾げた。


「まあ、縄張り争いっていうか……じゃれ合ってるだけなんだけど」


直後、ドラゴンの尾がキマイラの腹へ直撃した。巨体が吹き飛び、岩壁へ激突する。轟音とともに壁面が崩れ落ちた。


『じゃれ合い??????』

『どこがだよwww』

『今壁一個消えたぞ』

『血まみれなんですけど』

『これでじゃれ合いなら喧嘩って何だよ』

『180階怖すぎ』

『違う』

『怖いの真神だ』

『前回の「羽のついた蜥蜴」ってマジだったんだ……』


幸一郎は欠伸をした。


国内最深到達記録、76階。現在地、およそ180階。そして世界初の完全踏破を果たした六甲山ダンジョンは、地下500階。


その地下180階付近で、巨大なドラゴンとキマイラが二日間も縄張りを争い続けている。日本中がその光景に息を呑む中、幸一郎だけが退屈そうに二体を眺めていた。


やがて時計を確認する。


「ん……もうこんな時間か」


ふと、何かを思いついたように首を傾げた。


「……どっちか生け捕りにして、警察署にでも置いてくるか」


大阪支部の空気が凍った。コメント欄も一瞬だけ止まる。


『…………は?』

『今なんて?』

『警察署?』

『置いてくる???』


幸一郎はドラゴンとキマイラを交互に眺めながら、独り言を続けた。


「力が正義だってんなら……まあ、力で制圧できるんだろ」


声に怒気はなかった。笑ってもいない。それがかえって、その言葉を冗談に聞こえなくさせた。


だが、幸一郎は自分で何かに引っかかったらしい。


「ああ……違うか。あいつらが使った力って、発言力とか信用とか、そういうやつだったな」


八年前。一人の少女の言葉が信用され、警察という組織の判断が信用され、その結果、一人の少年の言葉は届かなかった。


幸一郎は面倒そうに頭を掻く。


「同じようにやり返すのも面倒くさいし……まあ、こっちは武力でいいだろ」


大阪支部から音が消えた。


『…………』

『おい』

『急に笑えなくなったぞ』

『武力って』

『誰の話してるか分かった気がする』

『これ配信してて大丈夫なのか?』


画面の奥では、ドラゴンが再びキマイラへ襲いかかっていた。キマイラも正面から迎え撃ち、巨体同士の衝突で岩壁が震える。


幸一郎は二体を眺め、少し考える。


「……いや、どうせならもっと強い奴置いた方がいいか」


一瞬だけ地上側が意味を理解できなかった。


「こいつらじゃ、ちょっと心許ないしなぁ……」


『????????』

『心許ない???』

『ドラゴンとキマイラが???』

『もっと強い奴いるの??』

『何を警察署に送り込むつもりなんだよ』

『そっちの情報をさらっと出すな』

『警察関係者今頃泣いてるぞ』


幸一郎はしばらく考えたあと、首を振った。


「……まあ、やめとくか。関係ない奴まで巻き込むしな」


そこまで言って、止まった。


「……関係ない?」


また考え始める。


「警察を指導する立場の政府にも責任はあるよな。で、その政治家を選んでるのは国民で……」


数秒の沈黙。


「……じゃあ、全員関係者か」


大阪支部が完全に凍りついた。


『おい』

『待て待て待て』

『その理屈はまずいw』

『責任範囲広げるな』

『全国民巻き込まれたぞ』

『俺何もしてねえぞ』

『投票権ない奴はどうなるんだよ』

『そういう問題じゃねえw』


幸一郎は腕を組んだ。


「なら、別に問題ない……」


そこまで言ったところで、眉を寄せた。


「……いや、さすがに雑すぎるか」


自分で首を振る。


「八つ当たりするほど落ちちゃいないしな」


ネット上では安堵とも困惑ともつかないコメントが流れ始めたが、その言葉を聞いても安心できない者たちがいた。


八年前、真神幸一郎を誤認逮捕した警察署。


そこでも二か月ぶりの配信は見られていた。


地下180階、ドラゴン、巨大なキマイラ、そして六甲山地下500階。そこまでは彼らも驚きながら見ることができた。


だが、


『……どっちか生け捕りにして、警察署にでも置いてくるか』


その一言から、署内の空気は変わっていた。


警察署の名前など一度も出ていない。それでも、八年前を知る者には十分だった。


『あいつらが使った力って、発言力とか信用とか、そういうやつだったな』


誰も口を開かない。


『同じようにやり返すのも面倒くさいし……まあ、こっちは武力でいいだろ』


画面の中では、巨大なドラゴンとキマイラが岩壁を砕きながら争っている。


そして、その二体ですら。


『こいつらじゃ、ちょっと心許ないしなぁ……』


「……もっと強い奴って、何だよ」


誰かが小さく呟いた。


答える者はいなかった。


ドラゴンを羽のついた蜥蜴と呼び、その鱗を暇つぶしに二百枚剥ぎ取り、鉄板として使う。世界で初めてダンジョンを完全踏破し、今は国内最深到達記録を百階以上も越えた場所にいる。


その男が、忘れていなかった。


八年前、自分に何をされたのかを。


『……いや、さすがに雑すぎるか。八つ当たりするほど落ちちゃいないしな』


その言葉で、署内の何人かが小さく息を吐いた。


だが、当時の捜査に直接関わった者たちは違った。


八つ当たりはしない。


ならば――自分たちは、八つ当たりの対象なのか。


それとも。


誰も、その先を口にしなかった。


一方、そんな地上の空気など知る由もない幸一郎は、既に別のことを考えていた。


「それより晩飯だな」


ドラゴンを見る。


次にキマイラ。


もう一度ドラゴンを見て、今度はキマイラ。


少しだけ悩んだ。


「……今日は晩飯、どっちの肉にすっかなぁ」


コメント欄が止まった。


『は?』

『…………え?』

『肉?』

『ちょっと待て』

『どっちの肉って』

『食うの!?』

『さっきまでの話どこ行ったwww』

『ドラゴンとキマイラが献立候補www』

『逃げろドラゴン』

『キマイラも逃げろ』

『お前ら縄張り争いしてる場合じゃない』

『共通の敵に気づけwwww』


幸一郎は立ち上がり、軽く首を回して肩をほぐした。その背後では、ドラゴンとキマイラが互いに血を流しながら、なおも相手を威嚇している。


端末へ近づく。


「じゃ、またそのうち」


映像が途切れた。


《配信は終了しました》


数秒間、コメント欄まで静まり返った。


そして。


『どっち食ったんだよ!!!!』


二か月ぶりとなる二回目の配信は、そこで終了した。

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