第1章 第23話 研究者たちは笑えない
同時刻。国内某所にある、ダンジョン産出素材を専門に扱う国立研究機関。
昼休みだった研究棟の一室に、慌ただしい足音が響いた。
「先生、ちょっと来てください」
「何だ。今から昼飯――」
「ドラゴンです」
足が止まった。
数分後、研究室の大型モニターにはJHA大阪支部が公開している映像が映し出されていた。画面中央には真神幸一郎。そして、その前では肉が焼かれている。
研究者たちは映像を拡大し、過去に海外で回収された竜種由来と推定される破片の資料と比較していた。表面構造、厚み、炎へ直接晒されても変形しない耐熱性。断定こそできないが、竜種の鱗である可能性は極めて高い。
問題は、その大きさだった。
「これが一枚の鱗だとすると、元の個体はどれくらいになる?」
「映像だけでは推定できません」
「概算でいい」
「……数字を出したくありません」
その間にも幸一郎は肉へ焼肉のたれを回しかけ、立ち上った煙に顔をしかめると、収納ボックスから赤金色の巨大な羽を取り出した。
フェニックス。
その可能性が指摘された直後、推定フェニックス素材は煙を逃がすためのうちわになった。
ネット上では笑いが溢れていたが、研究者たちは笑えなかった。人類がこれまで確保した竜種由来と推定される素材は、そのほとんどが小さな破片。フェニックスに至っては、存在そのものについて研究が続けられている。それを一人の男が、調理器具として使っている。
やがて煙が薄くなると、幸一郎は羽を横へ置き、焼け具合を確認しながら何気なくドラゴンの鱗へ目を落とした。
「しかし、これ……他に何か使えないかな。ブーメランにしてもいいし、盾にしても使えるし……まあ、二百枚くらいあるからな」
研究者の手が止まった。
「……二百?」
誰かが呟く。
「暇つぶしに剥ぎ取っといてよかったな」
研究室から音が消えた。
一枚でもない。数枚でもない。約二百枚。しかも、必要だったからではない。
暇つぶし。
教授が何か言おうとして、やめた。
同じ頃、JHA大阪支部でも大型モニターの前に集まった職員たちが揃って無言になっていた。
『暇つぶしに剥ぎ取っといてよかったな』
誰かが確認のため音声を戻した。もう一度、同じ声が流れる。
『暇つぶしに剥ぎ取っといてよかったな』
「……戻さなくていい」
藤堂が言った。
十分聞こえていた。
JHA東京本部でも、緊急で集められた幹部たちが同じ配信を見ていた。
「二百枚……?」
「そう聞こえました」
「竜種の鱗を?」
「はい」
「何のために?」
少し間が空いた。
「……暇つぶしだそうです」
それ以上、会話が続かなかった。
国会でも同様だった。
午前中から続いていた真神幸一郎に関する情報は、既に多くの議員の知るところとなっていた。休憩時間には議員会館のテレビや端末でもJHAの配信が映されている。
ドラゴンの鱗で焼肉。フェニックスの羽で煙を逃がす。そこまでは、まだ驚きと苦笑が混じっていた。
だが。
『まあ、二百枚くらいあるからな。暇つぶしに剥ぎ取っといてよかったな』
空気が変わった。
「……二百?」
「今、二百と言ったか?」
「暇つぶしとも……」
誰かが笑おうとした。
笑えなかった。
一週間前まで、政府は真神幸一郎が六甲山ダンジョンで何を経験したのか、そのほとんどを把握していなかった。そして今も把握できていない。
生配信によって、本人が何気なく漏らした情報だけが一つずつ増えている。
ドラゴン。フェニックス。竜種の鱗、約二百枚。
その採取理由――暇つぶし。
しかも本人は、それを重要な情報として話しているわけですらなかった。
インターネットも、一瞬だけ静かになった。
直後、爆発した。
『??????????』
『200枚????』
『今200って言った?』
『暇つぶしwwwwww』
『何して暇潰してんだよ』
『ドラゴンの鱗剥がすなwww』
『いや待て、剥ぎ取ったってことはドラゴンどうしたんだよ』
『そこなんだよ』
『生きてるドラゴンから200枚剥いだわけじゃないよな?』
『それはそれで怖すぎる』
『普通に倒したんじゃね?』
『普通とは』
『こいつにとってドラゴン何なんだよ』
まるで、その疑問へ答えるようなタイミングだった。
映像の中で幸一郎が、焼けた肉を口へ運びながら鱗を眺める。
「まあ、それでも所詮、羽のついた蜥蜴だしな」
研究機関、JHA大阪支部、JHA東京本部、国会。そして配信を見ていた無数の人間が、ほぼ同時に言葉を失った。
数秒後、ネットだけが最初に復活した。
『羽のついた蜥蜴wwwwwww』
『ドラゴンさん蜥蜴扱い』
『価値観どうなってんだよw』
『タイトル回収』
『配信正常』
『価値観異常』
『誰が上手いこと言えとwww』
『もう六甲山の八年間を全部聞かせろ』
『いや聞くの怖くなってきた』
その頃、騒ぎの原因となった本人は、そんな反応など知る由もなく白飯をもう一口頬張った。
「……ばあちゃんに、肉に合うタレもっと聞いとけばよかったな」
日本中が絶句した数秒後に出てきた言葉が、それだった。
幸一郎は残った肉を食べ終え、調理道具を片付け始めた。
ドラゴンの鱗も軽く洗って収納ボックスへ戻し、最後にフェニックスの羽を放り込む。
立ち上がり、軽く伸びをした。
「さて……行くか」
端末を手に取る。
そのまま歩き始めて、数分。
幸一郎の足が止まった。
前方を見る。
「……ん?」
僅かな沈黙。
そして端末へ手を伸ばした。
映像が消えた。
《映像信号が途絶しました》
それまで猛烈な勢いで流れていたコメント欄が、一瞬だけ止まる。
『え?』
『切れた?』
『配信終わり?』
『回線落ち?』
『おい』
『何かいた?』
『最後止まったよな』
『戦闘中は配信切るって話じゃなかった?』
JHA大阪支部でも、消えた映像を前に職員たちが動き始めていた。
ただ一人。
藤堂だけは、朝の会話を思い出していた。
――戦ってる時は切る。手の内見せるの嫌だし。
藤堂は暗くなった画面を見つめた。
「……何か出たな」
数分前まで、日本中がドラゴンの鱗で焼肉をする男を笑っていた。
その笑いは、一瞬で消えていた。




