第1章 第22話 配信正常、価値観異常
午前六時五十分。堺東ダンジョンの入口には、藤堂の姿があった。
「真神さん、これを持っていってください」
差し出されたのは、小型の映像通信端末だった。通常の通信機器とは異なる方式を使い、ダンジョン内部から映像を送るために開発された試験機らしい。
「時々で構いません。起動していただければ、こちらで生存確認ができます。それと、送られてきた映像をJHAから公開しても?」
「戦ってる時以外なら別にいいよ。手の内見せるの嫌だし」
「十分です」
操作は単純だった。電源を入れ、送信ボタンを押す。それだけ覚えた幸一郎は端末を受け取った。
午前七時。簡単な入場手続きを終え、真神幸一郎は堺東ダンジョンへ入った。
それから六時間ほどが経った頃。
「ふぁぁ……」
大きな欠伸が、薄暗い通路に響いた。
幸一郎は口元を手で覆いながら、ゆっくりと歩いていた。途中で現れる魔物を片付け、使えそうなものがあれば収納ボックスへ放り込み、また歩く。既存の攻略記録が役に立つ領域はとうに通り過ぎていたが、特に困ることもなかった。
八年間、六甲山ダンジョンで繰り返してきたことと何も変わらない。
地上がどれほどの騒ぎになっているのかなど、当然知る由もなかった。
「……腹減ったな」
時計を確認し、少し開けた場所を見つけて足を止める。周囲に魔物の気配がないことを確認すると、収納ボックスから椅子と小さなテーブル、食材、調理道具を取り出した。
そして祖父母に頼んで揃えてもらった大量の調味料。
それらを眺めた幸一郎の機嫌が、僅かに良くなる。
八年間、食事は生きるためのものだった。食べられるなら食べる。味は二の次。だが、今は違う。醤油もある。味噌もある。胡椒もある。にんにくもある。焼肉のたれまである。
最後に収納ボックスから、大きな黒い板を一枚取り出した。
六甲山ダンジョンの深層で手に入れた、ドラゴンの鱗だった。
幸一郎はそれを地面へ置き、下に火を起こした。十分に熱が入ったところで肉を載せる。
ジュウッ――。
薄暗いダンジョンに、肉の焼ける音が響いた。
「やっぱこれ、鉄板にちょうどいいな」
熱に強い。多少乱暴に扱っても壊れない。表面も比較的平らで、汚れても洗えばいい。幸一郎にとってドラゴンの鱗の評価基準は、既に希少性でも素材価値でもなかった。
肉をひっくり返したところで、朝に藤堂から渡された端末を思い出した。
「ああ、そういえば」
ジャケットから外し、近くの岩へ置く。自分の方へ適当にレンズを向け、送信ボタンを押した。
ほぼ同時刻、JHA大阪支部の監視端末に《映像信号受信》の表示が現れた。
「来た!」
朝から一度も通信がなかったこともあり、担当職員の周囲へ人が集まった。すぐに映像が開かれ、薄暗い洞窟と、その中央にいる幸一郎の姿が映し出される。
怪我をしている様子はない。疲労している様子もない。何かと戦っているわけでもない。
飯を食おうとしていた。
「……無事みたいですね」
「というか、何してるんだ?」
「昼飯……でしょうね」
ともあれ、生存確認はできた。本人から映像公開についての許可も得ている。位置情報や攻略上問題となる情報が映っていないことを確認すると、JHAは映像を公開回線へ流した。
既に真神幸一郎の堺東ダンジョン入場疑惑が全国ニュースになっていたこともあり、視聴者数は急速に増えていった。ニュース番組もJHAから提供された映像へ切り替え始める。
最初に広がったのは、安堵だった。
『本人じゃん!』
『やっぱ真神だった』
『生きてたあああ』
『普通に元気そうで草』
『六時間音沙汰なしだったから心配したぞ』
『何してんの?』
『飯www』
『世界初の完全踏破者、攻略中に焼肉』
しかし、映像を見続けていた視聴者たちは、次第に別のものへ興味を向け始めた。
『肉うまそう』
『飯テロやめろ』
『ところで何で焼いてるんだ?』
『鉄板だろ』
『いや鉄板にしては形おかしくね?』
『表面見ろ』
『なんか模様あるぞ』
『でかい鱗みたいな……』
『鱗?』
同じ疑問は大阪支部でも生まれていた。
呼ばれた素材担当の職員が画面を確認する。映像を拡大し、黒い板の表面にある独特の模様、厚み、そして直接火へ晒されながらほとんど変化していない様子を凝視した。
「……これ、鉄板じゃありません」
「じゃあ何だ?」
職員は答えず、さらに画面へ顔を近づけた。
「これ……鱗です」
「何の?」
数秒の沈黙。
「断定はできませんが、竜種のものに見えます」
周囲が静まり返った。
画面の向こうでは、その会話など知る由もない幸一郎が肉をひっくり返している。
「やっぱこれ、鉄板にちょうどいいな」
素材担当の職員が、もう一度画面を見た。
やがて公開映像にも、《JHA専門職員:使用されている板状物について、竜種素材の可能性》という注記が追加された。
コメント欄が爆発した。
『は??????』
『ドラゴン????』
『鉄板じゃねえのかよwww』
『ドラゴンの鱗で焼肉してんの!?』
『「鉄板にちょうどいいな」じゃねえよwww』
『待て、そもそも何で持ってんだよ』
『ドラゴン倒したの??』
『そこが一番重要だろ!!』
『六甲深層どうなってんだよ』
『研究者泣いてそう』
『こいつの収納ボックス何入ってんだよ』
幸一郎はそんな騒ぎなど知らず、肉へ塩と胡椒を振った。少し考え、焼肉のたれを手に取る。
大阪支部の素材担当の表情が固まった。
幸一郎は何の躊躇もなく蓋を開け、肉へ回しかける。
ジュウウウウッ――。
香ばしい煙が一気に立ち上った。
『ああああああああ』
『かけたwwwww』
『焼肉のタレwww』
『ドラゴンの鱗にwwww』
『素材担当の顔映してくれ』
『洗えばいいだろw』
『そういう問題じゃねえwww』
しばらくすると煙が幸一郎の周囲へ漂い始めた。
「……煙いな」
顔の前を手で払う。
風通しの悪いダンジョンの中で肉を焼いているのだから当然だった。
幸一郎は少し考え、収納ボックスへ手を入れた。
取り出したのは、一本の大きな羽だった。
鮮やかな赤から金へと色を変える羽毛。薄暗い空間の中でも、微かに光を帯びている。
幸一郎は根元を掴んだ。
ぱたぱた。
煙を扇ぎ始めた。
『??????』
『今度は何だ』
『羽?』
『でっか』
『めっちゃ綺麗』
『うちわ出てきたwww』
『最初から持ってきたのか?』
大阪支部では、素材担当の職員が再び画面を凝視していた。
その様子に気づいた別の職員が、嫌な予感を覚えた。
「……おい」
返事がない。
「まさか、それも何かあるのか?」
素材担当は答えず、映像を拡大させた。
赤金色の羽毛。僅かに放たれる光。炎の近くで使用されているにもかかわらず、羽毛には焦げる様子すらない。
「…………」
「何なんだ?」
ようやく、素材担当が口を開いた。
「フェニックス……だと思います」
沈黙。
「……何?」
「資料上の特徴と一致します。断定はできませんが、恐らくフェニックスの羽です」
画面の向こうでは。
ぱたぱた。
そのフェニックスの羽が、煙を逃がすため元気よく振られていた。
公開映像にも新しい注記が追加された。
《JHA専門職員:使用されている羽について、フェニックス由来素材の可能性》
二度目の阿鼻叫喚が始まった。
『は????????』
『フェニックスwwwww』
『待て待て待て待て』
『それうちわじゃねえの!?』
『ドラゴンの鱗で肉焼いてフェニックスの羽で煙逃がしてるwww』
『素材の使い方がおかしい』
『希少素材に対する価値観どうなってんだよ』
『研究者を殺す気かwww』
『六甲山って魔境だったんだな……』
『ドラゴンとフェニックスが飯盒炊爨セットになってる』
『こいつの収納ボックス絶対まだ何かあるだろ』
『もう攻略より収納ボックスの中身見せてくれ』
『次は何出すんだよwww』
幸一郎は何度か羽を振り、煙が薄くなったところで満足そうに頷いた。
「これ便利だな」
大阪支部の素材担当が、静かに両手で顔を覆った。
フェニックスの羽をテーブルの横へ置き、幸一郎は焼けた肉を白飯の上へ載せる。
一口。
「……うま」
全国へ、その一言が流れた。
ドラゴンの鱗は鉄板。
フェニックスの羽はうちわ。
世界初の完全踏破者が二つ目の未踏破ダンジョンへ挑んでいるという緊迫した生配信は、いつの間にか別の意味で目を離せないものへと変わっていた。
そしてネット上では、当初の《真神幸一郎、堺東ダンジョンを攻略中か》という話題を押し流す勢いで、新たな言葉が拡散されていた。
《ドラゴンの鱗で焼肉》
《フェニックスの羽で煙を扇ぐ》
そして、その二つ以上に増え続けていたのが――。
『次は何が出てくるんだ』




