第1章 第21話 始動2
午前九時。前日に中断された会議が再開されて間もなく、JHA大阪支部の会議室は紛糾していた。
発端は、藤堂から告げられた一言だった。
「すでに二時間が経過しています」
最初、その意味を理解できた者はいなかった。何から二時間なのか。説明を求める声が上がり、続いていくつかの事実が示された。
午前七時、堺東ダンジョン。一名のハンターが単独で入場。申告された目的は通常探索でも素材採取でもなく、攻略。
前日、会議中に飛び込んできた職員。耳打ちされた瞬間に変わった藤堂の表情。突然中断された会議。その後、慌ただしく動き始めた大阪支部。そこまで揃えば、答えへ辿り着くのは難しくなかった。
やがて、誰かが一人の名前を口にした。
「……真神幸一郎?」
JHAは肯定しなかった。同時に、否定もしなかった。
そこから会議は一気に荒れた。なぜ止めなかったのか。なぜ行政へ連絡しなかったのか。なぜ事前に協議させなかったのか。世界で唯一の完全踏破者を、なぜ単独で未踏破ダンジョンへ入れたのか。
対するJHAの回答は一貫していた。入場資格に問題はない。堺東ダンジョンに特別な入場制限はない。行政との事前協議を義務づける制度もない。ハンターがどのような編成でダンジョンへ入るかは、規則に抵触しない限り本人の自由である。
昨日まで議論されていた「今後は事前に国と協議させるべきだ」という話も、まだ何一つ制度になっていない。そして何より、もう二時間前のことだった。
止めるも何も、当人と思われる人物は既にダンジョンの中にいる。連絡は取れない。呼び戻すこともできない。いつ出てくるのかも分からない。
「少なくとも、本部や関係省庁への事前連絡はできたはずでしょう!」
「本人から許可を得ていない情報を、どこまで共有するべきかという問題があります」
「国家的な問題ですよ!」
「現行制度上、一人のハンターの入場です」
「普通のハンターではないでしょう!」
その言葉を境に、議論は再び堂々巡りになった。
大阪支部だけでは収まらなかった。情報はJHA東京本部へ上げられ、そこでも判断を巡って意見が割れた。なぜ事前に報告しなかったのか。大阪だけで判断する案件ではない。少なくとも本部と協議すべきだった。場合によっては入場を延期させるべきだったのではないか。
大阪支部の説明は変わらなかった。本人からあったのは許可申請ではなく、入場するという事前連絡だった。資格上も規則上も問題はなく、止める権限も根拠もない。
そして大阪支部が最も重く見ていたのは、別の部分だった。
八年前、誰にも話を聞いてもらえなかった男。その男が地上へ戻ってまだ一週間しか経っていない。今のところ、自ら連絡を入れてくる相手はJHAだけだった。
そこで組織側の都合を持ち出し、「待て」「許可を取れ」「勝手に動くな」と要求する。その結果、唯一残っている連絡経路まで閉ざされたらどうするのか。
この指摘には、東京本部も簡単には答えを出せなかった。
同じ頃、情報は行政にも届き、さらに国会関係者へも伝わっていた。ちょうど国会では、六甲山ダンジョン完全踏破と政府の対応について質疑が行われていた。
帰還から一週間。政府は真神幸一郎本人から直接事情を聞けているのか。八年間のダンジョン内部についてどこまで把握しているのか。完全踏破によって何が起きたのか。今後、政府としてどのように対応するのか。
答弁が続く最中、関係者の間を一枚のメモが回り始めた。
――堺東。午前七時。単独。攻略。
まだ確認中の情報だった。それでも、その四つの単語だけで十分だった。答弁は急速に慎重になり、「確認中」という言葉が増えた。当然、質問する側も異変に気づく。
何か新しい情報が入ったのではないか。真神幸一郎に関するものではないか。六甲山とは別のダンジョンで何か起きているのではないか。
誰も正式には答えなかった。
だが、この時点で情報を知る人間は既に多すぎた。JHA大阪支部、東京本部、行政、国会関係者、堺東ダンジョンの現地職員。そして、それぞれに付随する補佐役や事務方。
情報が表へ漏れ始めたのは、昼前だった。
最初は曖昧だった。
《堺東ダンジョン周辺でJHAに通常とは異なる動きか》
一部のネットメディアが短い記事を出した。現地で普段より多くの職員が動いている。大阪支部が堺東ダンジョンの情報を集めているらしい。何らかの高位ハンターが入場したとの未確認情報がある。
それだけなら、大きな話題にはならなかった。
だが、しばらくして別の情報が漏れた。
午前七時。一名。単独入場。そして、目的は攻略。
ここから記者たちの動きが変わった。前日のJHA大阪支部の動き。六甲山完全踏破から一週間という時期。単独での攻略。その情報を繋げれば、当然、一人の人物へ辿り着く。
真神幸一郎。
昼を過ぎる頃にはJHAへの問い合わせが殺到し、午後一時過ぎにはテレビでも速報が流れた。
《速報 真神幸一郎氏、堺東ダンジョンに入場か》
まだ断定ではなかった。複数の関係者への取材によれば、午前七時頃、一名のハンターが堺東ダンジョンへ単独で入場。目的は攻略。JHAは入場者について回答していない。その人物が、一週間前に六甲山ダンジョンを完全踏破した真神幸一郎ではないか――という内容だった。
別の局も追随する。
《六甲山完全踏破から一週間 次は堺東か》
《暫定EXが再び動いた?》
《真神氏、二つ目の未踏破ダンジョンへ》
《JHA、入場者について回答せず》
現地にも報道陣が集まり始めた。
そしてインターネットでは、テレビ以上の速度で話が広がっていった。
『え、もう次行ったの?』
『帰還してまだ一週間だろ』
『堺東って未踏破だよな?』
『単独ってマジ?』
『JHAが否定してない時点でほぼ答えじゃん』
『いや普通に別人の可能性あるだろ』
『このタイミングで単独攻略する高位ハンターが別人って方が無理ある』
『ていうか真神だったとして、誰か止めないの?』
『なんで止めるんだよ。ハンターがダンジョン入っただけだろ』
『世界唯一の完全踏破者だぞ』
『だから何だよ。私人なんだろ?』
『国が保護するべきじゃね?』
『本人が保護してくれって言ったの?』
『またこの話かよ』
『六甲で八年だぞ。今回も帰ってこなかったらどうすんだ』
『でも今の真神って六甲踏破した後だろ』
『それでもダンジョンはダンジョンだろ』
『今何時間?』
『朝7時なら、もう6時間超えてる』
六時間。
その数字が切り取られ、拡散されていった。やがてニュース番組の画面にも、《午前7時入場との情報 現在6時間以上》という表示が現れ始める。
大阪支部で会議が紛糾し、東京本部が対応に追われ、行政が情報を確認し、国会で質問が飛び、マスコミが堺東へ集まり、インターネットが騒ぎ始める。
その間も、時間だけは進み続けていた。
誰が入ったのか。どこまで進んでいるのか。いつ戻るのか。
地上にいる誰にも分からない。
そして騒ぎの中心にいる人物だけは、地上でこれほどの騒動になっていることを何一つ知らなかった。




