第1章 第17話 拒絶
朝食が終わってしばらくした頃、テーブルの上に置かれていたスマートフォンが鳴った。
幸一郎がそちらを見る。画面には、昨日登録されたばかりの名前が表示されていた。
「……藤堂?」
祖母が台所から顔を出した。
「幸ちゃんの電話ちゃう?」
「ああ」
幸一郎はスマートフォンを手に取り、昨日教えられた通りに画面を操作した。
「もしもし」
『おはようございます。JHA大阪支部の藤堂です』
「おはよう」
『今、お時間よろしいでしょうか』
幸一郎は食後のお茶を一口飲んだ。
「大丈夫」
藤堂は最初に、警察庁から正式な面会要請が届いていることを伝えた。
『先日も一度お伺いしましたが、改めて真神さんのご意思を確認しておきたいと思いまして』
「会わない」
返事は早かった。
『承知しました』
それだけだった。
幸一郎は少し待った。
「……それだけ?」
『はい』
「理由とか聞かないのか?」
『お話しいただけるのであれば伺います。ただ、面会するかどうかを決めるのは真神さんですので』
幸一郎は湯呑みを置いた。
少しの間、黙った。
「……俺が何を言っても、人の話を聞かなかった連中だからな」
電話の向こうで、藤堂が黙った。
「やってないって何度言っても聞かなかった」
声に怒気はなかった。
「お前が弱いから、お前の主張は届かないって言われたこともある」
藤堂は何も挟まなかった。
「それが今になって、自分たちには話があるから会ってくれって言われてもな」
幸一郎はテレビへ目を向けた。
「人の話を聞かなかった連中が、今になって自分たちの話は聞けって」
僅かな間があった。
「……虫が良すぎるだろ」
『……分かりました』
「だから会わない」
『そのようにお伝えします』
「ああ」
『今後も同様の要請があった場合、真神さんから意思の変更についてご連絡いただくまでは、JHA側でお断りしてよろしいでしょうか』
幸一郎が少しだけ眉を上げた。
「毎回聞いてこないのか?」
『必要ありませんので』
「……そうか」
『真神さんが会いたくなった時だけ、ご連絡ください』
「分かった」
続いて藤堂は、報道各社から取材依頼が殺到していることを伝えた。
「それも受けない」
『承知しました。そちらもJHAで一括してお断りします』
「ああ」
短い沈黙のあと、幸一郎が言った。
「……助かる」
『それが我々の仕事です』
話はそこで終わるかと思われた。
『それから、差し支えなければ今後の予定について伺ってもよろしいでしょうか』
「予定?」
『今後もハンターとして活動されるのか、それとも当面休養されるのか。その程度で構いません』
「まだ考えてないな」
『分かりました』
「ああ」
『では、失礼します』
「藤堂さん」
『はい』
「一つ聞いていいか」
『もちろんです』
「今、ダンジョンっていくつある?」
電話の向こうが、一瞬静かになった。
『……国内、でしょうか』
「とりあえず国内」
藤堂は現在稼働しているダンジョンの数を伝えた。
「結構増えたな」
『八年前と比べれば、かなり増えています』
「場所とか攻略状況は見られる?」
『JHAのハンター向けサイトで公開しています。昨日お渡ししたスマートフォンから閲覧できます』
「分かった。見てみる」
通話が終わった。
幸一郎はそのままスマートフォンを操作し、JHAのサイトを開いた。
画面に並ぶダンジョンの一覧を、上からゆっくりと眺めていった。
同じ日の午前。
警察庁には、JHAから正式な回答が届いていた。
面会意思なし。
前回と変わらない回答だった。
だが今回は、本人が拒否した理由についても、本人の発言として伝えられていた。
担当者が読み上げる。
「『自分が何を言っても、警察は話を聞かなかった』」
室内にいた者たちは黙っていた。
「『やっていないと何度言っても聞かなかった。弱いから主張が届かないと言われたこともある』」
そこで、一人の職員が僅かに顔を上げた。
「……その発言、確認は取れているのか」
「当時の取調記録には残っていません」
「担当者への聴取は?」
「現在進めています」
資料が一枚めくられた。
「続けます」
誰も止めなかった。
「『人の話を聞かなかった連中が、今になって自分たちの話は聞けと言っても、虫が良すぎる』」
最後に、
「『だから会わない』」
読み上げが終わった。
しばらく誰も口を開かなかった。
前回の協議でJHAから聞かされた話が、嫌でも思い出された。
冤罪だったことを知らされた直後。
真神幸一郎は怒鳴らなかった。
暴れもしなかった。
ただ、応接室の温度が十数秒で十六度近く低下した。
原因は、現在も不明。
そして今度は、本人の言葉が初めて届いた。
「……相当、恨んでいると考えるべきでしょうか」
若い職員が尋ねた。
誰もすぐには答えなかった。
やがて責任者が首を横に振った。
「分からん」
「ですが――」
「本人は『恨んでいる』とは一言も言っていない」
「では、この発言は?」
「そのまま受け取るしかない。警察とは話したくない。それだけだ」
別の職員が口を開いた。
「謝罪文を送るという方法もあります」
「本人の住所が分からない」
「JHAに転送を依頼すれば」
「本人が受け取りを希望するか確認してからだ」
そこで会話が止まった。
以前なら、まず送り、受け取らせる方法を考えていたかもしれない。
だが今は違った。
「……電話番号は?」
「JHAは提供しない方針です」
「法的に開示を求めることは」
法務担当者が首を横に振った。
「現状では難しいでしょう。犯罪捜査ではありません。本人は成人で、行方不明者届についても生存確認が取れている。本人が所在を明らかにしたくないというだけです」
「世界初の完全踏破者でも?」
「それは警察が私人の居場所を追跡する理由にはなりません」
また沈黙が落ちた。
誰かが机の上の資料を見る。
八年前。
十七歳の少年は、自分の話を聞いてほしいと訴えていた。
警察には、その声を聞くための時間があった。
だが、聞かなかった。
八年後。
警察は今、その少年だった男に、自分たちの話を聞いてほしいと願っている。
しかし今度は、話を聞くかどうかを決める側が逆になっていた。
「……当面、接触要請は停止する」
責任者が言った。
「よろしいんですか」
「これ以上繰り返せば、謝罪ではなく我々の都合を押しつけているだけになる」
誰も反論しなかった。
「本人から意思表示があるまで待つ。それまではJHAを通じた連絡も必要最小限にする」
「分かりました」
会議はそれで終わった。
ただ、一人だけ席を立たず、資料を見ている職員がいた。
視線の先には、JHAから報告された一文がある。
――お前が弱いから、お前の主張は届かない。
八年前、誰がその言葉を口にしたのか。
まだ確認は取れていない。
だが、その職員には別のことの方が気になっていた。
八年前、その言葉を浴びせられた少年は弱かった。
今は――どうなのか。
その答えを、警察はまだ知らなかった。




