第1章 第14話 接触要請
JHAがプレスリリースを公開してから、一時間も経たないうちに、日本ハンター協会本部へ警察庁から連絡が入った。
内容は予想されていたものだった。
真神幸一郎との面会について。
翌朝、両者の担当者による協議が行われた。
警察庁から訪れたのは、八年前の事件を直接担当した者ではない。行方不明者としての扱いと、当時の捜査に関する事後対応を担当する数名だった。
JHA側も担当部署の責任者と法務担当者が席についた。
形式的な挨拶が終わると、警察側が先に口を開いた。
「まず確認させてください。真神幸一郎氏本人との接触があったという発表に間違いはありませんね」
「ありません。本人確認も完了しています」
「現在の所在については?」
「お答えできません」
予想されていた回答だったのか、警察側も表情を変えなかった。
「我々としては、可能な限り早い段階で本人と面会したいと考えています」
「その件については、既に本人へ確認しています」
警察側の視線が集まった。
「真神氏は、警察との面会を希望していません」
短い沈黙が落ちた。
「理由は?」
「伺っていません」
「伺っていない?」
「本人が『会わない』と明確に意思表示しましたので、それ以上確認する必要はないと判断しました」
警察側の一人が資料へ視線を落とした。
「しかし、真神氏は八年間にわたり行方不明者として扱われています。生存が確認された以上、こちらとしても必要な手続きがあります」
「必要な行政手続きについては協力します。ただし、それと本人との面会は別の問題です」
JHA側の法務担当者が答えた。
「当時の事件についても、警察として本人へ直接説明すべき事項があります」
「それについて、一点お伝えしておくべきことがあります」
JHA側の責任者が口を挟んだ。
警察側が顔を上げる。
「真神氏は、冤罪が確定していたことを知りませんでした」
誰も、すぐには言葉を返さなかった。
「……知らなかった?」
「はい。六甲山ダンジョンへ入場した時点では、当然まだ確定していません。その後、一度も地上へ戻っていない。先日、我々から説明を受けて初めて知りました」
「反応は?」
JHA側の責任者は、手元の報告書を開いた。
「藤堂大阪支部長からの報告では、最初に『冤罪?』と聞き返したそうです」
ページを一枚めくる。
「その後、確定した時期を確認し、しばらく黙っていた。それだけです」
警察側の一人が小さく息を吐いた。
「では、特に感情的になるようなことは――」
「ありました」
言葉を遮るように、JHA側の責任者が続けた。
「正確には、感情を表に出したわけではありません。ただ、その直後に異常が起きています」
「異常?」
「室温です」
警察側の何人かが顔を上げた。
「当時、応接室の室温は二十四・三度でした。冤罪確定の事実を伝えた直後から急激に低下し、約十秒後には八・一度まで下がっています」
「……十秒?」
「はい」
警察側の責任者が資料から顔を上げた。
「十六度も?」
「空調設備の記録と、室内センサーのログが残っています」
「空調の故障では」
「確認済みです。正常でした」
「窓が開いていたとか」
「閉鎖されています」
「外気温は?」
「二十七度前後です」
そこで、警察側から質問が途切れた。
JHA側の責任者は報告書をもう一枚めくった。
「室温低下と同時に、窓ガラス全面に結露が発生しています。テーブル上に置かれていた飲料の容器にも同様の現象が確認されました」
「……待ってください」
警察側の一人が口を挟んだ。
「それを、真神氏が?」
「分かりません」
「魔法を使った形跡は?」
「藤堂支部長を含め、同席者は誰も術式の発動を確認していません」
「本人は何と?」
「何も」
「何も?」
「室温が低下していることについて、真神氏自身は一言も触れていません」
警察側の責任者の表情が変わった。
「……本人は、その時どういう様子だったんです」
JHA側の責任者が報告書へ目を落とした。
「座っていました」
「それだけですか?」
「はい」
「怒鳴ったり、机を叩いたりは?」
「ありません」
「表情は?」
「藤堂支部長によれば、ほとんど変わっていなかったそうです」
誰かが椅子に座り直す音がした。
「では……」
警察側の一人が慎重に言葉を選んだ。
「本人が意図的に何かをしたというより……感情に反応して、何らかの現象が発生した可能性がある、と?」
「我々はそこまで断定していません」
「しかし、否定もできない?」
「できません」
部屋が静かになった。
警察側の一人が、手元の資料に目を落とす。
そこには八年前の事件概要が記載されていた。
十七歳。
痴漢容疑。
本人は一貫して否認。
取調べ。
保護観察。
退学。
行方不明。
半年後、冤罪確定。
そして八年後、世界初のダンジョン完全踏破者として生還。
「……その状態で、我々との面会を拒否しているわけですね」
「はい」
「我々が会いたがっていることも伝えた?」
「伝えています」
「その上で?」
「『会わない』と」
警察側の責任者は黙り込んだ。
先ほどまで話題になっていた面会手続きが、急に別の意味を持ち始めていた。
世界で初めてダンジョンを完全踏破した人間が、自分たちに対して何を思っているのか。
分からない。
能力も分からない。
現在地すら分からない。
そして、冤罪だったと知らされた瞬間、本人が何一つ動かないまま、部屋だけが十六度冷えた。
「……我々としては、謝罪の意思があります」
しばらくして、警察側の責任者が言った。
先ほどより、その声は慎重になっていた。
「それは真神氏へお伝えしておきます」
「取り次いでいただくことは?」
「本人が希望すれば」
「こちらから連絡する手段は?」
「お渡しできません」
「現在地についても?」
「同様です」
警察側の担当者が小さく息を吐いた。
「JHAが真神氏を囲い込んでいる、と受け取られる可能性がありますが」
「囲い込んではいません」
JHA側の責任者の声は変わらなかった。
「真神氏は自由に行動されています。我々も現在地を把握していません」
「……把握していない?」
今度の問いには、先ほどとは違う響きがあった。
「本人から滞在先を聞いていませんので」
警察側の数人が顔を見合わせた。
「世界初のダンジョン完全踏破者ですよ」
「承知しています」
「その人物の現在地を、JHAが把握していないと?」
「はい」
沈黙が落ちた。
先ほどまでなら、それはJHAの管理体制を問うための材料だった。
今は違った。
「では、どうやって連絡を?」
「本人へ連絡可能な端末を一台貸与しています」
「その番号を――」
警察側の責任者はそこまで言って、一瞬止まった。
「……いや。本人の同意は?」
「ありません」
「では、結構です」
JHA側の責任者が僅かに目を上げた。
警察側から初めて、要求が引っ込んだ。
「我々から面会を希望しているということだけ、改めて本人へ伝えていただけますか」
「それは可能です」
「お願いします」
「ただし、返答を強要することはできません」
「承知しています」
協議が終わろうとしたところで、警察側の一人が尋ねた。
「最後に一つだけ」
「何でしょう」
「真神氏は……我々について、他に何か言っていましたか」
JHA側の責任者は少し考えた。
「特には」
「何も?」
「警察との面会を希望するか確認した際に、『会わない』と。それだけです」
怒鳴ったわけではない。
恨み言を並べたわけでもない。
謝罪を要求したわけでもない。
ただ、冤罪だったと知った瞬間、部屋が冷えた。
そして警察には、会わないと言った。
八年前、警察は真神幸一郎の言葉を聞かなかった。
八年後。
今度は、真神幸一郎の方が警察の言葉を聞く必要を感じていなかった。




