最終章 第133話 変わり続け、それでもまた道半ば
最終章 第132話 聞く国
三年前なら、同じ顔ぶれが同じ部屋に集まっていても、会議の始まり方はまったく違っていただろう。
霞が関の会議室には、未生物対策省の官僚、JHAの幹部、与野党から選ばれた議員、そして数名の現役ハンターが集められていた。議題は、日本人ハンターの深層攻略支援について。世界では真神幸一郎を除く攻略隊の最深到達記録が407Fへ達し、400Fという数字はもはや伝説ではなく、現実に人間が立つ場所になり始めている。
日本人ハンターの中にも、そこへ近づく者たちがいた。
机の上には分厚い資料が並んでいる。装備開発への助成、海外攻略隊との連携、保険制度、負傷時の補償、家族支援、素材の国内研究機関への提供制度。かつてなら、その資料の中には先に「国としてどう動かすか」という答えが書かれていただろう。
だが、担当官僚は資料を開かなかった。
「では、政府案の説明に入る前に確認します」
向かい側に座るハンターたちが顔を上げる。
「皆さんは、どうしたいですか」
しばらく誰も答えなかった。
一人のハンターが隣を見る。別の一人も、困惑したように官僚を見返した。
「……どうしたい、ですか?」
「はい」
「国として、こうしてほしいという話じゃないんですか?」
「それを決めるために、先に聞いています」
官僚は淡々と答えた。
「皆さんが何を望んでいるのかも知らずに制度を作れば、使う側にとって邪魔な制度が出来上がりますので」
会議室の隅で、JHAの幹部がわずかに苦笑した。
三年前なら、その言葉を自分たちが口にできただろうか。
おそらく、できなかった。
当時のJHAが何も考えていなかったわけではない。ハンターを守る制度もあった。補償もあった。攻略を支援する仕組みもあった。職員の多くは、自分たちなりに真面目に仕事をしていた。
ただ、順番を間違えることがあった。
制度がある。
規則がある。
組織として必要な判断がある。
だから、まず処理する。
本人の話を聞くのは、その後だった。
一つ一つの判断には理由があっても、それが積み重なった先で何が起きるのかを、日本は一人の男を通して思い知らされた。
ハンターの一人が、おそるおそる口を開いた。
「俺は……海外の混成チームから誘われています」
官僚が頷く。
「条件は?」
「向こうの方がいいです。装備だけじゃなくて、今の俺の構成と相性のいいメンバーがいる。正直、日本人だけで組むより、そっちへ行きたいです」
「分かりました」
あまりにも簡単な返事だった。
ハンターの方が拍子抜けした。
「……いいんですか?」
「何がでしょう」
「いや、日本のハンターなのに、海外のチームに入るって」
「あなたの所属先を決めるための会議ではありません」
担当官僚は資料へ何かを書き込んだ。
「海外チームへ参加する場合に、国内の保険制度をどこまで適用できるか確認します。長期滞在になるなら、ご家族への支援制度も調整が必要でしょう」
「そこまでしてくれるんですか?」
「日本国民ですから」
そこで一度言葉を切る。
「日本国民だから日本のために潜れ、ではありません。日本国民だから、海外で活動する場合にも必要な支援を考えるという意味です」
別のハンターが手を挙げた。
「自分は国内に残りたいです」
「理由を聞いても?」
「若い連中を育てたい。俺が400Fを目指すより、200F、300Fを安定して攻略できる奴を増やした方がいいと思ってます」
「なるほど」
JHA側から質問が飛ぶ。
「訓練施設について要望はありますか?」
「あります。今の施設だと300F以降を想定した連携訓練がやりにくいです。それと――」
そこから具体的な話が始まった。
誰をどこへ送るかではない。
何をしたいのか。
そのために何が足りないのか。
国と組織に何ができるのか。
三年前まで存在しなかった制度ではない。ただ、同じ制度でも使い方が変わっていた。
やがて、まだ発言していなかった一人に視線が集まった。
「あなたは?」
「……俺は、まだ深層には行きません」
少し緊張した声だった。
「現在の到達階層は?」
「362Fです」
十分に上位だった。装備と編成次第では、さらに先を期待されている一人でもある。
「理由を聞いても構いませんか?」
「怖いからです」
会議室が静かになった。
本人も居心地が悪そうに続ける。
「この前、365Fで仲間が死にかけました。助かりましたけど……俺はまだ、次へ行ける状態じゃないです」
以前なら。
誰かが励ましたかもしれない。
君ほどの実力者が、と。
世界は400Fを越えている、と。
日本も遅れるわけにはいかない、と。
だが、JHAの幹部は資料に目を落としただけだった。
「分かりました」
ハンターが顔を上げる。
「……それだけですか?」
「現在の階層を維持するために必要な支援はありますか?」
「行けって言わないんですか?」
JHA幹部は少しだけ眉を上げた。
「行きたくない人間を362Fより深く送って、何の利益があるんです?」
「でも、世界は407Fまで――」
「それは別の攻略隊の記録です」
あっさりした答えだった。
「あなたの記録ではありません」
ハンターはしばらく黙ったあと、椅子の背へ身体を預けた。
「……じゃあ、少し休みたいです」
「期間は?」
「分かりません」
「では、決まったら教えてください」
それで終わった。
会議を見守っていた議員の一人が、資料をめくりながら口を開いた。
「しかし、国としての成果も必要でしょう」
空気が少し変わった。
「世界各国が400F以降を見据えている。日本人だけで構成した攻略隊を国が支援し、象徴的な成果を――」
「何のためです?」
別の議員が遮った。
年配の男だった。
「日本の存在感を示すためです。ダンジョン資源を巡る国際競争も――」
「だから、何のために日本人だけで組ませるんです?」
「それは……」
「日本人だけで組めば生存率が上がるという資料があるなら見せてください。素材の回収効率が上がる、装備適性が改善する、連携効率が高くなる。何でも構いません」
資料をめくる音だけがした。
「ないなら、国籍を攻略条件に混ぜる必要はないでしょう」
「しかし国民感情というものもあります」
「鐘が鳴ったら国旗でも出るんですか?」
何人かが顔を伏せた。
ハンターの一人が吹き出しそうになり、慌てて咳払いする。
発言した議員も怒りはしなかった。しばらく考えてから、資料を閉じる。
「……そうですね。今のは撤回します」
そのやり取りを、JHAの若い職員が会議室の端から見ていた。
彼がJHAへ入ったのは二年前だった。
入職時の研修で、何度も教えられたことがある。
会議後、廊下へ出たところで上司に呼び止められた。
「さっきの海外チームへ行く彼の件、過去の活動履歴から希望条件をまとめておいて」
「分かりました。おそらく長期契約を希望すると思いますので――」
「本人に聞いたか?」
若い職員が止まる。
「……いえ。ただ、過去の傾向から」
「なら、先に聞け」
「ですが、ある程度こちらで――」
「聞いてから考えろ」
上司はそれだけ言った。
「推測で本人の意思を作るな」
「……はい」
若い職員は端末を開き、先ほどのハンターへ連絡を入れた。
それが特別なことだとは思っていなかった。
彼が入職した時には、もうそういう組織だった。
かつて大阪支部で何が起きたのか。真神幸一郎という一人のハンターを巡って、JHAがどれほど大きな失敗をしたのか。それは研修資料にも残っている。
だが、毎日の業務でいちいち真神幸一郎の名前を出す者はいない。
教訓というものは、いつまでも唱え続けるためにあるのではない。
いつか、それを唱えなくても同じ間違いをしなくなるためにある。
会議室では、午後の協議が続いていた。
政府が支援する深層攻略制度について、いくつかの方向性が固まり始めていた。
海外攻略隊へ参加する者には、国内での資格や保険を維持できる仕組みを作る。本人が希望する場合には家族支援も行う。国内に残る者には訓練施設と研究機関との連携を拡充する。攻略を休む者についても、復帰を前提としない休養制度を整える。
その代わり、攻略データや回収素材については、本人や所属チームと契約を結んだうえで国内研究へ還元できる仕組みを作る。
強制はしない。
だが、国益を捨てたわけでもない。
日本から出ていくなと命じるのではなく。
出ていった者が、日本との関係を切る必要のない制度を作る。
縛りつけるのではなく、戻りたいと思った時に戻れる場所を残す。
三年前。
日本は一人のハンターをどう扱うべきなのかで揺れていた。
日本人なのだから。
日本で生まれたのだから。
日本のダンジョンで力を得たのだから。
そんな言葉が、何度も使われた。
その結果。
真神幸一郎はWHAを選んだ。
今でも、彼の所属は変わっていない。
WHA所属、Ex12。
十二のダンジョンを完全攻略した、世界で唯一の完全攻略者。
けれど、今の会議資料には。
『真神幸一郎を日本へ戻す方法』
そんな項目は、もうどこにもなかった。
取り戻すべきものを、日本はようやく間違えなくなっていた。
取り戻すべきだったのは、一人の男ではない。
一人を失わなければ気づけなかった、自分たちの仕組みの方だった。
会議室では、再びハンターが話している。
官僚が聞く。
JHAが必要な支援を書き留める。
政治家が予算と制度について質問する。
意見が割れることもある。
国益と個人の希望が衝突することもある。
すべてが綺麗に解決するわけではない。
それでも。
最初に聞くようになった。
「あなたは、どうしたいですか」
たったそれだけのことを。
日本はずいぶん遠回りをして、ようやく覚えた。
真神幸一郎は戻ってこない。
戻ってくる必要もない。
そして日本もまた。
一人のハンターがいなくても、自分たちの足で次へ進もうとしていた。




