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最終章 第119話 WHA会長は過去を掘り返して愉しむ

700Fという数字が世界を駆け巡ってから数日。


騒ぎはいまだ収まっていなかったが、その余波は少し意外なところにも届いていた。


JHA本部。


会議室の大型モニターには、一人のハンターに関する最新情報が表示されていた。


真神幸一郎。所属――WHA。完全攻略数――12。確認済最大完全攻略深度――700F。


「……改めて並べると酷いな」


「感想は後にしてくれ。問題はこっちだ」


担当者が別の資料を表示する。


それは、JHAが定めたハンターランク規定だった。


通常のランクとは別に、ダンジョンを完全攻略した者に与えられる特別区分――Ex。


幸一郎が六甲山ダンジョンから帰還した当初、既存の基準では評価不能だった彼に暫定的に与えられたものだったが、その後、完全攻略数を数字として付記する形に整理されている。


「完全攻略数が12ですから……規定通りなら、Ex12ですね」


会議室が静かになった。


「……エクス・トゥエルブ?」


「はい」


「まだその規定、生きてたのか」


「廃止する理由がありませんでしたので」


「使う相手が一人しかいないだろう」


「それは規定の問題ではありません」


正論だった。


別の職員が資料を眺めながら尋ねる。


「上限は?」


「ありません」


「13個目を完全攻略したら?」


「Ex13です」


「20個なら?」


「Ex20です」


「……これを作った人間、こんな使われ方を想定してたのか?」


誰も答えなかった。


少なくとも、完全攻略数が二桁になる未来を現実的な問題として想定していた者は、ほとんどいなかったはずだった。


「本人は知っているのか?」


「おそらく知りません」


「だろうな……」


結局、JHA内部における真神幸一郎のランク表記は、規定通りEx12へと更新された。


それだけなら、JHA内部だけで終わる話だった。


数日後。


WHA本部。


定例報告を終えた幸一郎は、渡された資料を適当に眺めながら席を立とうとしていた。


「じゃあ、今日はこれで終わり?」


「もう一件あります」


レイチェルが答えた。


「まだあんの?」


「すぐに終わります」


「ならいいけど」


再び椅子に腰を下ろした幸一郎の前で、レイチェルが別の資料を開く。


「真神さん。今後、一部の公式資料におけるあなたのランク表記を変更します」


「ランク?」


「はい」


レイチェルは、ごく僅かに口元を緩めた。


「Ex12です」


「…………」


幸一郎が止まった。


「何それ」


「エクス・トゥエルブです」


「読み方を聞いたんじゃない」


傍らに立っていたセルマが、僅かに視線を逸らした。


レイチェルは何事もなかったように続ける。


「JHAが定めている完全攻略者用のランク規定です。完全攻略数に応じて数字が付記されます。あなたは現在12か所を完全攻略していますので、Ex12となります」


「まだあったの、その制度」


「あります」


「俺、WHAなんだけど」


「ええ」


「JHAのランクだろ?」


「非常に分かりやすいため、WHAでも対外表記として採用することにしました」


「勝手に採用するなよ」


「既存のランク体系との互換性もあります」


「俺以外にExっているの?」


「現時点ではいません」


「互換する相手いないじゃん」


レイチェルは答えなかった。


幸一郎が目を細める。


「……レイチェルさん」


「何でしょう」


「楽しんでない?」


「まさか」


「今ちょっと笑ってたよな」


「気のせいです」


幸一郎はセルマを見る。


「セルマ」


「笑っていました」


「セルマ?」


今度はレイチェルが彼女を見る。


「事実ですので」


「ほら」


レイチェルは眼鏡の位置を直した。


「では、Ex12。次の議題ですが」


「呼ぶな」


「次回の攻略予定についてです」


「もう終わるって言っただろ」


「ランク表記についての話は終わりました」


「そういうところだぞ……」


数日後。


WHAが公開している真神幸一郎の公式プロフィールが、ひっそりと更新された。


真神幸一郎。所属――WHA。ランク――Ex12。完全攻略数――12。


もちろん、ひっそりと終わるはずもなかった。


《Ex12って何》

《なんか真神のランク増えてる》

《エクストゥエルブ》

《急にラスボス感出すな》

《数字は何?》

《完全攻略数》

《あっ》

《つまり12個完全攻略したからEx12?》

《そう》

《13個目クリアしたら?》

《Ex13》

《増えるの!?》

《レベルじゃねえんだぞ》

《誰がこんな制度作ったんだ》

《JHA》

《でも真神WHAだろ》

《WHAが採用した》

《なんでw》

《便利だかららしい》

《世界で一人しかいないランクの何が便利なんだよ》

《会長絶対遊んでるだろ》

《本人これ知ってんのかな》

《知らなかったに一票》

《嫌がってるに一票》


幸一郎は自宅のソファで、その話題を眺めながら眉をひそめていた。


「……Exでよくない?」


隣で端末を確認していたセルマが答える。


「12個攻略していますので」


「別に数字つけなくてもいいだろ」


「規定です」


「じゃあ、次から攻略しなきゃ増えない?」


「そうなりますね」


幸一郎は少し考えた。


「……次行くのやめようかな」


「それでも構いませんよ」


即答だった。


幸一郎がセルマを見る。


「止めないの?」


「止める理由がありません」


「WHAとしては困らない?」


「困りません」


今度も即答だった。


「……ほんとに?」


「はい。幸一郎さんがWHAへ移籍してから提供した攻略情報、深層素材、装備、研究資料。それに12か所の完全攻略によって得られた利益まで含めれば、十分すぎます」


セルマは端末を置いた。


「むしろ、こちらが困っているくらいです」


「なんで?」


「返せるものがありません」


「…………」


「報酬を増やそうにも、幸一郎さんはお金に困っていません。装備を用意しようにも、WHAでは幸一郎さん以上のものを用意できません。住居、移動、警護、情報管理、生活支援。それらをすべて含めても、到底釣り合いません」


「別に釣り合わせなくていいんだけど」


「幸一郎さんはそうでしょうね。ですが、組織としてはそうもいきません」


幸一郎が少し困ったように頭を掻く。


「じゃあ俺、ダンジョン行くたびに?」


「借りが増えています」


「……行かない方がいい?」


「少なくとも、WHAの経理部門は安堵するかもしれません」


「そこまで?」


「そこまでです」


「でも、返せるものがないって言われてもなあ……」


幸一郎がそう呟いた時だった。


「……私だけでは足りませんか?」


「ん?」


いつの間にか、セルマがすぐ隣まで寄っていた。


肩が触れる。


そのまま幸一郎へ身体を預けるようにして、赤い瞳で彼を見上げる。


「私では、返しきれませんか?」


「いや、そういうのじゃないだろ」


「違いますか?」


「違うだろ。というか、セルマはWHAから俺への支払いなの?」


「一応、WHAから給与は受け取っています」


「そういう意味じゃない」


「では、問題ありませんね」


「何が?」


セルマは答えず、そのまま幸一郎の肩へ頭を預けた。


幸一郎はしばらく彼女を見ていたが、やがて諦めたようにソファへ背中を沈める。


「……レイチェルさん、これ込みで考えてないよな?」


「どうでしょう」


「否定してくれよ」


「アシュフォード会長ですから」


「それ、否定になってないぞ」


セルマの口元が、ほんの少しだけ緩んだ。


「で、本当に次行かなくてもいいの?」


「もちろんです」


「レイチェルさんも?」


「むしろ安心すると思います」


幸一郎が疑わしそうに見る。


「本当に?」


「攻略しないことについては」


「なんでそこ限定した?」


「Ex12を採用した件については、明らかに楽しんでいましたので」


「やっぱりあの人遊んでるじゃん」


「否定はしません」


幸一郎は小さく息を吐いた。


世界でただ一人のEx12。


完全攻略数12。


最大完全攻略深度700F。


世界中がその数字を並べて騒いでいるというのに、本人はもう興味を失いかけていた。


「まあいいや。腹減った」


「もうすぐ夕食です」


「今日なに?」


「魚です」


「お、いいな」


それだけで機嫌を直した幸一郎の肩に、セルマは変わらず寄り添っていた。


3年前なら、WHAにも幸一郎に頼まなければならないことが山ほどあった。


今は違う。


彼が持ち帰ったものを使って、他のハンターたちが先へ進んでいる。研究者が新しい装備を作り、その装備を手にした者たちが、さらに深い場所から新しいものを持ち帰る。


幸一郎が次のダンジョンへ行かなくても、その循環はもう止まらない。


だから、行きたければ行けばいい。


行きたくなければ、行かなくてもいい。


かつて、行くしかなかった少年は。


今ではようやく、行かないことさえ自分で選べるようになっていた。

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