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最終章 第118話 その後の影響

翌朝。


世界中のニュース番組で、昨日までとは違う数字が踊っていた。


700F。


ほんの一日前まで、ダンジョン関連のニュースで世界を賑わせていた数字は407だった。真神幸一郎を除く攻略隊として、ついに人類が400Fの壁を突破した。その偉業を伝えるために組まれた番組で、まったく別の数字が飛び出した。


そしてWHAが正式に事実と認めたことで、もはや聞き間違いでも、トップハンターの勘違いでもなくなった。


『WHAは昨夜、エベレストダンジョンが全700階層であったことを正式に認めました。また、真神幸一郎氏は700Fへ到達しただけではなく、同ダンジョンを完全攻略しているということです』


朝の情報番組でも、画面には大きく『700F』の文字が表示されていた。


『昨日の放送、私も見ていたんですが……正直、真神氏といえば500Fという認識でした』


司会者が率直に話すと、招かれていたダンジョン研究者も頷いた。


『六甲山ダンジョンですね。おそらく一般には、その印象が非常に強いと思います』


『世界で初めて500Fまで到達し、完全攻略した人物として知られていましたからね』


『ええ。ただ、それが真神氏の最深記録だと発表されたことは、一度もありません』


司会者が一瞬止まった。


『……言われてみれば、そうですね』


幸一郎が六甲山ダンジョンを完全攻略した。


それは世界中が知っている。


その後、エベレストダンジョンを完全攻略したことも報道されている。


だが、その二つを「何階まで存在したのか」という数字で比較した者は、ほとんどいなかった。


『では、エベレストダンジョンが700Fだったことは、隠されていた情報ではない?』


『WHAの説明では、機密指定された情報ではありません。ただし、一般向けに総階層数を積極的に公表していなかった。一方、深層攻略を行うハンターには攻略資料として共有されていたようです』


『だから昨日の皆さんは、普通に知っていた』


『そういうことになります』


司会者は手元の資料へ目を落とした。


『……なんで私たちは、今まで気にしなかったんでしょう』


研究者が少し苦笑した。


『慣れてしまったのかもしれませんね』


『何にです?』


『真神幸一郎という人物が、ダンジョンを完全攻略することに』


その言葉に、スタジオが静かになった。


六甲山の時は、世界が震撼した。


堺東でも騒然となった。


ハワイでは世界中がその結果を見守った。


だが、その後も鐘は鳴った。


真神幸一郎による完全攻略。


また鳴った。


また真神だった。


それが繰り返されるうちに、一つ一つは確かに大きなニュースでありながら、世界はいつしか「また彼が攻略した」と受け止めるようになっていた。


『現在までの完全攻略数は――12』


画面に数字が表示される。


司会者がそれを見つめた。


『こうして改めて数字にされると……』


『ええ』


研究者も苦笑する。


『一度、まとめて見直す必要がありそうですね』


その必要性に真っ先に飛びついたのは、テレビ局ではなかった。


その日の夜。


普段からダンジョン関連の話題を扱っているインターネット番組が、予定していた企画をすべて取りやめ、緊急生配信を始めていた。


画面上部には、大きな文字が表示されている。


『緊急検証 真神幸一郎はどこまで行っていたのか?』


出演者は司会役の配信者に、元ハンター、ダンジョン研究者、攻略情報を専門に扱う記者。


そして画面の横では、配信開始直後から視聴者のコメントが猛烈な勢いで流れていた。


「というわけで、本日の予定を全部飛ばしました」


『飛ばすでしょう、これは』


「まず確認します。エベレストD」


司会者が指を一本立てる。


「700F」


『はい』


もう一本。


「真神幸一郎、完全攻略済み」


『はい』


さらに一本。


「現在までの完全攻略数」


一拍置いた。


「12」


『はい』


司会者は両手を机についた。


「何やってんだ、あの人」


『それは本人に聞いてください』


「聞いたら『攻略してただけ』とか言いそうなんですよ!」


『言いそうですね』


コメント欄が一気に加速した。


《草》

《世界共通の感想》

《何やってんだはこっちの台詞》

《本人「ダンジョン潜ってた」》

《たぶんマジでそれ》

《完全攻略12をさらっとプロフィールに書くな》

《700F混ざってるのおかしい》


「で、うちのスタッフが昨日から大急ぎで調べました」


司会者が画面を切り替えた。


そこに表示されたのは、この3年間に幸一郎が完全攻略したダンジョンの一覧だった。


一つではない。


二つでもない。


縦に並んだ12の名前すべてに、同じ文字が付いている。


完全攻略。


「こうなりました」


出演者たちが黙った。


「…………」


『…………』


「なんで黙るんです?」


研究者が困ったように眼鏡を直した。


『いや……知ってるんですよ』


「何を?」


『全部』


「ですよね?」


『一件ずつなら全部知ってるんです。攻略された時にニュースになっていますから』


元ハンターも一覧を眺めながら唸った。


『でも、こうやって並べたことなかったな……』


「並べると?」


『駄目ですね、これ』


「何がです?」


『感覚がおかしくなる』


最初にあるのは六甲山ダンジョン。


500F。


その後にも、堺東、ハワイをはじめとした完全攻略が並んでいる。


そして今回、一般社会が初めて総階層数を知ったエベレストダンジョン。


700F。


司会者が一覧を見ながら首を傾げた。


「六甲山の500Fだけなら、まだ何か説明できたんですかね?」


『できたでしょうね』


研究者が答える。


『前例のない環境で8年間生き延びた末の一度きりの奇跡だった、とか。本人と六甲山の相性が特殊だったとか。後からなら、いくらでも理由は考えられます』


「でも?」


研究者は画面に並んだ文字を見る。


『12回やっていますからね』


「奇跡を?」


『完全攻略をです』


「ですよね」


『一回だけなら奇跡と呼べたかもしれません』


元ハンターが笑った。


『12回やったら、もう実績だろ』


コメント欄が爆発した。


《奇跡12連》

《奇跡のバーゲンセール》

《一回なら奇跡》

《12回なら実績》

《700F完全攻略を実績の一言で片付けるな》

《じゃあ何て言えばいいんだよ》

《真神》

《それ説明になってねえ》

《でも一番通じるの草》

《俺ら完全に感覚麻痺してたな》


「そして」


司会者が次の画面を表示した。


「皆さんが今、一番気になっているのはこれでしょう」


昨日のトップハンターの発言が大きく映し出される。


『世界が粉々に砕ける瞬間って、想像したことあります? そういう戦いです』


司会者が研究者を見る。


「何これ」


『私に聞かないでください』


「研究者でしょう!」


『専門外です!』


「じゃあ元ハンター!」


『俺に聞くな』


「逃げるな!」


コメント欄が笑いで埋まる中、司会者はさらに次の発言を表示した。


『比喩ならよかったんですけどね』


「何これ!!」


『だから知らないって!』


『700Fの戦闘記録は、一定以上の攻略者と一部の研究者に限定された資料です。我々は見ていません』


記者の補足に、司会者が大きく息を吐いた。


「じゃあ、実際に見た人間の感想が『世界が粉々』で、『比喩ならよかった』?」


『そういうことになりますね』


「怖いよ!」


コメント欄の流れがさらに速くなる。


《それな》

《見せろ》

《見たい》

《俺は見たくない》

《世界粉砕映像って何だよ》

《トップハンターだけ何見せられてんだ》

《WHA公開拒否したぞ》

《そりゃ攻略資料だからな》

《娯楽映像じゃありませんって怒られてる》

《正論》


そこで司会者が、一般公開されている別の映像を呼び出した。


「では、我々が見ることのできる映像で確認してみましょう」


画面に映し出されたのは、数年前の堺東ダンジョン最深部。


一人で戦う真神幸一郎。


当時、世界中を震撼させた映像だった。


「昨日の407F到達組は、この映像について何と言ったでしょう」


元ハンターが答える。


『頭おかしい』


「正解」


『賞品は?』


「ありません」


映像が流れる。


出演者たちも何度も見たことがあるものだった。


それでも、改めて見れば常識外れであることに変わりはない。


やがて映像が止まった。


司会者がゆっくり振り返る。


「……これが、『頭おかしい』で済む方?」


誰もすぐには答えなかった。


元ハンターが吹き出した。


『そこなんですよ』


「そこなんですか!?」


『俺も昨日からずっとそこが一番怖い』


研究者まで頷いた。


『堺東の映像については、彼らは笑いながら話せた』


「はい」


『700Fについては、笑わなかった』


司会者が黙った。


画面の横を流れていたコメントも、一瞬だけ勢いを失った。


そして次の瞬間、また猛烈な速度で流れ始める。


《やめろ》

《その比較やめろ》

《堺東が安全側に移動してる》

《安全ではない》

《昨日まで人類史上最狂映像だっただろ》

《トップハンター「堺東なら笑える」》

《俺ら「笑えない」》

《トップハンター「700Fは笑えない」》

《俺ら「?????」》

《700F映像公開しろ》

《やっぱ公開するな》

《撤回早すぎ》

《撤退判断は大事》

《この3年で人類が学んだことを実践してて草》


しばらくして、司会者が笑いを収めた。


「でも、407Fの価値が下がったわけじゃないんですよね?」


その問いには、研究者がすぐに答えた。


『まったく下がりません』


声は真面目だった。


『むしろ、407Fまで来たからこそ、700という数字の意味が分かるようになったんだと思います』


「意味?」


『100Fまでしか知らない人間にとって、500Fも700Fも途方もなく遠い数字です。ですが400Fを実際に知る人間なら、その先へあと300階近く進むということが、どれほどの意味を持つか理解できる』


元ハンターも頷いた。


『今のトップ連中が真神を見て笑えるようになったのは、あいつら自身が強くなったからですよ』


「強くなったから、あれがおかしいと分かる?」


『そういうことです』


「じゃあ、人類はまだまだですね」


『当たり前でしょう』


「700Fは遠い?」


『遠いですね』


「どうします?」


元ハンターは笑った。


『まず408Fに行けばいいんじゃないですか』


コメント欄に、少しだけ違う言葉が増え始めた。


《それでいい》

《407の次は408》

《急にまともな番組になった》

《真神と競争してるわけじゃないからな》

《700は700》

《407は407》

《昨日より一個先へ》

《いつか700まで行こうぜ》


700Fは遠い。


真神幸一郎は、今なお遥か先にいる。


それでも、407Fまで来た人類にとって、その距離はもはや「理解することすらできない遠さ」ではなくなりつつあった。


遠いと知ったうえで、一つずつ進めばいい。


そのことを、人類はこの3年間ですでに学んでいた。

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