第4章 第110話 出遅れても諦める理由にはならない…
世界最深到達記録が更新され続けている。
118階、121階、123階、125階。そして127階、129階。
数字だけを見れば、一度に数階ずつ伸びているに過ぎない。だが、長く100階前後で停滞していた世界のダンジョン攻略において、それが短期間に、しかも複数のパーティによって繰り返されているという事実は無視できなかった。
そして日本政府は、その理由をすでに把握している。
真神幸一郎が三つのダンジョンから持ち帰り、マジックボックスの中に保管していた深層ドロップ装備。
現在、その一部が海外のトップハンターたちへ貸与されている。
問題は――その最初の輪の中に、日本人ハンターが一人もいなかったことだった。
◇
「確認します」
官僚の一人が、手元の資料を見ながら口を開いた。
「日本人ハンターが、深層装備の貸与対象から排除されているわけではないんですね?」
「WHAからの回答を見る限り、その事実はありません」
「真神幸一郎本人が、日本人への貸与を拒否している事実も?」
「ありません」
「六甲山での採掘は?」
「国籍による制限はありません」
「異鉱物の研究利用についても?」
「同様です。日本の研究機関も条件を満たせば提供を受けられます」
そこまで確認したところで、一人の政治家が眉を寄せた。
「では、なぜ日本人が一人もいない?」
答えは分かっている。
だが、改めて確認せずにはいられなかった。
「……最初の非公式評価に、声を掛けられなかったからです」
「それだけ?」
「それだけです」
誰かが小さく息を吐いた。
それだけだからこそ、扱いに困る。
日本人だから拒否されたのなら、理由を確認できる。
WHAの制度として日本を排除しているのなら、是正を求める余地もある。
真神幸一郎本人が祖国への装備貸与を拒絶しているのなら、それはそれで一つの意思として受け止めるしかない。
だが、そのどれでもなかった。
真神幸一郎が所有する私物について、WHAが何人かのトップハンターへ個別に声を掛けた。
その中に、日本人がいなかった。
ただ、それだけだった。
「JHAとして、日本人ハンターを推薦することは可能なのか?」
視線を向けられたJHAの職員が答える。
「推薦そのものは可能です。ただし、推薦すれば装備を貸与してもらえる、という性質のものではないかと」
「適性の問題か」
「はい」
モニターに、海外ハンターの攻略映像が映し出された。
「公開されている映像だけでも、使用者によって装備の挙動にかなり差があることが確認できます。また、貸与を受けた全員が全身を深層装備へ変更しているわけでもありません」
「自分に合うものだけを使っている?」
「おそらくは」
深層装備は、単純に性能の高い武器を上から順番に配ればいいものではない。
それは、すでに公開された攻略映像からでも推測できるようになっていた。
「ならば、日本の上位ハンターから何人か選んでWHAへ――」
「待ってください」
途中で官僚の一人が止めた。
「何だ?」
「それを、誰が決めるんです?」
「……何?」
「本人たちには、まだ何も聞いていません」
会議室が静かになった。
誰かが何かを言おうとして、やめた。
日本の上位ハンターを選抜する。
JHAが候補者を選ぶ。
政府が必要性を説明する。
WHAと交渉し、決まったところで本人たちへ伝える。
組織の手続きとして考えれば、ごく自然な流れだった。
だが――。
「……また同じことをするところだったな」
一人の政治家が呟いた。
誰のことを言っているのか、説明する必要はなかった。
「まず本人たちに情報を渡しましょう」
JHA側から声が上がった。
「深層装備の存在。現在、海外のトップハンターへ貸与されていること。日本人だからという理由で拒否されているわけではないこと。その上で、評価を希望するかどうかを本人たちに判断してもらうべきかと」
「JHAが代表して交渉するのではなく?」
「装備の所有者は真神氏です。そして実際に使用するのは、ハンター本人です」
それでいいだろう。
そんな空気が会議室に広がり始めたところで、別の官僚が口を開いた。
「ただ、一つ問題があります」
「何だ?」
「時間です」
モニターが切り替わった。
そこには、ここ最近の最深到達記録が時系列で並んでいた。
118階。
121階。
123階。
125階。
127階。
129階。
「先行しているハンターたちは、すでに複数回の実戦投入を行っていると見られます」
「装備を手に入れれば、すぐに追いつけるわけではない?」
「そこについては、JHAから説明を」
促された職員が頷いた。
「むしろ、装備そのもの以上に大きな差になる可能性があります」
「どういう意味だ?」
「彼らはもう、失敗しています」
「……失敗?」
「はい」
映像が流れる。
以前より遥かに深い階層まで進みながら、途中で攻略を打ち切り帰還するパーティ。
別の日。
同じパーティが再びダンジョンへ入り、今度は前回よりさらに深くまで進んでいる。
「新しい装備を使って攻略する。問題が発生する。撤退する。その問題を修正して、また潜る」
別のパーティの映像へ切り替わる。
「彼らはこれを繰り返しています」
「……なるほど」
「つまり、すでに深層装備を使った攻略経験そのものが蓄積され始めています。仮に今日、日本人ハンターが同じ装備を受け取ったとしても、すぐに同じ条件になるわけではありません」
装備を手に入れれば追いつける。
そんな単純な話ではなかった。
先行している者たちは、すでに失敗している。
何が足りないかを知り、修正し、また挑んでいる。
その回数そのものが、経験という差になり始めていた。
「では、急がせ――」
政治家が途中で言葉を止めた。
「……いや」
自分で口にした言葉を飲み込む。
「急ぐかどうかも、本人たちが決めることか」
「はい」
「なら、情報だけは全部渡してくれ」
JHAの職員へ向き直る。
「深層装備が存在すること。海外勢がすでに使っていること。WHAは日本人を拒否していないこと。そして、先行している者との差が開き始めていること」
「分かりました」
「都合の悪いところも隠すな」
「はい」
「その上で、参加したいか聞く」
そこまで言って、また少し考えた。
「……いや。それも違うな」
周囲が彼を見る。
「どうしたいか、聞こう」
誰も反対しなかった。
◇
数日後。
JHAから連絡を受けた国内の上位ハンターたちが、一室に集められていた。
世界ランキングに名を連ねる者もいる。
国内では名実ともに最高峰とされる者たちだった。
だが、彼らの表情は明るくない。
理由は分かっている。
壁面のモニターには、海外の攻略映像が映っていた。
「まず、皆さんにお伝えしておくことがあります」
JHAの担当者が説明を始める。
「現在、海外の一部トップハンターが使用している未確認装備について、出所が判明しました」
「真神だろ?」
一人が先に答えた。
「……ご存じでしたか」
「ニュースになってるからな」
「では、重複する部分もありますが、こちらで把握している内容をすべて説明します」
真神幸一郎が六甲山、堺東、ハワイの攻略中に取得したドロップ装備を大量に保管していたこと。
現在、WHAがその確認と分類を行っていること。
海外のトップハンターを招いた非公式の評価が実施されたこと。
適性を確認された一部装備について、貸与と実戦評価が始まっていること。
そして――現在評価対象となっているのは、原則200階までに取得された装備であること。
「ちょっと待て」
一人が手を上げた。
「200階まで?」
「はい」
「今、あいつらが使ってるのが?」
「確認されている範囲では」
「……それより下は?」
「存在します」
「どこまで?」
「真神氏が到達した範囲まで、とWHAは回答しています」
「…………」
さすがに、その意味を理解するまで少し時間が必要だった。
「500階の装備もあるってことか?」
「六甲山については、その可能性があります」
「可能性?」
「すべての階層で装備がドロップしたとは限りませんので。ただ、500階までの攻略過程で取得された装備が保管されていること自体は確認されています」
「なんで今まで出てこなかったんだよ」
「真神氏が使用していなかったためです」
「弱かった?」
「違うようです」
「じゃあ何だ?」
「本人の戦闘スタイルに合わなかった、と」
何人かが天井を見た。
「……それで倉庫行きかよ」
誰かが呟いた。
世界トップクラスのハンターが、扱うだけで苦労している装備である。
それが本人にとっては、使わなかったからしまっておいた物だった。
「で?」
一人がJHAの担当者を見る。
「俺たちにどうしろと?」
「何も」
「……何?」
「今回は、JHAから皆さんへ指示する予定はありません」
今度はハンターたちが黙った。
「WHAへ装備評価を申し込むことは可能です。ただし、受け入れられる保証はありません。また、評価を受けたとしても適合する装備が存在する保証もありません」
「日本人だから断られる可能性は?」
「現在のところ、そのような条件は確認されていません」
「真神本人は?」
「日本人ハンターへの貸与を拒否しているという事実はありません」
「じゃあ、なんで最初に俺たちは呼ばれなかった?」
「WHAが行った非公式の評価で、声を掛けられなかったからです」
「……それだけ?」
「それだけです」
109話で政府関係者たちが味わったものと、よく似た沈黙が訪れた。
だが、ハンターたちの反応は少し違った。
「まあ、しょうがないんじゃないか?」
一人が言った。
「呼ばれなかったもんは、しょうがない」
「随分あっさりしてるな」
「じゃあ、呼ばれなかったって文句言うのか?」
「……言わんな」
「だろ?」
別の男がモニターを見る。
そこでは、海外のハンターが見たことのない剣を振るっている。
「問題は、あいつらがもう先に行ってることだ」
「ああ」
「129階か」
「また更新されるだろ」
「装備だけの差だと思うか?」
その問いには、すぐに答えが返らなかった。
やがて一人が首を振った。
「思いたいけどな」
「違うか」
「何回潜ってると思ってる。最初の頃の映像と今を比べてみろ」
モニターの映像が切り替わる。
同じハンター。
同じ武器。
だが、動きが違う。
「……慣れてるな」
「ああ」
「最初は武器に振り回されてた。今は自分から使ってる」
「差は装備だけじゃないってことか」
「もう経験まで積み始めてる」
室内が静かになった。
JHAの担当者は、そこで資料を閉じた。
「こちらからお伝えできる情報は以上です」
一人が顔を上げる。
「本当に、それだけか?」
「はい」
「参加しろとも言わない?」
「言いません」
「日本が遅れるから行ってこい、とも?」
「言いません」
担当者は彼らを見渡した。
「どうするかは、皆さんが決めてください」
そして部屋を出ていった。
扉が閉じる。
しばらくして、一人がぽつりと言った。
「……JHA、変わったな」
「変わらざるを得なかったんだろ」
「誰のせいで?」
「聞くなよ」
小さな笑いが起きた。
そのとき、壁面のモニターに速報が表示された。
『世界最深到達記録、更新――131階』
「……またかよ」
「早いな」
「で?」
一人が椅子から立ち上がった。
「お前ら、どうする?」
「決まってるだろ」
別の男も立つ。
「俺は行く」
「俺もだ」
「500階まで潜った奴が持って帰ってきた装備だぞ。一度くらい握ってみたい」
「使えるとは限らんぞ」
「だから確かめに行くんだろ」
それぞれが、自分の意思で答えを出し始める。
誰かに命じられたからではない。
国のために行けと言われたからでもない。
世界記録を取り戻せと背中を押されたからでもない。
自分がハンターとして、その先へ行ってみたい。
ただ、それだけだった。
扉は閉じられていなかった。
最初に呼ばれなかっただけだった。
ならば、自分で叩けばいい。
かつて一人の少年に対して、本人の言葉を聞くより先に周囲が答えを決め続けた国で。
今度はようやく、本人たちが自分で選んだ答えを持って、その扉を叩こうとしていた。




