第4章 第104話 灯台下暗し、忘れらていた秘蔵
そのころ、世界中の研究者が新たな研究計画を書き始め、トップハンターたちが六甲山での採掘参加を検討し始めていた。
その原因を作った本人は、また釣りをしていた。
これで三度目である。
「……来ないな」
「今日は少し静かですね」
「セルマ、今何匹?」
「三匹です」
「俺、二匹」
「まだ時間はありますよ」
「今日は勝つ」
「前回もそうおっしゃっていました」
「今回は勝つ」
三度目ともなれば、セルマもすっかり慣れたものだった。最初に来たときには釣りの経験すらなかったはずなのに、今では幸一郎より安定して釣果を上げている。
「……なんで俺が教えたのに、俺より釣るんだろ」
「私に聞かれましても」
「納得いかない」
幸一郎はぼやきながら、浮きへ視線を戻した。
風は穏やかだった。世界では六甲山の《異鉱物資源庫》を巡って、研究機関やハンター組織が慌ただしく動き始めている。しかし、そんな騒ぎもここまでは届いてこない。
幸一郎にとっては、それでよかった。
異鉱物を採る者がいる。それを研究する者がいる。そこから新しい装備を作り、それを使ってさらに深い場所へ進む者がいる。
自分一人で全部やる必要はない。
むしろ、その方がいい。
「……装備か」
「はい?」
「いや、ちょっと思い出した」
新しい装備。
その言葉から連想しただけだった。
幸一郎は浮きを眺めたまま、ふと、長い間ほとんど意識していなかったものを思い出した。
「そういえば……」
「どうしました?」
「各層で拾ったダンジョンドロップ品って、俺のマジックボックスの中に入ってんだよなぁ……」
「ドロップ品ですか?」
「うん。武器とか防具とか。俺に合わなくて使わなかったやつ」
ダンジョンを攻略していれば、装備品が手に入ることもある。幸一郎もこれまで数え切れないほど拾ってきた。
もちろん、そのすべてを使ってきたわけではない。
性能が低かったから使わなかったとは限らない。剣を好む幸一郎には必要のない武器もあれば、戦い方に合わない防具もある。効果そのものは強力でも、自分の能力とは噛み合わないものもあった。
だからといって、わざわざ捨てる理由もなかった。
マジックボックスへ放り込んでしまえば、持ち運びにも保管にも困らない。そのため、使わないと判断した装備の多くは、そのまま中へ入れっぱなしになっている。
「……どうすっかなぁ、あれ」
「どうする、とは?」
「俺が持ってても使わないし」
「売却されるのですか?」
「いやぁ……売るってのもなぁ」
幸一郎は少し考えた。
「研究に使ってもらうのもありだと思うけど……完成品なんだから、使える奴がいるなら使った方がよくない?」
「どの程度の装備なのですか?」
「さあ?」
「……さあ?」
「俺に合わなかったから使ってないだけだし。使う奴が使えば、かなり強いのもあると思う」
幸一郎にとって、装備を選ぶ基準は単純な性能の高さだけではなかった。
自分の戦い方に合うかどうか。
どれほど強力な武器でも、扱い慣れたものより戦いにくければ使わない。優れた防具であっても、自分の動きを邪魔するなら選ばない。
そうして選ばれなかった装備が、今もマジックボックスの中には残っている。
「六甲山で入手されたものですか?」
「それもあるよ」
「それも?」
「堺東とハワイのも入ってる」
セルマの視線が、水面から幸一郎へ移った。
「……どの階層までですか?」
「最後まで」
「三つとも?」
「うん」
幸一郎は何でもないことのように答えた。
「六甲山が500階。堺東が450階で、ハワイが480階だったから……まあ、結構あるな」
「結構、ですか」
「全部の階で装備が出たわけじゃないけどな」
「それでも十分だと思います」
「だよなぁ……」
幸一郎自身、正確な数までは覚えていなかった。
六甲山では8年間。その後には堺東とハワイも攻略している。
手に入れたときには確認していても、自分には必要ないと判断すればマジックボックスへ放り込み、そのまま忘れてしまったものも多い。
「何が入ってたっけなぁ……」
「覚えていないのですか?」
「全部は無理だよ。剣とか槍とか、盾とか……杖もあったと思う。防具も結構あったかな」
「…………」
「あと、使い方がよく分からないのもあった」
「それも保管されているのですか?」
「捨てる必要ないだろ?」
「それは、そうですが……」
セルマは否定しなかった。
ただ、その表情から先ほどまでの釣りを楽しむ穏やかさが少しだけ消えていた。
幸一郎に必要がなかったことと、その装備に価値がないことはまったく別の話である。
ましてや、それらは世界のハンターたちがまだ到達していない深度から持ち帰られたものだった。
「一度、アシュフォード会長に相談されてはいかがですか?」
「レイチェルさんに?」
「はい。研究に利用するにしても、実際に誰かに使用してもらうにしても、幸一郎さんだけで決める必要はないと思います」
「……それもそうか」
幸一郎はあっさり頷いた。
攻略することなら自分で決めればいい。
だが、誰に何を渡すのか。それを研究に使うのか、実際の攻略に使うのか。そうしたことまで自分一人で考える必要はない。
「じゃあ、今度聞いてみるか」
「次の定期連絡の際に、私からお伝えしておきます」
「頼む」
「承知しました」
話は、それで終わった。
少なくとも幸一郎の中では。
「……あ」
浮きが沈んだ。
「来た!」
幸一郎が素早く竿を立てる。水面で魚が跳ね、竿が大きくしなった。
「これ大きい!」
「慌てると逃げますよ」
「分かってるって」
「先ほどもそうおっしゃっていました」
「あれは油断しただけ」
「そうですか」
「今度は大丈夫――よし!」
しばらく格闘した末、魚が水面から引き上げられた。
幸一郎は嬉しそうに釣り上げた魚を見せる。
「どう?」
「大きいですね」
「これで三匹目」
「おめでとうございます」
「セルマは?」
「四匹です」
「……あと一匹」
「追いついただけでは勝ちではありませんよ」
「分かってる。あと二匹」
「頑張ってください」
「三度目くらい勝たせてくれてもいいだろ」
「勝負ですから」
「そういうところだけ厳しいよな……」
幸一郎は再び餌を付け、釣り糸を水面へ落とした。
セルマも自分の浮きへ視線を戻す。
ただ、頭の片隅には先ほどの話が残っていた。
六甲山、500階。
堺東、450階。
ハワイ、480階。
その攻略過程で手に入れながら、幸一郎自身には合わず、使われることのなかった装備品。
どれほど残っているのか、本人さえ把握していない。
次の定期連絡で、アシュフォード会長へ伝えておいた方がいい。
今は、それだけで十分だった。
世界では、六甲山から産出される異鉱物を使い、新たな装備を生み出そうとする動きが始まっていた。
だが、その一方で。
世界の誰もまだ到達していない深度で生み出された完成品の数々が、持ち主から存在すら半ば忘れられたまま、今も彼のマジックボックスの中で眠っていた。




