第4章 第103話 異鉱物への大転換起点
「でも、これってWHAは何か得するの?」
「何を今さら」
「いや、売らないんだろ? 採るのも管理するのも、研究所に配るのもWHAだよな」
「そうなりますね」
「……仕事増やしただけじゃん」
今さらそこに気づいたらしい幸一郎に、レイチェルは少しだけ目を細めた。
「ごめん」
「金銭的な利益だけを考えれば、当面はほとんどないでしょうね」
「やっぱり」
「ですが、世界中の研究者とハンターから、少しは信頼を得られたのではないでしょうか」
「信頼?」
「希少な資源を独占して販売するのではなく、次の攻略へ進むために使う組織だと示すことができました。それはWHAにとって、決して小さな利益ではありません」
「……そっか。ならいいけど」
それならそれでいいらしい。幸一郎はあっさり納得すると、今度は隣に立っていたセルマを見た。
「セルマも仕事増えるよな」
「増えますね」
「……ごめん。今度ケーキごちそうするよ」
「では、楽しみにしております」
「真神さん」
「ん?」
「私のケーキも忘れないでください」
「レイチェルさんも?」
「私の仕事も増えています」
「……そうだった」
少し離れたところで聞いていた藤堂が、とうとう堪えきれずに笑った。世界中へ響いた鐘によって、六甲山が《異鉱物資源庫》へ変わったことが知らされた直後とは思えないほど、平和な会話だった。
その日の午後、幸一郎は六甲山を離れた。
そしてレイチェルは仕事へ戻った。
◇
WHAが最初に発表したのは、六甲山から産出される異鉱物を一般市場へ販売せず、ダンジョン攻略技術とその関連研究のための資材として利用するという方針だった。
当然、それだけでも世界は騒いだ。
だが、続いて発表された第二報は、研究者だけでなく世界中のハンターを巻き込むものとなった。
《異鉱物資源庫》への移行後、六甲山ダンジョンの内部構造は大きく変化していた。かつて全500階層だった攻略型ダンジョンは全200階層へと再編成され、内部からモンスターの姿は完全に消失していたのである。
代わりに存在していたのが、各階層に広がる異鉱物の鉱脈だった。
WHAは、確認できた内容をほぼそのまま公開した。
『六甲山ダンジョンは、《異鉱物資源庫》への移行に伴い、全200階層からなる資源採取型の構造へ再編成されたことを確認しました。また、現在までの調査において、内部でモンスターの存在は確認されていません』
さらに重要だったのが、異鉱物の産出傾向だった。
異鉱物は浅い階層から採掘できる。しかし、その量は一定ではない。同じ種類の異鉱物でも深く進むほど鉱脈は豊かになり、採掘可能量も増加する。
1階より10階。10階より30階。そして同じ区分であれば、50階に近づくほど多くなる。
同時に、深度が増すにつれて、より希少な異鉱物が産出対象へ加わっていく。ただし、新たな異鉱物が産出対象へ加わったからといって、すぐ大量に採れるわけではない。出現し始めたばかりの深度では、運が良ければ発見できるという程度に過ぎず、さらに深く進むことで少しずつ採掘可能性が上昇する。
特に最上位に分類される異鉱物について、WHAはかなり具体的な情報まで公開した。
150階付近では産出しない。160階付近から極めて低い確率で混じる可能性が生まれる。そして最深部である200階まで到達しても、採掘できなくはないという程度であり、依然として極めて希少である。
つまり200階へ行けば最高位の異鉱物が山ほど手に入る、などという都合のいい資源庫ではなかった。
それでも、世界中の研究者にとっては十分すぎた。
何しろ、これまで次にいつ手に入るかさえ分からなかった異鉱物に、継続的な供給源が誕生したのである。
◇
一方、この発表によって頭を抱える者たちもいた。
まず、異鉱物の商業利用を考えていた企業だった。
六甲山が《異鉱物資源庫》へ移行したという鐘が鳴った直後から、素材メーカーや商社では将来の供給量や価格を想定した検討が始まっていた。年間産出量はいくらになるのか。魔鉄はいくらで取引されるのか。ミスリルは。さらに上位の異鉱物は。
ところが所有者である幸一郎は売る気がなく、管理を任されたWHAにも売る気がなかった。
資源そのものを購入しようとしていた企業の計画は、WHAの発表によっていったん白紙へ戻された。
各国政府にも似たような混乱が生じた。
日本国内に世界でも類を見ない異鉱物の継続供給源が誕生した。しかし六甲山そのものは日本にありながら、システムが宣言した産出資源の所有者は幸一郎であり、長期的な管理と運用を担うのはWHAだった。
しかもWHAは、それを特定の国家へ優先販売するのではなく、一定の条件を満たした研究機関へ国籍を問わず提供すると発表している。
資源外交として扱おうとしていた案件が、突然、国際的な研究開発の話へ姿を変えてしまったのである。
そして日本政府もまた、契約書を確認していた。
六甲山そのものに関する日本の権利は維持されている。WHAへ認めたのは長期的な管理・利用権であり、将来そこから経済的利益が生じた場合についても、事前に取り決めた分配条項が存在する。
予想していなかったシステムによる所有者指定が発生しても、契約そのものが崩れるようなことはなかった。
ただ、一つだけ問題があった。
売らないのである。
経済的利益が発生した場合の取り決めはある。
だが、当面はその利益を発生させる者がいなかった。
そこまで読めという方が無理だった。
◇
そんな中、WHAはさらにもう一つの方針を発表した。
六甲山から採掘された異鉱物を利用して研究・開発された装備について、安全性と実用性が確認されたものから、トップクラスのハンターへ順次実戦配備する。
そして、その初期配備については、六甲山における異鉱物採掘へ参加したハンターを優先する。
その一文が、世界中のトップハンターを動かした。
六甲山へ行く。異鉱物を採る。それを研究者へ渡す。研究者が新しい装備を作る。その装備を、自分たちが優先的に実戦で使う。
より優れた装備を手にしたハンターは、さらに深い階層へ向かえる。そこで採掘できる量は増え、より希少な異鉱物を持ち帰れる可能性も高くなる。それが次の研究へ回され、さらに装備が改良される。
単なる報酬制度ではない。
採掘、研究、装備、そして次の採掘。
WHAは、六甲山を中心とした循環そのものを作ろうとしていた。
発表から数時間もしないうちに、六甲山での採掘活動への参加を希望する問い合わせがWHAへ殺到した。
名前を確認すれば、各国を代表するトップクラスのハンターが並んでいた。
モンスターはいない。
それでも、深く進むことには意味がある。
同じ魔鉄を採るのであれば1階より50階。より希少なものを狙うのであれば、さらにその先へ。
そして200階には、ほとんど出ないとはっきり発表されているにもかかわらず、最高位の異鉱物が存在する可能性がある。
世界最高峰のハンターたちにとって、それで十分だった。
六甲山を目指す理由ができた。
◇
さらに大きく反応したのは、研究者たちだった。
彼らにとって最大の変化は、希少な異鉱物を大量に入手できるかもしれないことだけではなかった。
失敗できるようになる。
それこそが大きかった。
これまで研究機関へ渡されていた魔鉄やミスリルは極めて限られていた。切れば減る。削れば減る。溶かせば元には戻らない。限界まで負荷をかければ壊れる。一度失った試料を次にいつ入手できるのか分からない以上、普通の材料なら当然行われる破壊試験でさえ慎重にならざるを得なかった。
その前提が変わる。
継続的に採掘できるのであれば、切断できる。溶解できる。加工条件を変えられる。魔力を限界まで流して壊れるところまで試せる。魔鉄と既存金属を組み合わせ、ミスリルを必要な部分だけに使用し、何十種類もの試作品を作って、その大半を失敗作として捨てることさえできる。
研究とは本来、そうやって進むものだった。
アメリカでは新たな破壊試験が計画され、ドイツでは複合材を専門とする研究者たちが異鉱物研究への参加を申し出た。各国の大学や研究機関では、それまで材料不足を理由に棚上げされていた研究計画が次々と引っ張り出された。
日本も例外ではない。
以前、異鉱物試料の到着が先行機関より2か月遅れた研究者たちは、今度はWHAの発表とほぼ同時に動き始めていた。国籍による除外はない。ならば研究計画を出せばいい。採択される保証がないのなら、採択したくなるものを作ればいい。
魔鉄と既存鋼材の複合化。ミスリルを利用した積層構造。高負荷環境での疲労試験。そして、日本刀型装備の研究も次の段階へ進めることができる。
世界中の研究室で、同時に研究計画が書き換えられていった。
まだ六甲山から、新たな研究資材は一つも届いていない。
それでも、すでに変化は始まっていた。
幸一郎が一人で8年間かけて歩いてきた道を、そのまま誰か一人が追いかける必要はない。
一人が材料を採る。別の者が調べる。別の者が加工する。それをハンターが使い、さらに深くへ進む。
そして、そこで得たものを次の者へ渡す。
一人で繰り返されていた試行錯誤が、世界中で同時に回り始めようとしていた。
◇
当然、その循環を管理するWHAの仕事量も急増した。
研究資材の提供希望。採掘参加申請。各国政府からの問い合わせ。研究機関との調整。六甲山での採掘管理、輸送、保管、警備。さらに、世界各地から来日するトップハンターたちへの対応まで必要になる。
東アジア統合支部にも、その仕事は容赦なく流れ込んだ。
就任早々、六甲山という世界的な注目を集める場所を担当することになった藤堂は、次々と送られてくる案件へ目を通しながら、ふと数時間前の会話を思い出した。
――私の仕事も増れています。
レイチェルはそう言っていた。
間違ってはいない。
ただ、おそらくケーキ一つでは足りないだろう。
◇
そのころ。
今回の一連の騒動の原因となった男は、釣り堀の水面を眺めていた。
「……来た」
幸一郎が竿を立てる。しばらく魚と格闘した末、どうにか一匹を釣り上げると、少し離れたところにいたセルマへ得意げに見せた。
「どう?」
「おめでとうございます」
「今何匹?」
「私ですか?」
「うん」
「四匹です」
「…………俺、二匹」
「はい」
「またダブルスコアじゃん」
「そうですね」
「なんで?」
「私に聞かれましても」
世界中のトップハンターたちが六甲山へ向かう準備を始め、研究者たちが新たな研究計画を書き、WHAが増員の手配に追われているころ。
六甲山を《異鉱物資源庫》へ変えた本人は、前回に続いてセルマに釣果で負けていた。
「……もう一匹釣る」
「頑張ってください」
「まだ時間あるよな?」
「ありますよ」
「よし」
幸一郎は再び釣り糸を垂らした。
携帯端末には、六甲山への採掘参加を希望する世界トップクラスのハンターが急増しているというニュースが届いていたが、今のところ確認する様子はなかった。
彼が見ていなくても、世界は動いていた。
研究者が考え、ハンターが集まり、組織がそれを支える。
そして、その誰もが次の一歩を自分で選び始めている。
六甲山の《異鉱物資源庫》は、ただ新しい資源を生み出しただけではない。
人類のダンジョン攻略が、異鉱物を前提とする時代へ移り変わる、その起点となり始めていた。
幸一郎の浮きが、また小さく沈んだ。
「来た!」
「今度は逃がさないでくださいね」
「見てろよ」
世界の大転換とは関係なく、こちらの勝負はまだ終わっていなかった。




