第1章 第10話 変わらない距離…
大阪支部長との面談は、管理事務所内の応接室で行われた。
「日本ハンター協会大阪支部長の藤堂です。まずは、お帰りなさい。真神さん」
「……どうも」
簡単な挨拶の後、藤堂はカードの再発行について説明した。旧記録上はFランクだが、完全踏破者を既存制度へ当てはめることができないため、今回は暫定的にEXとして発行することになったという。
「別にFのままでも構わないが」
「我々が困るんです」
幸一郎はそれ以上、ランクについて尋ねなかった。
続いて藤堂は、八年前の事件について話を移した。
幸一郎が六甲山ダンジョンへ入場してから、およそ半年後。再捜査によって別の人物が逮捕され、幸一郎にかけられていた容疑は完全に否定された。事件そのものが冤罪だったと正式に認定されていることも伝えられた。
そこまで聞いて、幸一郎の視線が初めて藤堂へ向いた。
「……冤罪?」
それまでとは、僅かに声の調子が違った。
「はい。真神さんは無実だったと正式に認定されています」
「俺が?」
「はい」
数秒の沈黙があった。
「……へぇ」
それだけだった。
幸一郎はしばらくテーブルの一点を眺めていた。表情に大きな変化はなかったが、室内の空気だけが、それまでとは僅かに違っていた。
「いつ?」
「真神さんが六甲山へ入場してから、およそ半年後です」
「半年……」
幸一郎は一度だけ繰り返し、それ以上は何も尋ねなかった。藤堂も深く踏み込まず、手元の資料へ視線を落とした。
「それに関連して、確認しておきたいことがあります」
「現在、真神さんとの接触を希望している方が多数います」
幸一郎は黙って藤堂を見た。
「警察、ご家族、以前通われていた学校の関係者。それから報道各社です。特に警察からは、帰還が確認された場合には速やかに連絡してほしいという要請が来ています」
「……そう」
「ただし、現在のところ、真神さんがここにいることは外部には伝えていません」
そこで幸一郎の視線が僅かに動いた。
「警察にも?」
「はい」
「家族にも?」
「伝えていません」
藤堂は資料を閉じた。
「今後どうするかは、真神さんご本人に決めていただきます。会いたい方、話をしたい相手がいれば、こちらで取り次ぐこともできます」
しばらく返事はなかった。
「……いらない」
「全てですか?」
「ああ」
「警察も?」
「会わない」
「ご家族は?」
「会わない」
「学校関係者も?」
「必要ない」
藤堂はそれ以上理由を尋ねなかった。
「分かりました。では、JHAから取り次ぐことはありません」
幸一郎が藤堂を見る。
「いいのか?」
「ご本人が望んでいませんから」
「警察が来ても?」
「法的に応じる必要のある正式な要請であれば話は別ですが、少なくとも『会わせてほしい』という要望だけで、こちらから居場所を伝えることはありません」
「……そうか」
「報道機関についても同様です。取材を受ける義務はありません」
幸一郎は数秒ほど藤堂を見ていたが、やがて短く答えた。
「じゃあ、それで」
「承知しました」
藤堂は手元の書類に何かを書き加えた。
その場で決まったのは、それだけだった。
だがこの瞬間から、警察も、家族も、学校も、報道機関も、JHAを通さずに真神幸一郎へ接触する手段を持たないことになった。
藤堂は次の確認へ移った。
「それと、今後の連絡手段についてですが、携帯電話はお持ちですか?」
「ああ」
幸一郎は持ち帰った荷物を探り、一台の古びた携帯電話を取り出した。
テーブルに置かれた端末を見て、藤堂と同席していた職員が揃って黙った。
「こちらは……」
「入る前から使ってた」
「八年前から?」
「ああ」
幸一郎が電源ボタンを押した。
何も起こらなかった。
もう一度長く押しても、画面は暗いままだった。
「……壊れたか」
八年間、充電もされずにダンジョンの中を持ち歩かれていた携帯電話である。職員は一瞬、返答に困った。
「おそらく、もう使用は難しいかと」
「修理は?」
「仮に端末を修理できたとしても、通信規格の方が既に……」
「?」
藤堂はその説明を聞きながら、早々に結論を出した。
「こちらで新しいものを用意します」
「別に急がなくていい」
「いえ。連絡手段がないと、我々が非常に困ります」
幸一郎が藤堂を見る。
「またそれか」
「申し訳ありません。本当に困るんです」
藤堂は苦笑した。
JHAが事故や装備喪失などの際にハンターへ一時貸与する法人契約済みの予備端末が、すぐに手配された。
しばらくして、幸一郎の前に一台のスマートフォンが置かれた。
「当面はこちらをお使いください。回線は開通しています」
幸一郎は渡された端末を手に取り、しばらく眺めた。
画面に触れる。
表示が変わる。
もう一度触ると、今度は別の画面が開いた。
「……電話は?」
同席していた職員が操作方法を説明した。
通話、連絡先、メッセージ。最低限必要な機能を一通り教えると、幸一郎はすぐに操作を覚えていった。最後にJHA大阪支部の連絡先が登録された。
「何かありましたら、まずこちらへ連絡してください」
「分かった」
幸一郎はスマートフォンをジャケットのポケットへしまった。
これでようやく、八年ぶりに真神幸一郎へ直接繋がる連絡手段が生まれた。
その番号を知っているのは、まだJHAだけだった。




