5-7
花びらが散った。
それがなんなのか理解するまで、かなりの時間を要した。
「桜」
自身でも意識せずぽつりと言ったその言葉で、ようやくその花びらがどこからきているのか気付く。
間違いない。【ナゴョミ】から。
――【ナゴョミ】は、これまでと違った姿に変貌していた。
フーマが虹霓で切った割れ目から、【ナゴョミ】よりも大きく、とても瑞々しい樹が中から現れた。元の【ナゴョミ】だった樹は、剥がれ落ちるようにぼろぼろと樹皮を地面へ還していき、少しずつその姿を消していく。
これまでの死ぬ寸前だった【ナゴョミ】は、自らの命を使い、より強い子に託したのだ。
その新しい子は、産声を上げるように、満開に咲かせた花を後から後からとめどなく花弁を湧かせ、ピンク色の雨として豊満に振りまく。その花弁の色と形はやはり、フーマが前世でとても慣れ親しんでいたものと、とても類似していた。
これは勿論、サクラが魔を使っているのではない。
むしろサクラは、とてもあどけない、少女そのものの爛漫な笑顔で、ただ【ナゴョミ】の美しさに見惚れていた。
そして笑顔なのはサクラだけでない。
ナージは同じくらい明るい笑顔を。マイカはどんなもんだしっと勝気な笑顔を。シャニは蕾が開いたような硬くもほころぶ笑顔を。リィンは無表情を貫こうとして歪んだにやけ顔を。
そしてフーマも、やっとやり遂げたという満足感を。
それぞれ、隠すこともできず顕にしていた。
「やったな、フー」
「おうさ。ありがとうな。ここまで一緒に居てくれて」
まずは気心知れた二人で労いの言葉を掛け合う。
「そんなの言う必要ないぜ。むしろ、チカには悪いことしちまった」
「そこは後でサクラに上手いこと、残したこの光景を見てもらうさ。そういう約束してある」
「流石気が効く。なら、きちんとチカとも共有できるか。――ただそれとは別に、今のこの光景を、しっかりと目に焼き付けなければな」
そうやって感慨に耽……っていると、突如として、背中をドンと叩かれる。
「いって!」
「なあにしみったれてるんだしっ! もうこれお祭りっしょ!」
いつになくハイテンションなマイカが、フーマとシャニの背中を叩く。魔などで増強しているわけではないのに、腰が入っていて妙に痛い。身じろぎ一つしないシャニに男の貫禄を見た。
「やったねぇフーくん! 流石だよぉ!」
「いやいや。ナージもよくやってくれたよ。ナージがいないと最初からつまづいてたかもしれないしね」
【勝利の凱旋歌】を魔で演奏しつつも、マーチングドラムをどんどこ鳴らすナージは、脇目も降らずに強烈な音楽を反響させる。しかしそれは五月蝿いものでは全くなく、心のうちを強く燃やす、とても楽しいものだった。
「…………」
積もっていく桜の花びらを見つめるリィン。黒を纏った少女に、桜色の装飾。ぞくりとするほど凄絶に美しい立ち姿。胸に手を置き、深く呼吸をしている。
「どうした。大丈夫か」
「……汝たちはよくはしゃげるわね。すっかり疲れ切ってしまったわ」
「大人しい理由が、海に甥っ子の引率にきたおばちゃんみてえ」
心に響く言葉の滝に打ちひしがられてるとか、むしろ全く言語化できない感情に潰されてるとか、そういう情緒があるからこその感動に没入してもいいのに、などと思うフーマだった。
「そもそもの話。吾はそこまで本気じゃないわけ。そうやって喜んでられるのをもはや羨ましさすらあるわ」
「じゃあなんでさっきにやけてたんだ」
「…………。……そういうところを見ているから女心がわからないのよ」
「多分だけど、女関係ない」
なんて会話をしながらも、リィンがソワソワしている、そんな雰囲気を嗅ぎ取る。
こんな暗い性格をした女が、この喜ばしい場において、やってみたくなることなんて。
「リィン」
「……な、何せむとすや」
フーマは両手を頭の上に掲げて、リィンの近くまで擦り寄る。リィンは当然、訝しむような目でフーマを刺す。そこまではするが、恥ずかしそうにおずおずしながら、フーマと同じような姿勢をする。
「クロックに栄光!」
「……く、クロックに、栄光……」
リィンからすれば対極の位置にある行為である。だからこそ、こんな場面でないとできないのだろう。
たかがこんなことですら、やってみたくても恥ずかしくてできない、そんな感じなのだろう。
……ただし、そんな隙を見せて黙っている皆でもなかった。
「リィ姉ちゃんいえー! クロックに栄光!」
ナージがすかさずリィンとハイタッチ。思考が止まったのか、手を挙げた姿勢のままでポカーンと固まってしまった。
「ほらリーン」
そしてすぐにマイカもやってきて、パァン! ととてもいい音を響かせた。
「いった! ちょっとこの莫迦金髪! 加減ってものを知らないのかしら!」
フーマだってあれを食らったら普通に痛がる。代物をまともに食らったリィンは硬直を解いてマイカに噛みつく。
「〈踊る阿呆に踊らぬ阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損損〉ってか」
ある種当たり前ではあるが、誰もが浮かれていた。これまで誰もなしえなかった偉業を成し遂げたのだ。これで喜ばなければ枯れすぎなくらい。だから熱に浮かされるように騒ぎ立てる。
ただ、この場にいる一人だけは、そういった喜びからはまたかけ離れた愉悦に包まれていた。
「どうした。思うところあるのか」
今回の立役者。この人物がいなければ全ては始まらなかった。
そのサクラは、感動の涙を流す――などではなく、只管純粋な、柔らかな笑顔をしている。
「おかーさん、そんなこと考えてたんだなーってー」
「……? 何か残されてたのか?」
母の手がかり。それを探るためにサクラはずっと頑張ってきた。だから、花を咲かせられたことがトリガーとなる、など想像を働かせるのは難しくない。
「この子の本当の名前はねー、【ナゴョミ】じゃなくて……うーん……〈な、ご、み〉って言わないとおかしいんだってー」
「……〈和み?〉」
「あーそーそー。ナゴョミって、セゴナ語に訛ってるんだってさー。って、あー。ふーま君が発音できるってことは、あれ語ー?」
「〈日本〉語な。覚える気を全く感じさせねえでやんの」
「なんでもオオツキ様が不純物をなんやらー、だからトイチ様が言葉遊びで結びつけてなんやらー、それをダイニチ様がなんやらー、ってあるらしいよー」
「すまん、全く分からん」
「知る必要なしー。私も必要だと思って頑張って聞いてたけどー、なんかこの先の人生に一回も使わなそうだったからー」
使わないからといって、その説明を投げ捨てられるのも困るのだが、突っついたところでサクラは口を割らなそうだった。
「そういうのは無粋ですよー。今は折角、お仕事終わらせたんだからー。お花と遊びましょー」
「それもそうだな」
とは言ったものの。
「…………」
気になることは、多々あった。
そもそも、今の【ナゴョミ】の状態からしてそうだ。
「あれは夢じゃなくていいんだな」
虹霓を振り抜いた時。見せられた映像があった。どこか夢のようで、ふわふわとした地に足のつかないものであったが。
あれを基に考えれば。
――新陳代謝をしたように、中から新しい樹が誕生し、その樹が咲き誇った。
それをフーマは、哺乳類が母体の中で十分に子を育ててから生み出すような、どこかそんな連想をした。
「……ナゴョミは人間と並び立てようとしていた。ってことは」
種を撒いて子孫を増やすのではなく、自身の栄養を使わせ、その分を子の成長の糧に回す。そんな、人間と同じ子育てをしようとした。
だから枯れているように思えた【ナゴョミ】はその実、その胎内には既に大きな子を宿していて、それを育てるために生命維持の機能を全て費やしていた。
ただ、【ナゴョミ】は人間を試してもいた。この子が産まれるのにふさわしい世界なのかどうか。ふさわしくなければ、その時は……。
確かめる術として、人間の力と、心の強さを求めていたのだ。
虹霓の力を目の当たりにした【ナゴョミ】は、ついに出産させることに決めたのだ――!
「……これで合ってるのかなあ」
心の中で答えを出したが、確かめる手段など全くない。こうやって考えていること自体が無意味である。それでも、まだまだ気になることは出てくる。
「お前、もしかして〈和む味と書いて和味〉が本名なのか。いつしかセゴナ語に訛ってナゴョミになった……そういうことなのか?」
日本語を使わないとまるで意味が通らない上、その上で味に関する人間。それはこのセゴナにおいて、偶発的に生まれたフーマだけが満たす。
そもそも、日本が微塵も存在しないこの世界において、日本要素に塗れたこの環境こそがおかしい――
などと考えた辺りで、流石に考察は止めた。
なにせ、脳味噌の形が前世とそっくりになったから知識を取り戻した、などというふざけた前提があるのがフーマ自身なのだ。もしかしたらミナヤが何か噛んでいるのかもしれない。全くの偶然なのかもしれない。そこはもう、フーマの手にあまってくる壮大さになってくる。
そして、フーマという奇跡を前提にしているのだったら、その辺で生えた特殊な力を持つだけ樹が、桜の樹と似通っている特徴があったとしても、なんの問題があろうか。バラバラに分解した時計がプールの中で自然に組みあがることもあろう。
だからやはり、今ここで必要なのは、この奇跡を楽しむことだ。
振り返ると、マイカとナージが花びらを丸めて雪合戦ならぬ花合戦をしている。何故か中心にいるリィンは何発も食らっていた。シャニがうずうずしてフーマの参戦を待っている。
「ふーま君。行きましょー」
「そうだな!」
それこそ、サクラという人物もまだ謎が残る。そもそも、サクラは何歳だ。あれがもしもサクラの――なら、まだ咲き誇っていた【ナゴョミ】の時代の人間となる。そうなると、百年ではきかない時代を過ごしている。
疑問はいくらでも残るが、優先すべきことでは、全くない。
今はただ、手に入れた青春を謳歌するので、精一杯だから――
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