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やり直しの食卓 〜かの地に生きた営養で、この地に栄養を〜  作者: 日下部時弥
みんなとたたかい

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5-6

「音、色ときているから……もしかして、今回は、匂い、なのか」


 シャニの推察を聞いたはずのサクラは、肯定も否定もしない。


「最初は音の振動。次は光の分解。これ、聴覚と視覚の仕組みなんじゃないのか。もっというと、人間の五感を象徴している」


「……なるほどな」


 呼吸を始めた。それを鎮めるのにナージが演奏した。


 光を使った。マイカが新たに光を生んだ。


 どちらも視覚や聴覚といった、人間なら当たり前のように持ち合わせている感覚。


 その法則を当て嵌められるなら、残りの触覚、味覚、嗅覚……今起きていることは、どれかを前提に対処できるのではないか。


「でも、ならなんで、」


「……すまん、オレも全く分からん。ただ、サクラが言ったのは匂いに関することだったから」


 しかし、ならこの悲しくなる感情が、どうして嗅覚と繋がるだろうと、フーマは疑問だった。


「……はあ。やれやれ。吾の手を煩わせないで」


 この局面となり、ようやく大義そうに動き始めたのは、これまで我関せずとして微動だにしていなかったリィンだった。


 マイカの前に立ち、ゆっくりとした瞬きを一つ。そしてナージの前でもまた瞬きを。同じ行動を、フーマ、シャニにも行った。


 最初こそなんの変化もなかったが、砂糖が高熱に溶かされるように、じわじわと悲しみが霧散していく。


「ほら、騒然たる音は止まっているし、燦爛たる光は消えている。汝らはそれが仕事なのだからしっかり為抜きなさい」


「は、はぁい!」


「……いやまあ、そうなんだろうけど、なんか納得いかないしっ」


 苦し気な表情をしていたナージとマイカも、自身の魔を安定して発動し直せるほどに回復していた。


「リィン、まさか、分かるのか?」


「そのきはの易きことすら心得られずや」


 相変わらずリィンの役割語はよく理解できなかったが、フーマを詰る時の表情が見えている以上、リィンには思い当たることがあるのだろう。


「たきものは香をもってみずから焼く……香草は香りのよいことが自分の不運となって、自らが焼き尽くされる。このことから、優れた才能をもつことが災いして、かえって身を滅ぼすことがあることの例えよ。クロック教の聖典ぐらい目を通すなさい」


「悪いな。ミナヤ様しか興味ないんであまりクロック教は惹かれない」


「……つまり、汝らこそが香草と思っていると、脳みそお花畑は伝えているのよ」


 フーマが小粋と思って言った冗談を流して、リィンは説明を加えた。


「『匂いが記憶を取り戻す』。そんな論理、聞いたことがあるのではないかしら」


「……? ああ、〈プルースト効果〉……セゴナ語だとなんつったかな」


 特定の匂いが、それに結びつく記憶や感情を呼び起こす現象。それと似たような事象があると読んだことがある。


「『無意志的記憶』のことか」


「それそれ。さすがシャニ。……思ったより色気ねえな」


 認知症を患った老人が、ある特定の匂いを元に記憶を取り戻した、なんて症例も前世では生で見たこともある。匂いというものは、人間の本能にすら訴えかける力を持つ。


「これは吾の憶測なのだけれど。この樹は匂いという感覚を得るために、吾らの記憶や感情に干渉しているのではないかしら。人間は記憶と匂いが強く結びつく。言い換えれば、匂いとは感情で表現できる。なれば嗅覚を得るためには感情を使えばいいと判断したのではないかしら」


「……人間にはまるで理解できない理屈だけど、それが神樹なれば、か」


 サクラをちらりと見たが、なんのアクションも起こさない。少し予想していた通りだった。


「力を見せろと言っているらしいけどさ、どうやら【ナゴョミ】も随分と俺たちを買ってくれているようで。……して、リィン。任せてもいいのか?」


「はあ……そうやって都合がいい時だけ利用しようとするのね汝は」


「俺たちでどうしようもない今も、リィンならいける。それってつまり、切り札なんだぜ?」


「…………」


 フーマがそう言うと、上を向いて、本当に鼻を高くするリィン。こんな世辞でいいのか、と少し不安になる。


「吾は匂いに直接作用する魔は持たないわ。ただ、記憶といった面から着手できるならやりようはあるわね」


「方法は任せる」


 指定したところで聞く女などではないし、具体的に魔をどう使えるかなど男にはどうあがいても分からない。算段があるのなら任せ切るのがいい。


 フーマからその言葉を聞いたからかは定かでないが、リィンは行動にうつす。


 長いスカートに包まれた細い膝を地面にぺたりとつけ、背中を丸め、両の掌を胸に置く。


 何かを呟く。それはフーマには聞こえてこない、絹糸のように繊細なものだった。


 するとリィンの肌から、いくつかの【斜文字】が飛び始める。視、聴、味、触、嗅、といった五感。そこから分岐していく詳細な感覚、それらを意味するセゴナ語が、次々とリィンを取り巻いていく。


 リィンがなにをやりたいのか、朧げではあるが理解できた。


【ナゴョミ】は人間が外部を認識する方法に則って、人間を図ろうとしている。ただしそれは、人間と同じ感覚器を持ち合わせていない【ナゴョミ】なりの手段によって。


 リィンはそれを利用する。


 匂いが感情を呼び起こすなら。感情で匂いを想起させる。


 人間が生み出した、感情を表す文字を使って、心を叩きつける。それが即ち、【ナゴョミ】に匂いを嗅がせる、ということになる。


 ……ただどうしても、普段の行いから、リィンに魔を任せるのに一抹の不安もあるフーマだった。少しだけ表情に出していると、シャニがぽんと肩に手を置いてきた。


「大丈夫だ。ここは信じてフミトウワに任せよう」


「……お? 俺よりもシャニのが信頼度が高いなんて」


 リィンの集中を削がないよう、小声だった。フーマも同じくらいの声量で返す。


「まあオレも、話してるのが聞こえてきただけだから断言するのも変なんだが……まあ、フーに隠れて女子たちで色々やってたのをオレは見届けてきた。フミトウワもそのうちだ」


「なんで俺に隠れるんだ」


「そりゃまあ、フーに尊敬されたいからだろう?」


「…………。こんなちっぽけな男に、よくもまあそんな気概が湧くよ」


「何を言う。オレだってその一つなんだ」


 そう言ってシャニは、顔をパンパンと、控えめに張る。気合いは入れるが邪魔はしない。


「オレでもやれることはあるか。あるのならなんでもやりたい」


 サクラへ向けて言う。魔を持たざる者として、それでも動かずにはいられない。


 それを聞いたサクラは、ナゴョミのすぐ目の前に、一本の茎を生やした。


「人間のあたたかさ、教えてあげて」


「ほう」


 試しにシャニは茎に触れてみる。


「……――!?」


「大丈夫かシャニ!」


「大丈夫、だが、これは……なるほどな。いやはや……なんというか、母上の折檻を思い出す」


 はは、と乾いた笑いを出す。シャニがあまりやらない反応だった。


「――フーは触るな」


 一体シャニの身になにが起きたのか確かめたい。まずは脳みそがそう思考し、そのための行動に移す前に、フーマを読んだのか、シャニが制してきた。


「これはな、オレがやらなくちゃいけないんだ――なあフー。五感のうち、残りはおそらく、触覚と味覚だよな」


「第六感とかが出てこない限りはな」


「なら尚のこと、オレが担当するのは、触覚だ。オレにもきちんと仕事があったのは、何より嬉しい」


 ニカっと笑ったシャニは、安堵の笑みに、精悍な眼差しを混ぜた、憂いがなく戦に赴く男の顔に切り替わっていく。


「――トゥールスルトは男女共生の文化を営んでいる。故に、常に外敵から狙われてきた。セゴナほど防衛が堅固でないし、多勢で吹き飛ばせば飛び散るような小さな民だ。だからこそオレは、セゴナの知識の元に、また新たな道を探るべく、ここまで歩んできた。……何故か、そんな初心を思い出したよ」


 それは、フーマとチカキには日頃から語っている、シャニの夢だった。


「男は知識はあるが力がない。女は力があるがために振り回される。二つは橋渡しができればずっと幸せな世界になるはずなんだ。オレはそんな世界における橋頭堡になりたい。そのためにも、このくらいは耐えねばなるまいな」


 そう言い終えたシャニは、茎を両手で包み込む。


 シャニのその言葉で、何が起きたのか、なんとなく察しがついた。


 シャニは擬似的――いや、もしかしたら本質的に、魔を使用させられているのかもしれない。


 男に魔は絶対に扱えない。男に妊娠する仕組みがないように、それは絶対的な現実として聳り立つ。魔が弱い女のことを『男らしい』といった侮蔑表現をする文化がどれほどあるか。


 本来はあり得ない現象。だがそれも、神樹【ナゴョミ】の前とあらば。樹と人間の間にある距離など、男女ごときの差と比べれば。どれほど人間だけのちっぽけな尺度を押し付けてられるものか。


 そういった全てのことを加味した結果、ここで動くのは、シャニが最もふさわしい。


 ――そして。


 これらが揃ったことを契機とし。


 虹霓。


 脳裏に一本の刀身が映し出される。


 ミナヤ・クロックは言った。『来る時が本当に来たら使えるから使いなさい。使えそうな場面がきたらすぐ分かるわ』と。


 分かってしまった。ミナヤを頼るとか自分でやるとか、そういう反抗期の子供みたいな理屈ではなく、ここは虹霓が必要なのだと。


「なんの因果なんだろうな――」


 残った感覚。『味覚』。


 こちらに生まれ落ち、アイデンティティを確保するために進んだこの道。それを極めつつ、別の角度からも有用性を確かめたかったこの寄り道で――よもや、主題以上の課題に出会ってしまうとは。


 これだから人の生というものは。


 サクラはこちらを見ないままに、魔の出力を上げる。釣られて【ナゴョミ】もより一層と各感情が荒ぶる。その様はまさに落下狼藉に及ぶ。女子陣は苦しい表情を隠せもしないし、シャニに至っては蹲って痙攣すらし始めている。


 実際に考え込んでいたわけではない。シャニが茎を包み込んでから五秒も経っていない。やけに頭は冷静で、なのに回転数だけがとても上がっていた。


 ……それでも感慨に浸っている暇なぞない。今すぐに動かなければ、全員に甚大な被害となるかもしれない。フーマという人物は、それでまごつくような性格をしていない。


 虹霓を念じる。


 右手に感覚すらなく握られた一振りの刀。右腕そのものが直結しているような、身体の一部分のような馴染み方。


 ――ふと、とても下らないことが、脳裏に刹那、過ぎった。


 フーマは刀というものを知っているから、これは何かを切る道具と分かっている。なら、刀を知らない人間が見れば、利用用途が皆目見当もつかないのだろうか。もしかしたら、虹霓は全く違う手段で使うのかもしれない。


 そんな思考を、すぐさま否定する思考が追い抜く。


 そうだとしても、この圧倒的な、特化した形状。見た情報そのものが文章のない説明書。


 ならばこの虹霓とて、使い方など――たった一つしかあり得ない!


 フーマは【ナゴョミ】へ、泰然とした歩調で近寄る。


 リィンの左脇を通る。リィンは「せいぜいはかなくせぬことなり」とそっけなく思う。


 マイカの真横を通る。マイカは「いいとこあげるっぽいんだから、下手なとこみせたら怒るしっ」と光で煽ってくる。


 ナージの右隣を通る。ナージは「フーくんならいい音楽奏でれるよ!」と演奏のアレンジをアドリブで紡ぐ。


 シャニの背後を通る。シャニは「お前ならできる」と背中だけで語る。


 サクラの前に立つ。サクラは「ふーま君にお任せするねー」と間伸びした花弁を咲かせる。


 みんな、言葉として出したわけではない。自分の役目を全力で遂行しつつ、それぞれができる方法でフーマへ意思を伝える。全くの過不足なく。


 分かり合えるというのはこういうことを言うのだろうか。現実感のない今。この瞬間を過ぎれば、この感覚も忘れてしまうかもしれない。


 そして。


【ナゴョミ】の前に立ち。


 上段に虹霓を構え。


 振り抜いた。


   ・


 ――見守っていた。


 見守るしかできなかった。


『私はニムナ・クロックの光白き残滓。こうして人という形で命を与えられたことそのものが罪であり、ニムナの目的。そんな私も、愛を知ってしまった』


 彼女は全てを愛した。


 愛しているという自覚もないまま、自身が他者へ抱くこの感情こそが愛そのものであると知るその日まで、清純で無垢な想いを無償で振り撒いていた。


 そしてそれこそが、世界が与えた罰であった。


『私も愛を知ってしまったからには、愛する人と添い遂げたい……それも叶わぬ願いとなった。あの人はもうオオツキ様の元へ長い旅路に着いてしまった。遺した――残されたものはただ一つ。唯一のそれも、零れ落ちた頃にはおそらく私はもういない』


 折れ込んだ腹部を慈しんでさする彼女は、まさしく母の姿だった。


 人ならざるモノが人の形をもらい、人と同じ仕組みで子を成す。偽りの身のくせして真実の愛を得てしまう。


 なんと残酷なことか。


 それほどの罪を、なして彼女は背負わなければならないのだろう。


 憤り。


 ――これが、怒り……感情というものなのか。


 人でなければ気付くこともなかったはずの念。


 なまじ人に寄り添ってしまったばかりに感化されてしまったのか。


 彼女と一体、どれほどの差異があるかも不明だというのに。


 人とは、なんなのだ。


 友たる彼女を救ってあげたい。なのに何も力を分けてやれない。


 永らく存在しているくせに、これほど無力なのか。


 ――今のままでは、彼女を救うことはできない。


 彼女は受肉させられた身。


 そこへ差し迫るには、こちらもより人へ這い寄らなければならないのか。


『ここへ現存する道のりは全く違うのに、こうして寄り添えるのは奇跡でしかない。だから君はそのままがいい』


【花咲士】の彼女は此方の気味合いを細かに読み取る。


 生きるに必要ないものの芽生えを、摘み取るも生長させるも彼女次第。


 だからその想いは、いつまでも種となっていた。


『悲しまないで。私の想いは、私の生で成した全ての方法で残してきた。私のやや子を母として導くために、あの人と得た軌跡を辿りながら。お願いがあるとすれば……君にも一つ預かってほしい。この、【和味】を』


 種。次代の時代へ繋げる輪の接点。


 彼女に薫染を与え続けられた身。未知の領域に踏み込まされたとあっては、もう捨て置くことなどできなかった。


 そして種の芽吹きというのは。


 前代が萎凋し、席を譲るからこそ成立する仕組みだ。


 彼女という大切な人を守るためにも。


 彼女が望む想いを託すためにも。


 彼女が残した種と、我の作る種。


 託せる力を持った者に、授けたい。


 いつか伸びるであろう、七つの光を纏った、虹たちへ。

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