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やり直しの食卓 〜かの地に生きた営養で、この地に栄養を〜  作者: 日下部時弥
みんなとたたかい

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5-4

 子供は風の子、と日本語では言っていた。古今東西、どこでだって、子供は元気よく外で遊び回っていてほしいものだ。


 さてさて。もう十四歳。まだ十四歳。そんなとても狭間に身を置くフーマは、どちらに居ればいいのか。


 校庭にいるシャニを見る。


 口数は少なくとも、頼りにされれば、一緒に遊んで『あげて』いる。年長者である立場がそうさせるのか。それはおそらく違うだろう。寡黙なので勘違いもされるが、誰より面倒見のいい男。シャニという存在は、立場に関係なく『大人側』に属する。


 片や自分はどうだ。


 まだ、あれほど明確に大人になんてなりたくない。


 ……しかし子供のままでもいられない。


 父親の期待に応える気など全くない。それでも背中を向けて場外まで走り去ってから、思い出したように批判するような逃げ方もしたくない。挑むのなら、同じ土俵の上で、だ。


 最初こそ、当てつけで栄養学を進めようとした。十歳で取り戻したそれは、反抗する自信を持てるものだったから。それは否定しない。


 ――だが、今は違うと、明確に言い張れる。


 好きで、自尊心を持って、栄養学に打ち込みたいと思っている。


 それに、これを極めた先に、何かが起こせるのではないか。そんな期待感と、最早起こせること前提の楽観視。


「……またいわけなきことばかり言へりかし」


「心読むな」


「読めないわよ」


 夕方まではまだ時間があるが、空を見ながらどこか黄昏ていたフーマを、わざわざ屋上まできたリィンが見咎めた。


「それよりさ、俺の作ったのどうだったよ」


「自分の悩みを本当にうっちゃり投げてそちらを優先する辺り、汝は悩み事に向いていないと思うわ」


「うんまあ、悩んで解決するものじゃないんだから、燻りすぎてても仕方ないかなって」


「時折、汝の頭花畑の能天気さとはまた違った前向き、見習いたくなるわ」


「そりゃどうも。で、どうだった」


「……まあ、お腹を満たすには十分だったわ」


「そうか。ならよかった」


 口を開けば悪態しか出ない女が、負ではない言葉を発した。フーマにはそれで十分だった。


「どうしてまた、こんなところにご足労を」


「……あそこにいると赤髪音楽の演奏が耳に障るのよ」


「マジで? 最近のナージ、更に上手くなったと思うけどなあ。なんか、理屈云々を抜きにして心にズンとこない? それが魔の力なのかもしれないけどさあ」


「だからよ」


「あー」


 心に染みる音楽だからこそ気に触れるのかと納得するフーマ。難儀な性格をしているものだ。


「でも、ここもナージの、聞こえてくるぜ?」


「いいのよ。あそこよりは」


 そう言ったリィンは、両手を前に伸ばす。腕と身体を半径とした、球形の泡のような空気の塊を生み出した。


 すぐさまばちんと弾ける。


「…………」


 もう一度、同じ手順を繰り返す。そして同じ部分で、やはりばちんと弾けた。


「あ、練習してるのか。で、失敗してるのか」


「……――!」


 リィンが腕を振るのと同期してフーマの頭に何かがぶつかる感触がする。痛みどころか痒みもない。綿の塊がぶつかったってもう少し反応できる。


「……いいわ別に。そも、聞き耳など持たなければいいのだし。普通に書に耽ればいいのよね」


 そう言い捨てて、シートを敷いて床へ座る。おたおたと持ってきていた本を一冊、ぺらりとめくり始める。


「うーわ、〈酸っぱい葡萄〉」


「……何よ」


「麗かな午後には酸っぱい葡萄が神経ぴりっとさせてくれていい、って意味の栄養士用語だよ」


「いつはりと一目に見抜くべし」


 などと真横でちょっかいをかけてくる男がいるというのに、こちらは移動する理由にならないようだった。それを指摘すると今度は本当に出ていきそうだったので、あくまでも全く別の話をフーマは持ちかけた。


「いやな。これでいいのかなあって、思うわけよ」


「何を唐突に」


「ここ数日、俺たちがやってるのは、果たして合ってるのかってね」


「汝が何をやっているのか知らないわ。だから間違っていても正解でもどうでもいいわね」


「そこからかよ」


 フーマは、近況報告をさらっと流す。チカキだってもっと把握しているというのに。


 来る日に備え、ラセリを使った料理を女子陣に食べさせたり、その傍らに試験勉強をしていたり。だがそれらも全て真面目な気持ちで取り組んでいるというよりは、どこかそれ自体を遊ぶように、笑いが絶えないものだった。


「もちろん強制はしないし、断ってもいいっていう前提は置いてあるけど、たまには顔出せよ」


「そんな賑やかさ、吾は御免蒙るわね」


「そうか」


「……汝はやけに物分かりがいいわよね」


「そうか?」


 誘うだけ誘って、断られたらすぐに引く。諦め半分といったものではなく、きちんと心からの誘いだ。それでも嫌がる人間を無理に誘う方が残酷なことも理解している。リィンに干渉するのは誘うところまで、と決めているフーマは、心の内はどうであれ、表面上はすんなり引く。


「俺は自分のことを把握するよりも、他人の気持ちを推し量る方がよほど気楽、ってだけだよ」


「あなたに量られるほど安い感情をしているとは思っていないのだけれど」


「自分のことが分かっているのなら、父親のこと、もっと上手く立ち回ってられるだろうさ。大体、俺は自分が嫌いでね。そんな嫌いな人物のことを考えてるくらいだったら、友人とする話の種の一つくらい見つける時間に当てるだけだ」


「――――」


 リィンが目を細める。その仕草は、フーマの言った友人に自分も含まれているのかを確かめたがっているようにも思えた。


「汝の父、ね――そういえば、こんなのを見つけたわよ」


 小さく呟いたリィンは、一冊の本をフーマに渡してきた。表紙に何も書いていないハードカバーのそれを受け取ったフーマはペラペラめくる。


 堅苦しいセゴナ語で書かれたこの本を、何度か頭から繰り返しめくって目を表面に滑らせていくと、ようやく著者の名を見つけた。


「……驚いた。どうやって特定したんだよってのと、見つけ出したんだよこんなの」


 父を話題に出した時に思い出したかのように渡してきたのだから、コミュニケーションが下手なリィンのことだし、父がらみなのは予想ついていた。だがそれは、流石に想像の範疇外な代物となっていた。


「たまたまよ。あれは祈年祭だったわね。きんぱ――いえ、吾が一人でとある人と話していたら、ふと思い出したのよ」


「マイカと?」


「いえ、吾が一人よ。あるわけないじゃないあんな金髪と同じ行動なんか。そうよ。あるわけないじゃない」


 否定の仕方が強すぎる。


 しかしまあ、あのリィンがマイカと一緒に? 誰と会話していたのだろう。そんなフーマの疑問も、リィンは勝手に続ける。


「その人の会話の断片から、学生時代に論文を出したことがあると聞いたわ。吾はなにかが引っかかった。そうして記憶を頼ったら、なんの偶然かしらね、思い至るところがあったわ」


「…………」


 本人は誤魔化せているつもりらしい。まだ色々とぼやかしている。


 いつの間にそんな流れがあったのか。


 ともかく、リィンとマイカは、父となんらかの接触を測った。気になったリィンは、この本を見つけた。そういう流れでいいのだろう。


 何故、そもそも接触したのかも聞きたいが……この態度を取っているリィンに聞いても、口をつぐんでしまうだろう。


「少し前にたまたま見つけたから、さぞ汝は垂涎の逸品だろうと思って持ってきたわよ」


「ああ。確かに、これは――」


 当たり前だが父にだって若い頃はあった。フーマの記憶の中では物心着いたら厳格な父だった。そんな父が、過去に残していたその文章は。


「けど……――」


「けど?」


「――いや、なんでもない」


「なんでもない、といった言葉は、なんでもよくない時にしか使わないものよ」


「それは本の世界に閉じこもりすぎ。思考から言葉に変換させるその瞬間までに、本当になんでもなくなることだってあるもんだ」


「さるものならむや」


 そう。フーマにとっては、なんでもよくなったのだ。


 つい先日、チカキから手紙が来た。内容は、「言うかどうかは至極迷ったが、伝えた方がいいとの判断と、懺悔したい気持ちから伝える。実は、君の父から祈年祭の招待状を送るよう打診された。あくまで招待されることが必要だったのだと。君と父が不仲なのは知っているし、もともと君の父に送り状を出すつもりはなかったが、結局は出してしまった」といった旨が綴られていた。


 父がどうしてそんな回りくどいことをしたのか。心の片隅に小さいが鋭い棘が刺さっていた。


「――今の俺には、早すぎる一物だ」


 そんな、些細な出来事は。もうなんでもよくなっていた。


 ぐい、とリィンに論文を返す。


「そう。どう解釈しようと汝の勝手よ」


 リィンは非難するでもなく、当前のように受け取った。


 もちろん衝撃はある。それこそフーマ・ミシナムの半生を揺るがしかねない。


 だが。フーマは敢えて、噛み砕こうとしなかった。


「俺は国語が苦手で。それこそ『昔』から。だから文を読んで作者の想いを答えよなんて問われても、人一倍解答に時間がかかる。……だからさ、これは、ゆっくりと向き合っていくよ」


「つきひは過客にて待たばくれず」


「身に染みて知ってる」


 フーマは大きく伸びをした。こきこきと背筋が音を鳴らす。


 その音はどこか、自分の暗い感情を垢として落とすもののように感じた。


「……あ、もしかして、最近書庫に篭ってたのって」


「ななななにを言っているのよこの愚昧な不良金髪染め」


「染めてるけど金髪じゃねえんだけど俺」


 罵倒しようとして意味の分からない代物になっていた。


「ありがとうな。気にかけてくれて」


「……うじうじ悩んでいる汝など見ててもこちらが滅入る。それだけよ」


「うん。おかげで、真っ直ぐ走れる」


「なら、まだよかったのかしらね」


 リィンは後ろを向く。表情は読めない。だが、朴念仁なフーマとしても、リィンのその声色だけで、どんな感情なのか読めるのだった。


 誰かを助けようとして、結局は自分が助けられる。


 やっぱり、それでいいのかもしれない。


 前を向く理由ができたのなら、後は只管真っ直ぐ、突っ走るのみ。

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