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やり直しの食卓 〜かの地に生きた営養で、この地に栄養を〜  作者: 日下部時弥
生き様

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幕間・5

 この世界に栄養学の価値なんてない。


 その事実を飲み込みのに、どれだけの時間をかけただろう。


 それこそフーマは前世の記憶を引き継いでいるため、その常識にとらわれている。だからこそ気づくのがかなり遅くなった。


 ――栄養学とは、言ってみれば人間の不具合につけ込む学問である。


 例えば肥満。


 肥満とはエネルギーを保存するため、体内に脂肪という形で蓄える。この機能自体は、エネルギーをいつでも使えるようにするために、生物として備えていて当たり前の機能である。


 脳はブドウ糖のみを唯一のエネルギー源として扱う。そのため、ブドウ糖が足りなければ当然、エネルギーは不足し、脳は活動できなくなる。それ即ち、死。


 そのために、血中にはいつもある一定のブドウ糖が必要なのである。ブドウ糖そのものが不足すれば、糖新生という活動を行い、タンパク質や脂質を原料にしてまで、ブドウ糖を作り出す。


 それほど貴重なブドウ糖であるから、もし過剰となれば、来るべき時に備え、グリコーゲンという形に変える。これを肝臓に貯めておくのだが、それよりも更にブドウ糖が多ければ、今度は脂肪という構造に変化させ、いざという時を迎えられる準備をしておく。


 それらが度を過ぎれば肥満と言う形となり、各種の害が出てくる。飽食の時代を迎えるにつれ、蓄えなくても常にエネルギーを確保する手段が増えるほどに、肥満であることのメリットなどなくなってしまった。こういった生活の蓄積による部分が多いため、生活習慣病などという名がつけられたわけだ。


 もしこれが、肥満をしない仕組みが存在していたら。もっと言えば、人間の仕組みがもっと現実に即した形に進化できたとしたら。


 フーマは前世でそんな他愛もないことを何度も考えていた。


 専門としているフーマにとったら、食事なんて毎日必ず行うことであり、影響の清濁を把握しきってて当然。とても単純であり、簡素である。


 なのに気を回さず、知ろうともせず、体調を崩す者は後を立たない。どうして日頃の行いすらまともに知ろうともしないでか。ああ、人間という存在自体が、勝手に身体を対応させてくれれば如何程に楽となるだろう!


 ……そう思わないと、人間の不便さに嫌気が差してくるのだ。


 さて、一方で。


 こちらの世界ではどうだろう。


 そもそも前世でいうところの不健康の意味での肥満と言う言葉は存在しない。それは、人間はある程度自分の意思で体型を決めることができるからだ。これは男も女も仕組みは違えど、共にできること。


 これは脳みそが前世よりも最適化をされているからだった。


 そもそも肥満や糖尿病といった病気に関しては、前世の人間は根本的に、飽食に耐えられるようになっていないのである。人間は常に飢餓との戦いであった。いつご飯が食べられなくなるか食べられなかった時のためにどうすればいいか。これだけを考えた身体は、それに対抗するための策を数多く準備してきた。


 血糖値が下がり、それを脳が認識すれば、各種ホルモンを分泌し、血糖値を上げるよう各細胞に伝令を行う。成長ホルモン、副腎皮質ホルモン、副腎髄質ホルモン、甲状腺ホルモン、グルカゴン、ソマトスタチン……作用機構は違えど、どれも血糖値を上げるのに利用される。


 ……しかし血糖値を下げる方に関しては、さほど考えられていない。ただ唯一インスリンのみがその効果を発揮する。


 だから人間は太る方が楽であっても、痩せる事は難しいのである。身体はむしろ太りたがっているのだから、理由をアレコレつけて痩せようとさせない。


 ……これは全て、前世での常識。


 こちらの世界では血糖値を下げるホルモンも何種類か存在する。太ったなら痩せられる。またその物質も、人間が念じればある程度は出すことができる。意思が身体に変化を及ぼすことができるのだ。なので太った体型の人間はいるが、それは好きであるとか、その方が都合がいいからその体型でいられるのである。已むなく病的な肥満をすることなどほとんどない。


 その他、フーマの持つ栄養士目線での知識における、人間の設計ミスとしか言えない仕組みについて、かなりの部分が緩衝、ないしは解決をしている。


 そもそもの話。神経系の体内での繋がりや、五感の精度、妊娠に至るまでの経路など、前世と比較してしまえば、こちらはずっとスマートであり、合理的。まるで人間という生物を、再設計したかのようだった。それらを前提とした上で、女の桃臓や男の改膜質が乗っかっている形になっている。


 こんな世界だから、これまで食物から取れる栄養など、まるで重視されなかったのである。


 ……以上が、栄養学には価値がないと思った最大の理由である。


 その絶望たるや。自身の半生を否定されたかのようだった。むしろ、研究び没頭すればするほど、自らの手によって否定してしまう。


 前世も今世もまるでうまくいかない。


 フーマは荒れていた時期が存在するが、父のこと以外にも、その有耶無耶した想いを払拭しようとしてそうなった面もある。


 そんな環境を、いっそのこと、すべからく打破したくなったのだ。


 ――さて。そうやって願った結果。


 本当に、状況が変わってきた。


 常識など、いつの時代だって、恐れながら進んでいくものである。


 日本ですら、栄養という概念が発足したのは明治時代からだ。当時、軍では脚気が流行っていた。軍医の高木兼寛はこれをタンパク質の不足と推測し(この説自体は間違いであった)、予防に努めた。これは結果的には功を奏し、脚気の発症率を多く減らすこととなった。しかしこの時点で、日本の医学界は、この栄養説を俗説であると断定した。


 フーマの生きていた時代から、わずか百年ばかり昔の出来事である。逆を言えばたった百年で、健康のためには栄養が不可欠、という概念が完全に根付いたのである。


 それは、たった数人が、世界をより良いものにしようと努力した結果だ。


 フーマがこうして、第六栄養素という概念からリュガジセンにアプローチを試みた結果、誰もが見つけられなかったこの世界の法則に気がついた。


 逆転に一念発起をして、ナゴョミの地で改めて研究を始め、一縷の望みにかけたこの一年と少し。


 もしかしたら、もしかするのでは。


 そんな淡い希望に、手が届きそうなのだ。


 誰に言うでもない、静かで黒い情動。父とは別方向にナゴョミへ逃げてきた理由。


 これを晴らすために、フーマは動いている。


・・・

・・


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